読書の記録

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知の編集工学

2011年12月18日 | 編集・デザイン

知の編集工学

著:松岡正剛

 

前の職場、そこは事業コンサルティングとかマーケティング上の戦略企画とか、そういうのに毛がはえたようなことをやるところだったのだが、そこに新卒で入社したとき、とにかく右も左もわからず、先輩からどやされてばかりいた新人時代ですっかり自信を喪失していた日々が続いたわけだが、そんなときに出会ったのが本書である。15年前くらいかな。

僕はこの本を読んで、嘘でもなんでもなく、仕事が3倍速くなった。もちろんたまたま仕事になれてきた時期とタイミングが重なったともいえるだろう。いろいろ仕事の内容や自分の立ちまわりが腑におちると急に仕事がまわるようになる。ただ、当時の自覚として、僕は本書の内容に自信と手ごたえを感じ、あきらかに自分の仕事に自信を持つことができた。

 

最近、ゆきづまりを感じてきて、初志を思い出す意味もあって本書を再読した。座右の本ではあったものの実は10年以上開いていなかったので、だいぶ内容は忘れていて、いったい自分が本書のどこに琴線に触れたかを確認したかったのだった。

で、松岡正剛の本はどれもそうなのだが、はっきりいって何が書いているのかさっぱりわからないのである。博覧強記を母体にする彼の著書は衒学趣味に溢れていて話は右へ左へ手前へ奥へと自由自在に移動し、文脈を追うのも一苦労なのである。彼の著書の味わい方というのは、一生懸命文章を追って理解するのではなく、なんか言語のシャワーを浴びて、そのところどころになんだかココロにひっかかるもの、ひざをたたくものがぐぐっとクローズアップされ、そしてまた遠景へと去っていく感じを味わう、そんな読書スタイルがあっていると思う。彼の本は、プログラムとしては日本語の文章による一本の流れで成り立っているけれど、彼流にいえば「ノンリニア」に味わうものである。少なくとも僕はそのように読む。(というか、そのようにしか読めないのだが)。

で、当時の僕がなぜ仕事が3倍速くなったと自覚するほど本書に学ぶところがあったのか。なんとなくぼんやりと覚えているのは当時の僕は「仕事には正解がある」と硬直して信じ切っていたのだが、本書を読んで「自分の信じるように、自分の持ち前の知識と技術でやって問題ないんだ」と肩の力が抜けたことである。この「脱力」こそが最大の成果だったかもしれない。

 

再読してみてけっきょく具体的にはどの個所にそこまで目ウロコされたのか思いだせなかった。むしろ内容をほとんど覚えておらず、初読とかわらないほどだった。

だが再認識したこともある。報告書も提案書もついつい書きこんでしまう。誤解や解釈の多様をなくすために硬直化した論理構造と文章をとろうとする。でも実はちっとも読み手に感激も関心も与えないのである。むしろ「示唆を与える」程度で投げだしたもののほうがずっと相手にとって歩留まり、関心され、感謝され、お買い上げになることが多い。本書的に言えば「相手に編集させる」ということなのだが、これまでの実体験を省みて、正しいように再認識した。

 

とはいえ、今の僕が読んでもやはり全部の7割くらいは読んだ先から忘れていく。15年前の僕はいったいこれらのどこを読んで、そんなに目ウロコだったのだろうか。自分で自分を神話化してしまったような本である。

 


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