読書の記録

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マドンナ

2017年12月05日 | 小説・文芸

マドンナ

 

奥田英朗

講談社

大企業の40代中間管理職男性あるある短編集といったところか。

いわゆる疑似家族的な日本型経営の企業でたたき上げられてきた企業戦士の男たち。しかし管理職になってみたら、世の中の価値観がかわっていて、自分たちがかつて上から言われたようにしようと思っても、まわりがついてこなくてイライラする、というやつである。残業は武勇伝、休日出勤上等、男だらけの体育会のノリ。ちょっとした女性社員へのちょっかいは黙認。そんなつもりで会社人生いきてみて管理職になってみたら、残業なんてダメ、休日出勤なんてもってのか、社員旅行も社内運動会もナンセンス、セクハラ言語道断。タバコは喫煙ルームで。女性の上司もあたりまえ。

「体育会のしごきやいじめはなぜなくならないか」というアジェンダをみたことがあって、要するに「自分がされたことを次の世代にやる」のはなぜかということ。これはつまり自分の人生を正当化させるためである。ここにはふたつの感情があり、

・自分だってつらい思いをして今の座にたどりついたのだから、自分の下の世代もそれを経験するのは当然だろう。

・あのとき上の人たちはいい思いをしていたのだから、自分たちもそれをやる権利があるだろう。

だから自分がされたことをしてはならないというのは、自分のサラリーマン人生を否定されるようなものなのである。

この小説に出てくる男たちはみんな「オレはこうやって仕事をしてここまできたんだ。なぜそれを部下や周りの人間にさせようとしたらいけないのだ」というキリキリ舞いに踊らされる。

 

あともうひとつ。ここにいる男たちは全員既婚である。ついつい会社での立ち振る舞いを家庭内に持ち込んでやりすぎてしまい、ついに奥さんの地雷を踏んでしまう。

  僕の勤めている会社の既婚女性の同僚がぼやいていた。「なぜ男って、会社で一生懸命仕事しているから家のことはさぼっていいという理屈が通用すると思ってしまうのか」と。

会社にいる時間のほうが長いためか、会社での常識や価値観を家に持ち込んでしまい、しかも本人は気づいていない。仕事で成果をあげていれば会社の中では大きい顔ができるからついそれを全世界で通用してしまうと錯覚してしまうのだろう。こと、幼少期に自分の両親がそうだったりするとそういうもんだという原体験ができあがっているからなかなか始末が悪い。

つまり、自分としては当然の権利、考え、たちふるまいのつもりだったのに、実は通用しなかったりケンカになったり、あまつさえ大ヒンシュクを買ったりする。自分では当然のつもりでいるから、なぜ反抗されるのかがわからない。

これも以前ネットでみた投稿記事で「日曜日くらいゆっくりさせろと家でぼやくKYなパパさんへ」というのをみた。あまりの逃げ場のないアジェンダ設定のうまさに大炎上していたが、見事なタイトルに感心してしまった。

 

本書に出てくる男たちは、大企業の管理職、つまりは会社の中ではそこそこ成功して出世競争に勝ってきた人たちである。そういう人だからこそ、これまでの会社の常識の刷り込みと培ったプライドの、周囲とのギャップはより大きいと考えられる。ぼくの聞いた話で、ある財閥系大企業の部長さんが、自分の住んでいるマンションの理事会の役員になり、他の役員に会社の名刺を配ったというのがある。

いまや人生100年なんだそうだが、その中での会社人生は30~40年くらいか。広い世界で物事は見たいものだと思う。

 


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