読書の記録

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森を見る力  インターネット以後の社会を生きる

2014年02月18日 | テクノロジー

森を見る力  インターネット以後の社会を生きる

橘川幸夫


 いろいろなことが書かれているが、いちばん読後に残ったのは

 「ロックだぜ!」

 

 本書では、スティーブ・ジョブズが次々と新製品や新事業を発表していく様を、「ロック・アーティストがアルバムを発表するかのようにビジネスを展開した」と表現し、そのあとにこう記している。

 機能の先進性は社会性だが、カッコよさは時代性である。なぜカッコよさを求めたのか。答えはひとつである。ロックはカッコよくなければならない。なぜなら、ロックのスタートは、世の中のカッコ悪い、醜悪な現実に対する怒りから始まったものだからだ。

 ジョブズの「Stay hungry, stay foolish」を意識してのことだと思うが、うまくきめたものだ。さすが、ロッキンオン創刊メンバーの人である。

 

 では、現代の日本のカッコ悪い、醜悪な現実とは何か。

 本書ではズバリ、それは「組織」である。「組織」の論理をもったまま、稀代の便利ツールであるインターネットを手に入れてしまったことから、現代の日本は、より醜悪な現実を拡大させてしまったのである。

 

 最近になって、「戦後民主主義社会」の功罪を検証するような言論を多く見るようになった。

 日本の戦後民主主義社会を押し進めたのは、政治でも経済でも生活文化でも流行でも「組織」であった。自民党の組織選挙と組織政治、日本型企業経営と組合、団地の造成、マスメディアによるブームアップ。

 本書では、そんな戦後民主主義社会がもはや目的を達成してしまって、「組織」が錦の御旗を見失い、「組織」そのものの存在を維持させようとすることに汲々するようになった言わば“手段と目的の転倒”が現代の日本と指摘している。

 

 しかも、そんな時代にインターネットが転がり込んできたのである。

 便利な道具ほど、使い方を間違えると猛毒になる。まさに今のWEB社会は毒と薬がいっぺんに効いている状況だろう。

 インターネットにはいろいろ革命的なところがあるが、社会学的な意味合いとしては、組織のチカラではなく、個人のチカラを押し上げたところにあるだろう。逆に言えば、インターネット以前の時代というのはなにごとも組織に頼り、組織に与さなければならなかった。インターネットはその組織の束縛力を弱め、ガッツとアイデアがあれば、個人でも事を成せるチャンスを大いに作れるようにしたのである。

 実際、インターネットによって発見された“魅力ある個人”は大勢いる。

 ところがマクロな面で見れば、日本はあいかわらず「組織」が強く、日本人は「組織」に弱い。これはもうDNAといってもよい。いくら個性の時代とか個人化の時代といっても、いわばこれは「組織への抵抗としての個人」という相対的な文脈で使われることが多く(あるいは「逃避」としての個人)、世の中のほとんどはやはり組織の論理で動いている。

 だから、インターネットは「個人」のチカラを引きだす一方で、「組織」のパワーとしても使われたり、「組織」の暴力を助長させる方向で使われたりする。

 既得権益の確保の手段としてインターネットを使う。同調圧力という意識の中でインターネットがその増幅効果を発揮する。情報の公開制限と非対象性でヒエラルキーを保つ、という日本型組織論理でインターネットを使おうとする。一人ひとりの個人意見の差異ではなく、累積された星の数で判定するためにインターネットの情報を使う。“匿名の大多数”という組織力にものを言わせて炎上が起こる。無党派にあたるものは「ポピュラリズム」で組織化される。

 組織の力、数の力にどうしてもわれわれ日本人は弱い。とくに本書がズバリと指摘したように、「団塊」は組織に弱い。「団塊」の世代の影響が強い、その下の世代や団塊ジュニアの世代も、このDNAから免れていない。

 もちろん、インターネットは革命的に世の中を便利にした。これからもインターネットはなくならない。それどころか、生まれたときから身近にインターネットがあった「デジタルネイティブ」がいよいよ社会に出てくる。

 だけれど、そうならば「組織」の論理をもう一度検証したい。インターネットがもっとも価値を発揮できるのは「個人」のチカラだからだ。

 

 さて、そんな「組織」に対する怒りをぶつけてきた行為こそがロックの歴史であった。

 ということは、インターネットはロックなのである。ロックはカッコよくなければならない。インターネットはカッコよく使わなければならない。

 まだまだ「組織」がハバを聴かせているとはいえ、個人や、コミュニティという水平的なつながり(旧来の組織とは違う)、あるいはシェアという新しいシステム(実は戦前にはあった)、は着実に台頭してきている。彼らのほとんどがインターネットを武器にし、まさにアーティストがアルバムを発表するように、新しいワールドモデルを世の中に提言していくのだ。

 ロックだぜ!

 


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