読書の記録

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現代経済学の直感的方法

2020年07月18日 | 経済

現代経済学の直感的方法

長沼伸一郎
講談社

 なるほど。本書が示すことは、新古典派と金本位制と自由貿易と仮想通貨(ビットコイン)とデフレとポピュリズムと資本家と消費者が結託、ケインズと管理通貨制と保護貿易と中央銀行とインフレとエリート主義と生産者や企業家が結託するのである。言われてみれば納得である。

 で、どうやら著者は、新古典派の「神の見えざる手」に懐疑的な立場である。市場原理に任せると社会は不健全な方向にいく。
 だからといって左の社会主義派かというとそういうことでもないようだ。まあ確かにこれが世の中を上手に機能させないことは歴史が証明している。

 ただ、持続可能な経済社会の仕組みを考えるには、ケインズのようなある種の介入が必要ということである。

 これは、ほっておくと実体経済よりも仮想経済のほうが膨張し、貿易は加速化し、格差は増大し、経済社会は「縮退」していく、とみているからである。そして市場の自動調整が働いて落ち着くべきところに落ち着くという市場原理の見立ては、そもそも天体物理学をアナロジーにした当時の経済学の見誤りということだ。

 ニュートンの切り開いた地平というのはそこまでインパクトがあったのかとむしろ思うわけだが、経済学も社会学も、なにか方程式が存在するかのようにある種の目的変数に収斂するかのように見立てるのは、これみんな物理学からのアナロジーである。近代社会科学の盲点と言ってよいかもしれない。

 だけれど、人の営みは物理のそれとはやはり違うのであって、むしろ物理学のロジックよりは、生態システムのようなバランスなのではないかというのがここ最近(といってももう四半世紀ほど)の見立てである。生態は必ずしも合理的な最終形にむけてつきすすむわけではなく、そのいきつく先は均衡もあれば破滅もあり、両者をわけるきっかけはほんの些細な事でしかない。市場原理が必ず万人の全体最適を導く保証はないし、だからといってケインズ型の介入がうまくいく保証もないのである。それは研究所のテラリウムのように、永遠の「実験」としか言いようがない。

 では、どのような目標をかかげた「実験」を人々は望むか。施政者は行うべきか。
 ここで著者は、「長期的願望」と「短期的願望」というのを掲げている。
 これは哲学用語でいう「一般意思」と「全体意思」。わかりやすくいえば「長期的な視野」と「目先の欲望」、もっとわかりやすくいえば「アリとキリギリス」である。まともに考えたらせめて実験は「長期的な視野」を目標に行うべきだが、行動経済学でもあきらかのように、人は「目先の欲望」をどうしても過大評価する。新古典派型の市場原理主義が心もとないのは、人は「目先の欲望」で動いてしまい、「目先の欲望」をいくら積み上げても「長期的な視野」にはならないからだ。「目先の欲望」の射程で行う実験結果は、決して万人にとって理想的な持続可能な社会ではないのである。
 かといって鉄の意志で「長期的視野」を射程にした実験をしたとしても必ずうまくいくかというとそんな保証はどこにもないのである。先に触れたように、社会の仕組みはそんな方程式のように未来の結果を計算ではじきだせるものではないからだ。


 そこで思うのが批難轟々のGoToキャンペーンだ。
 GoToキャンペーンは完全に「実験の領域」である。これはシカゴ学派が理論だけで南米の経済政策を実践投入したのと同じである。この政策をやらなければ地方経済が破滅して地銀が連鎖破綻すると言われており、その影響が日本経済全体にどう影響を与えるかは全く不明である。かといって、GoToをやることで感染者が全国に散るとどういうことになるのか、これもわからない。東京だけ対象除外にするとどういうことになるのかもはっきりいってわからないのである。
 人の命がかかっているのに実験もくそもないとは思うものの、本書の見解を借りるならば、経済政策はそもそも実験的なところが伴うのだ。方程式があると思う誤謬のほうが命取りなのである。であるとすれば、GoToキャンペーンの目的は政府にとって「長期的な視野」なのか「目先の欲望」なのか。あるいはこれに反対をすることは「長期的な視野」なのか「目先の欲望」なのか。
 結果がどうなるかわからない実験なのであれば、GoToキャンペーンに求められるのは、感染者が全国に拡大したらとか、思うほど経済効果が出なかったなどの副作用や想定外に対してのバックアップを事前にどこまで準備できるか、ということだろう。実験に危険はつきものであり、そこにセーフティネットを張るのは常識である。GoToキャンペーンに関して政府に望むことは二重三重のバックアップ体制なのだがそこのところはどうなっているのだろう。まさか護衛も燃料も中途半端なまま沖縄に出向いていった戦艦大和の出航のようになっているんじゃあるまいな。


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