読書の記録

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はだしのゲン

2013年08月24日 | コミック

はだしのゲン

中沢啓治

 

 たまたま子どもの小学校に行く用事があり、ついでに図書室に入れる機会があったので覗いてみたら巷で話題の「はだしのゲン」が全10巻ならんでいた。

 僕もご多分にもれず、「図書室で唯一読めるマンガ」ということで「はだしのゲン」を手にしてしまい、その阿鼻叫喚の世界の罠にかかってしまったひとりである。たぶんこの小学校にも、ついつい開いてしまってもう後戻りできずに目を離せなくなってしまった子どもがいっぱいいるのだろう。

 作者の生前のコメントに、あえてトラウマになりそうなことを描くことで、戦争というものがどれだけ人を狂わす恐ろしいものかを叩き込もうとしたのだというのを見たことがある。その作者の執念というべき思いはかなりの確率で適ったのではないかと思う。

 

 さて、松江市教育委員会が自由閲覧禁止を通達し、閉架にしてしまった。その言い分は、作品の価値は多いに認めながらも一部の描写に日本兵の蛮行など残酷な描写があり、これを理由に「閲覧許可制」にした。「許可制」だから禁止したわけではない、というものである。

 「申請すれば読めるのだから禁止ではない」というのは詭弁もいいところであって、大津市のいじめのときもそうだったが「教育委員会」というのは狡猾で陰険でそのくせ横柄なつまり「イヤなオトナの見本」みたいなところである。

 しかも、コトのきっかけとなったある市民からの陳情そのものは、市議会で不受理としながらも、教育委員会がその陳情内容とはべつにその残酷描写を理由に議会判断のプロセスを経ずに市内小中学校に自由閲覧の禁止を通達したようである。

 

 ここからは僕の想像である。過日ひさしぶりに小学校の図書室にはいって、はだしのゲンを読んでみた僕の想像である。

 たしかに「はだしのゲン」は広島の原爆による悲惨さを描いたマンガである。原爆の熱線で皮膚がどろどろに溶けた人や、ガラスの破片が全身に刺さった人、あるいはウジがわく描写は多くのオトナがいまだ記憶にとどめているものだろうと思う。
 だが「はだしのゲン」がいったいどんなストーリーだったか、全10巻でゲンはどういう人生を歩んできたか、を克明に覚えている人は案外に少ないのではないかと思う。

 そして、たぶんだが、松江市教育委員会のメンバーは「はだしのゲン」を少なくとも全10巻を読んではいなかったと思う。その某市民の陳情があったまでは「はだしのゲン」とは「原爆の被害を描いたマンガ」以外の認識はなかったに違いないのである。

 なので、その某市民が間違った歴史認識、日本軍の蛮行のシーンといって具体的にそのページを見せたとき、驚いたはずである。(この某市民についてもネットで検索するといろいろ噂されているようだ)
 朝のワイドショーでその「日本軍の蛮行」と呼ばれるコマが数秒あらわれた。

 僕は、図書室でそのコマと思われるシーンに遭遇した。それは第10巻なのだが、しかし教育委員会が本当にやっかいだと思い、かつ各学校がその通達にしたがった本当の理由はその「日本軍の蛮行」というよりも、そのシーンをふくむエピソードそのものだったのではないかと思う。

 そのエピソードというのは、ゲンが通っていた中学校の卒業式なのである。
 ゲンの中学校はこの卒業式で「君が代」を生徒に歌わせるのだ。そして、ゲンは「君が代」を歌うことに反対するのである。そしてこれはどう考えてもこの戦争の責任者であるはずの天皇を崇拝する歌であると教師に対して抗議し、ついに君が代を歌わずに、かわりに生徒全員で「青い山脈」を歌う。

 僕は、このようなエピソードがあることはすっかり失念していた。全10巻読んだつもりであったが、なまじ前半の描写が凄まじいだけに、後半のほうを忘却していたのである。

 教育委員会が動揺したのはこの君が代拒否と天皇責任問題のところが最大の理由だったのではないかというのが僕の推測である。下手な抵抗をみせずに小中学校が従ったのもまたここが大きいのではないか。国が「とくに問題はない」とコメントしたのもここがあったからではないか。

 小中学校の卒業式で君が代を歌う歌わないは極めてセンシティブなテーマで、多くのセンセイたちはできるだけ不問に穏便に済ませたいことだろう。
 教師の個人的抵抗はあっても多くの公立の学校では君が代は歌われている。その学校の図書室に「君が代を歌わないマンガ」が配架されているということを、松江市教育委員会は、その市民の陳情で始めて知ったに違いない。
 だが、これを理由に閉架処置を通達するとまた大騒ぎになることは火をみるよりも明らかであり、その変わりに理由にしたのが「日本軍の蛮行」である(これはこれでなかなかエグイのだが)。

 以上は僕の勝手な推測である。

 

 「はだしのゲン」というマンガはなかなか骨太で、単なる原爆憎しマンガではなく、戦争にまつわるもの全てふくめて、軍人から銃後の生活者まで国を問わず「戦争とはここまで人を狂わせる」ことを描いたマンガであった。いろいろ狂わされたゲンや仲間たちがアウトローな世界にもまれながら、それでも生きていかなければならなかったという、これがこの作品の底力である。

 僕はこういうのが学校図書館にあってもいいと思う。

 戦争はいけません、というテーゼは実にたやすい。「かわいそうなゾウ」から「ひめゆり」まで戦争の犠牲の話は学校の内外で触れる機会は多い。
 だが、どちらが加害でどちらが被害とか、どちらが正しくどちらが正しくないとかではなく、清濁関係なくすべてをぐちゃぐちゃにしてしまう「戦争とはどれだけイヤなものか」をここまで克明に、しかも子どもにもわかるように描いた作品はやはりほかになかなかないだろうと思う。
 異形の名作なのである。

 

 

 


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