読書の記録

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大学・中庸

2020年02月07日 | 哲学・宗教・思想
大学・中庸
 
編:矢羽野 隆男
角川ソフィア文庫
 
 「中庸」という言葉があることは10代のころから知っていたが、どちらかというとネガティブな意味でとらえていた。これが褒めコトバの範疇であることを知ったのはずっと後になってからのことである。
 そして、この「中庸」を極めるということの至難さを感じるのは本当にごく最近になってからだ。
 
 「バカは極論に走りがち」というこれまた極論もあるが、何かにエッジをたてることで自己主張をしたり、自己肯定をしたりすることは芸術表現行為でも自分の人生観や仕事観をつくるうえでもとても多い。個性とはどこかエッジがたっている、ということでもある。
 しかしエッジがたつ、というのは、ある中心点があってそこから距離があるということである。その「距離」に価値がある。
 
 言い方を変えれば、エッジというのは要は中心からの「偏り」であって、そこに主義主張や美を見出すのは「偏りの徳」「偏りの美」ということである。
 
 誤解を恐れずにいえば、「偏りの徳」「偏りの美」というのは徳や美の追求としては容易い行為ともいえる。真に難しいのは、「偏らず」に主義主張や美を体現させ、それを周囲に認めさせることである。「偏りの美」があくまで相対的な観点で美を見出すのに対し、中庸の美は絶対的なものなのである。もしも「中庸の美」が本当に実現できれば、その主義主張や美は、偏っていない分だけ、普遍的で万人向けということになる。それは主義主張や美の作り手に、中心点の位置やそこからの相対的な距離、という物差しをつかわずに美をつくることを要求する。これはかなりの才覚を要する。
 
 また、仮に作り手が「中庸の美」を極めてとして、その「中庸の美」を鑑賞者や評価者といったすなわち他人が認めるには、その評価者もまたそれだけの審美眼を必要とすることになる。主義主張や芸術を鑑賞し、評価するとき、「偏っている」もののほうがその是非の判断、醜悪の評価がしやすい。左脳だけでなく、右脳的にも刺激されやすい。中心点から隔たった距離、その差異こそが審美のポイントになるからだ。ゴッホの絵が異常に刺激的なのは、あの異様な筆致と色使いに由来することに異ならないが、ゴッホの芸術というものが「中庸」というよりはきわめて「偏った」芸術ということでもあろう。「偏った」芸術は極めて「鑑賞しやすい」ものである。(生前まったく評価されなかったのも表裏の関係で、あの「差異」が醜悪とみなされたのである)。
 他者の中庸の美を判断できるだけの審美眼を持つことは、自分の中庸の美を体現することとと同じくらい困難なことに思う。悟りというのに近い心境かもしれない。
 
 
 ややもすると「中庸」というのはバランス感覚のことと解釈してしまいがちだが、バランス感覚には処世術とか平均値とかいったニュアンスもある。”いずれもから適度な距離をとる”という相対主義の集合体みたいな思考回路である。これは「絶対」とは言わないだろう。真に中庸な人は「バランス感覚」なんて言わないのではないか。
 
 何があろうとも動ぜず、その状況を是とし、その環境のままに最善にもっていく。そういうのが「中庸」である。中庸の本家である四書の「中庸」によれば、何にも寄りかからずにあり続けられる。それこそが中庸の本質だ。
 
 往年の名ピアニストにルービンシュタインという人がいた。同時代のライバルであるホロヴィッツとは対極の芸風だった。ホロヴィッツは、その演奏を指して「聞くものを狂わせる」と言われ、薄氷を踏むような研ぎ澄まされた狂気すれすれのピアニズムでスタンダードからはかなり遠いものであった。すなわち「偏った美」であり、その美の極北とでもいうべきもので、この芸風は晩年まで続いた。そこにみんな熱狂したのであった。
 これに比すると、ルービンシュタインはかなり「中庸」にして大家となった芸術家と言える。彼も若いころは彼なりに偏った芸風だったが円熟さを増し、老いにしたがって中庸の高みに行きついた。
 
 そんな彼の名言にこんなのがある。
 
 私は人生をあるがままに受け入れる。人生とは多くの、より多くの幸福を内蔵しているものだ。たいがいの人は幸福の条件をまず考えるが、幸福とは人間が何の条件も設置しない時、はじめて感じることができるものだ。(吉田秀和 世界のピアニスト 所収)
 
 中庸すなわち幸福への道なのである。
 

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