読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

三体Ⅱ 黒暗森林 (ネタばれあり)

2020年07月11日 | SF小説
三体Ⅱ 黒暗森林 (ネタばれあり)
 
劉慈欣 訳:大森望
早川書房
 
(三体はこちら。三体Ⅲはこちら
 「三体」は三部作ということだが、この第2部で完結しちゃっている感じがする。第1部の終結部はあきらかに後編に続く体だったが、第2部は「お見事!」と拍手喝采したくなる大団円である。ということは第3部はむしろ続編としての位置づけになるのだろうか。なんでもこの第2部をはるかに超す超大作なのだそうだが。
 
 「三体」第一部でも感じたし、第二部「黒暗森林」でも強く思ったことは、このSFは万国的に通用する内容でありながら、やはり中国人の血を感じさせる独特の感受性が通底を支配しているということである。トリッキーな設定である「面壁計画」や、独立国家化した「宇宙艦隊」の様子をみるに、古来から近代までの中国の歴史の痕跡がみられる。
  つまり、SFではあるけれど、国民文学とも言いたくなるような鑑賞も可能なのである。(こういう深読みで遊ぶのもまた楽しいのである)
 
 たとえば「面壁計画」。一見したところ荒唐無稽なアイデアに感じられるが、欺瞞こそがサバイバルの秘訣という思想は案外バカにできない。しかもこのような欺瞞工作こそが人類の特徴であることを、はからずも「三体人」からの目線として語っていたりする(三体人は隠し事ができない)。面壁者のように「本当は何を考えているかわからないようにする」という技術を必要とする歴史が中国には確かにあったわけだし、「三体」においても第一部の文化大革命のシーンではこのことが随所に出てくる。人類の歴史は隠し事でつくられてきた、とでも言いたいようだ。
 そして「大峡谷時代」よりも後に生まれた「新人類」の、疑いを知らないピュアな精神は、そのピュアさが仇になり、三体人のまったく予想もつかぬ攻撃に、一瞬にして存亡の危機にまで叩き落される。「ピュア」は脆いのだ。そして旧世代の面壁計画は復活し、最後まで人を欺き、「三体」に勝利するのである。
 
 それから宇宙艦隊。「ヨーロッパ艦隊」「北米艦隊」「アジア艦隊」というこれらの艦隊は、地球上の国家から独立した国家とみなされている。これらの独立国はそれぞれのガバナンスを持つ(「星艦地球」の国家設立にむけての議論はたいへん興味深い。微妙に中国をディスっている気もするが・・)。しかし、これらの独立国は三体が飛ばしたたった1隻(?)の「水滴」によってなんともあっさりと殲滅される。造反的行為で戦場から離脱していた「星艦地球」をはじめ、生き残った艦隊も一致団結するかと思いきや他の艦隊との生存競争のための同士討ちを始めてしまい、二隻を除いてあっという間に破壊されてしまう。「水滴」による一方的な殲滅行為と、残存戦艦による同士討ちによってついに太陽系に展開されていた国々は崩壊するのだ。このあたりのカタルシスはユーラシア大陸に勃興した国々の興亡の歴史をみる思いがする。「水滴」による高速かつ容赦なき破壊は、チンギスハンひきいる騎馬軍団の蒙古のそれではないか。
 で、改めて考えるに、外敵内敵につねに脅かされる状況というものを、日本人が歴史的教養と想像力で描くのと、中国人が受け継がれ聞き継がれて沁みついた本能的感受性で描くのでは、描写に大きな違いがあらわれるのではないか。
 たとえば、日本人の場合はこういう興亡はもっとドラマチックな描写になるような気がする。ドラマチックというのは、もっと演出が過剰になるとか、細部の登場人物への心理描写がクローズアップされるということだ。つまり感情移入したくなる描写である。しかし、実際の大陸における破壊と殺戮の歴史というのは、もっとあっけないほどに刹那的で、そして後に何も残らないほどの超破壊的なものだったのではないかとも思うのである。
 つみあげてきた個人や集団や社会の歴史はそれなりに重層的なのに、それがあっさりと死んでしまったり消失してしまうことがこの三体では非常に多い。あれほどその人生を克明に描写された章北海も丁儀も、その成立から国家宣言までを描いた「星艦地球」も、いくらなんでも淡泊すぎるんじゃないかと思うくらいになんともあっさりと消失する。今までの分厚いエピソードはなんだったの?と言いたくなるくらいだ。とにかくエピソードが生かされないというか、何かが生き残って次にバトンタッチするようなことがほとんどなく、人も組織もやたらにバッドエンドで終わるとでも言おうか。この「大陸的無常観」こそは梅棹忠夫が「文明の生態史観」で触れていたユーラシア大陸の姿ではないかと連 思ったのである。やたらに出くわすバットエンドと一からやり直しのくりかえしの末にようやく未来につながる正規ルートを見つけるーー「三体」で描かれる人類の歴史はそんなヒストリーだが、これは大陸の興亡史そのものである。
 
 
 閑話休題。本書の前半に登場する人類は400年後の未来を想定しながら試行錯誤するわけだが、実際に400年後の地球の命運を背負って責任ある動きを人類はどのくらいいるのだろうか。
 
 目下の地球は気候変動が激しくなる一方で、100年後には平均気温は4℃上昇するとか、そうなってくると自然循環・生体環境その他は著しく激変してもはや人間は現在のような安寧な環境では生活できないと予測されているものの、改善にむけての世界全体の動きは鈍いように思う。怒れるグレタさんに共感する若い人は少なくないものの、大多数は冷ややかで距離を保っている。宇宙人が攻めてくるというのは地球の危機としてたいへんわかりやすいのだが、地球自身の内なる変化だと感度は非常に鈍くなるというのは直感的に思うところだ。
 
 また、人類存亡の危機という観点では、400年後どころか10000年後の地球の命運を背負ったプロジェクトが実際に存在する。高レベル放射性廃棄物の処分という問題だ。高レベル放射性廃棄物という原子力発電の副産物を処理する目途がないまま原発の運転を始めてしまった人類にとって、これは間違いなく将来待ち構えている時限爆弾である。いまのところ高レベル放射性廃棄物は「地面の下に埋める」というのが国際条約上の合意となっている。しかし、放射性物質が無害になるには10000年以上かかるとされ、地下に埋めたそれらが10000年のあいだに地上に露出しないよう管理しなければならない。しかしいったいどうやって? 技術的あるいは科学的説明がされてはいるものの、いくら論理を語ったところで詭弁でしかないだろう。10000年前の人類(?)が当時の最新知見で10000年経っても大丈夫といったところでなんの説得力もないように、いまの科学的知見を結集したところで10000年後の保証などできるわけがない。まして、活断層ひとつとっても想定外とか計測範囲外というものがぞくぞく見つかっているのであって、数十年後には地中に埋めた放射性廃棄物が事故る可能性だって十二分にあるではないかと思うのである。さらにいえば、諸外国の中には放射性廃棄物を地下に埋める場所が決まっている国もあるが、日本ではまったく検討が進んでいない。というか、いまの行政の仕組みでは無理だと思うし、無理のままで結構であるとも思う。
 だけれど、この問題については社会の関心はほとんど見て見ぬふりである。
 
 「三体」は、つきつめれば宇宙人が地球を侵略に来る話であるが、地球人類の本当の敵は「人類自身が過去になしてきたこと」というのはこれはもう明白な現実であろう。本書の解説によれば「三体」における「三体人」や「黒暗森林」はインターネットのメタファとしても読めると書かれているが、僕は未来にしかけらた時限爆弾に対しての人類の危機意識の希薄さのようなものの気がしてならない。
 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 良い戦略、悪い戦略 | トップ | 現代経済学の直感的方法 »