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輸血医ドニの人体実験 科学革命期の研究競争とある殺人事件の謎 (さしつかえないネタバレ)

2019年06月09日 | ノンフィクション

輸血医ドニの人体実験 科学革命期の研究競争とある殺人事件の謎 (さしつかえないネタバレ)

ホリー・タッカー 訳:寺西のぶ子
河出書房新社


 サイエンスというよりはかぎりなくオカルトの世界だが、暗黒といわれる中世ヨーロッパの科学事情がよくわかる。

 輸血という医療行為は、近代医学のひとつの成果といえよう。輸血が実用化されたのは20世紀に入ってからだ。輸血が実用に至るには、ABOという血液型の発見とか、血液凝固を阻止して鮮度を保ったまま保存と輸送技術の発見とか、多数の問題をクリアしなければならなかった。

 とはいえ、人間には血というものが流れている。動物にも血というものが流れている。この血液というものが、なにかしら人間の生命に大きな影響を与えているに違いないという認識は、かなり古代からあったのではないかというのは想像に難くない。

 床屋のポールのデザインにみられる赤・青・白のストライプのポール。あれは血液と包帯の色を現しているなんて雑学本なんかでよく紹介されている。昔の床屋は医療行為を兼ねていて、というよりそっちのほうが本職だったんだろうと思うが、当時の医療行為とは「悪い血」を抜くことだった。体調が悪いと床屋にいってメスで脈を切っていくぶんかの血を抜いてもらった。三色ポールのデザインは当時の名残ということである。

 血を抜くとアタマがボーっとするからか、感覚が麻痺してきて、苦痛とか苦悩とかから一時的には離れられるっぽい。それゆえに、血を抜く行為=瀉血の効果効能はかなり信じられていたようである。もちろん近代医療ではきっぱり否定されている。

 しかし、民間療法の間ではまだ行われていて、なんと日本でもやっていたのにはびっくりした


 そういう大事な大事な血液だから、病気の人間に、健康な他の人間の血をいれたら病気が快復するんじゃないの? という発想に至るのはそんなに不思議なことではない気がする。

 「輸血の歴史」を調べると、記録に残っている限りでは、1818年にイギリスのジェームズ・ブランデルという人が初めて人から人への輸血を試みたとのことである。ただし、この患者は2日後に死亡した。血液型というものが発見されるよりも前のことである。

 それからさらに150年前の17世紀半ばごろにイギリスとフランスでは動物間(犬)での輸血実験が行われていた。これはまことに残酷な実験で、片方の犬の血液を他方の犬にうつす実験であったから、血を抜かれたほうの犬は死亡することを意味した。一方、新たな血液を入れられた犬のほうは元気なこともあったし、死亡することもあったとのことである。当時の宗教観や価値観では、犬をこのような検体に用いることに何のためらいもなかったようだ。野犬の被害や狂犬病なども現代よりずっと脅威であったのだろうとは想像する。


 しかし、ここに「動物の血を人間にいれてみたらどうなるか?」ということを考える人間が出てくる。それが本書の主人公ジャン=バティスト・デニである。

 現代から見れば、おぞましいオカルトにしか思えないが、当時はそれなりに説得力があったようだ。

 なにしろ当時は錬金術の世紀である。それに瀉血が効果があると思われた時代でもある。また、当時の薬物治療においては、たとえば「〇〇を煎じた汁に、××の肝臓と、△△の血をいれたもの」を飲ませる、なんて黒魔術的なことが本気で信じられていた。だから「効率の悪い経口補給よりは、ちょくせつ血管にいれてしまったほうが効果があるんじゃね?」と思うことはそう不自然ではなかったようである。

 むしろ、神より与えられし誉れ高き人体に、汚れた動物の血を入れるとは冒涜である、という宗教観のほうが抵抗としては大きかったようだ。

 そこでデニは考えた。「羊の血」ならばどうか? 羊はキリスト教の象徴のひとつだ。羊は神の子であるから、羊の血を人間にいれることに問題はあるまい。

 というわけで、1667年にフランスにおいて、ドニは羊の血を人間に輸血するという実験を3人の男性に行った。


 この狂気の実験は、驚くべきことに、最初の2人は生き延びたのである。現代医学の常識からはあり得ないことだがそう記録されている。(なぜ最初の2人が生き延びたのかは本書にも推察が載っているが、ここでは伏せておく)。

 しかし、最後の1人が死亡したことから、この輸血行為は事件となる。本書ではこれをただの医療事故による死亡ではないとみる。本書は尋常ではない情報量の本だが、すべてはこの死亡事件に集約されていく。


 本書は中世暗黒ヨーロッパ時代の輸血をめぐる話だが、いっぽうで当時の英仏の政治事情、宗教事情、そして国家間競争事情をめぐる話でもある。現代においても医学や医療にはアカデミズムな派閥があるように、中世ヨーロッパ時代においても、イギリスとフランスの間で競争があったし、フランスの中にも保守と新進の対立があった。「輸血」というチャレンジングな行為はこれらを多いに刺激した。輸血医ドニのまわりは敵だらけであった。

 一方で、人権とか法とか命の価値とか、そういうものはまだまだ未発達であった。輸血を試みる医者やそのスポンサーとなる貴族たちのお互いを陥しいれる奸計のえげつなさもすさまじいが、なによりも悲惨なのは輸血の被験者たちだ。彼らはみな貧しく虐げられた階層の人々で、ただ利用されただけの存在だった。とくに、ドニの輸血実験での3人目の被験者となって死亡した男性の妻であるベリーヌはあまりにも悲劇的だ。本書の表現では「ベリーヌにとって人生は優しくはなく、近世の司法は彼女に手を差し伸べなかった」とある。

 本書は、ノンフィクションの範疇ではあるが推理小説の側面もあるので、詳らかなことはこれ以上書かないが、とにかく情報量が多く、また、当時の暗黒的な雰囲気を醸し出そうとしたためか、もってまわった表現も多い。そして登場人物がとても多い。これ誰だっけ? ということがしばしばあったのだが、実は巻末に登場人物一覧が載っているので(読後にその存在を知った!)、本書をお読みの際はこれの助けはぜひ借りたいところである。


 ところでこれ。サイエンスとオカルトが混ざったような題材といい、ゴシックホラー的な雰囲気といい、中世暗黒時代の資料がふんだんに使われていることといい、島田荘司の推理小説「御手洗潔」シリーズあたりでネタ本にしそうな内容だ。もしかしたらもう考えているのかもしれない。


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