読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

社内政治の教科書

2015年02月08日 | ビジネス本

社内政治の教科書   「課長」から始める 

高城幸司


 管理職というものになってまもなく2年なのだがいまだに慣れない。

 現場時代、出世というものに無欲で、名前を売り込む気もなく、上司に注目されたり干渉されたりするのも嫌だった。好きにやらせてくれて、適度な評価で、適度な給料で、とそれで十分だった。

 だから、自分が管理職になって、2つの面で困ってしまったのである。

 まず一つ目は、どうも管理職というのは自分の会社に関心がないといけないのだが、僕はクライアントや成果物に関心がもてても、自分の会社への関心が非常に薄いということである。会社がどういう経営方針で、どういうことをしようとしているのか、そのためには組織としてどうあらねばならないかなどということは、現場時代からまったく無頓着で、役員の名前なんかもよくわかっていない。だから経営陣からの通達事項の解釈とか、上へのレポートとか、そういうもののツボがいまだにわからないでいる。

 もうひとつは、管理職になると当然部下を持つことになるのだが、部下の中には出世欲とか、自分は会社から正当な評価を得てないと不満を抱いている人とかいるわけなのだが、その人たちの気持ちを僕がいまいちシンクロできていないことである。そんなに出世ってしたいかなあ。そんなに評価ってされたいものかなあ。そんなに上司にかまってもらいたいかなあ。

 こうして書いてみると、僕みたいな上司がついてしまった部下が気の毒になってきた…

 

 というわけで、本書である。なかなか評判がよいらしいので手にとってみた。

 そしたら、「課長にとって「社内政治」は最重要の仕事である」と断言されてしまった。とほほ。やっぱりそうなのか。気が重いなあ。

 本書では、議論で勝とうとするな、社内横断的な人脈をつくれ、2つ上の上司に手短に報告しろ、相手に喋らせ、自分はコトバ数を少なくしろ、部下には自分は経営サイドであるという建前だけは崩すな、閉鎖的な縦の信頼関係に依存しすぎるとかえって危険などいろいろと指南があるが、横断的に指摘していることとして、「いかなる相手に対しても、だれか他人の批判や悪口に当たることを言わない」ということを繰り返し言っている。その批判の対象が上の人であろうと下の人であろうと。部下の経営批判に同調してもいけないし、かといって部下の経営批判を封じてもいけない。気に入らない上司の批判を他でつい口に出してもいけない。そういえば、ついつい軽口のつもりで言っちゃってるなあ。反省である。
 これは、何がどうめぐりめぐって、本人の耳に入ったり、第3者からの自分への評判に影響したりするかわからないからである。確かに、僕自身ほかの人の口から、あの人ほんとはこんなこと言ってるんだよ、なんて聞かされることがある。もちろん他愛ないようなことがほとんどだ。でも、たしかに僕は、ふーんあの人もあんがいたいしたことないんだな、なんて思ってしまうから、ということは自分の言動もまた誰か他人の口に上っているおそれはあるわけだ。

 もうひとつ大事なことは、部下に対しても上司に対しても「あなたはわたしにとって重要な人である」というメッセージを常に出し続ける、ということだそうだ。具体的には、あいさつをちゃんとする。相手の名前をちゃんと言う。相手に固有のことを仕事でもプライベートについてでもちゃんと把握する。あえて相談をもちかける。そのためには相手が何をしているか、何を期待しているかをちゃんと見ているということ。
 自分を顧みるについつい朝先に来ているヒトへのあいさつを省略して自分の席に座ったり、上司に相談の過程をとばして決定事項だけ伝えたりしてしまったり、部下につい汎用的なほめ言葉で済ませちゃったりしているなあ。これも反省である。
 人は、自分こそが必要とされている人のために、一生懸命働く。たしかにそうなのだ。で、それは毎日ちゃんと挨拶してくれたり、ふだんなかなか会わない人でも、会えば名前を読んでくれたり、こんなこと考えているんだけどどう思う?と相談してくれる人である。


 社内政治というと、権謀術数の気配を感じるが、つまりは社内でちゃんと尊重される立場になるということである。で、実は部下や若い人から信頼され、支持されている管理職が、長期的には社内政治に勝つ、というのが本書の指摘である。まあ、そうだろうな。上からのウケはよくても、下からのウケが悪い人は僕も何人も見てきたが、どこかでしっぺ返しをくらっている気がする。
 しかし、下からのウケというのはなかなか難しいものであって、単に経営や上司の悪口を、下と一緒に言っているだけでは、一瞬同調感ができているように見えてもそれは錯覚である。実際それで経営を変えることができれば別だが、そんなことできるわけがないので、ただの無力を露呈するだけである。たしかにかつてそんな上司が僕にもいた。


 まあ、これを読んだからといって僕の管理職業というものへの苦手意識はやっぱり消えず、あいかわらず経営への興味もないのだけれど、「いかなる他人の悪口も言わない」「相手を必要としていると思わせる」ことだけはまず心がけようと思う。
  


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« どうすれば「人」を創れるか ... | トップ | 文体の科学 »