中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策(案内)179 「東京中心部南 661」 東京駅

2021-07-31 06:25:09 | 東京中心 南

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です 

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ) https://blog.goo.ne.jp/sosamu25

 

東京駅

東京駅(とうきょうえき)は、東京都千代田区丸の内一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海旅客鉄道(JR東海)、東京地下鉄(東京メトロ)のである。JR東日本の在来線新幹線各路線、JR東海の東海道新幹線地下鉄丸ノ内線が発着するターミナル駅である]

1889年明治22年)に神戸駅まで全通した官設鉄道の新橋駅と、私鉄・日本鉄道上野駅を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年(明治29年)の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。施工は大林組が担当。日露戦争終結後の1908年(明治41年)から建設工事が本格化し、1914年大正3年)12月20日に開業した。中央停車場は皇居の正面に設定され、東京駅と命名された。

建設

ドイツから招聘されて日本の鉄道建設を指導していた技術者フランツ・バルツァーにより駅の位置や規模、構内の配置が決められた。駅舎は繁華街のある東側(現在の八重洲側)ではなく、陸軍の練兵場跡地だった西側(現在の丸の内側)と決まった。皇居の正面と対峙することになり、国家の象徴的な位置付けであった。プラットフォームレンガ積の高架式4面8線で、新橋駅まで複々線の高架橋が計画された。東側には貨物ヤードが置かれることになった(後に車両基地に変更)。バルツァーは日本風の駅舎を提案していたが、日本側に反対意見が多くバルツァーの構想は実現しなかった。

駅舎は辰野金吾葛西萬司が設計し、埼玉県深谷市から鉄道輸送されたレンガ[※ 7] と鉄筋造り、3階建て総建坪9,545m2・長さ330mの豪壮華麗な洋式建築である。南北にそれぞれドーム状の屋根があり、当時は丸の内南口が乗車口、丸の内北口が降車口と分けて使用されていた。中央の玄関は皇室専用とされ、規模は小さいものの、細かい装飾が各所に施されていた。中央玄関と東西の一般出入り口との間に、各1つ別の出入り口があるが、これは荷物の搬入搬出口として設けられた。開業年の1914年は第一次世界大戦の開戦の年でもあり、青島の戦いを指揮した陸軍司令官神尾光臣中将が凱旋し、皇居に参内するイベントに合わせて開業式を行った。

アムステルダム中央駅が当駅舎を設計する際のモデルになったという説があるが、1988年以降に藤森照信らをはじめとする西洋建築研究者により設計者の系譜や建築様式の両面から、否定的な意見も出ている(要出典)。辰野は英国留学の経験があり、首都ロンドンのターミナル駅を参考にした可能性もある(以降は歴史年表を参照のこと)。

発展

1919年(大正8年)3月1日に中央本線が、1925年(大正14年)11月1日に東北本線が乗り入れ、1929年昭和4年)12月16日には東側に八重洲橋口(現在の八重洲口)が開設する[※ 8] など、徐々にターミナル駅としての体裁を整えていった。

1923年には関東大震災で被災したものの大きな被害はなく、1935年1940年満州国皇帝溥儀の来日においては昭和天皇が出迎えに来たほか、チャーリー・チャップリンの東京来訪や、1938年ヒトラーユーゲントの来日などにおいては東京の玄関口として機能した。

戦災と復興

 
空襲で焼失した駅舎(1945年)
 
駅周辺の白黒空中写真(1963年6月)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
 
戦災復旧後、復元工事以前の丸の内口駅舎の近景(1997年)

太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月25日、アメリカ軍による東京大空襲では丸の内駅舎の降車口に焼夷弾が着弾、大火災を引き起こした。これによりレンガ造の壁やコンクリート製の床など構造体は残ったが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われた。

同年8月の終戦直後から修復計画を立案し、年末から1947年(昭和22年)にかけて修復工事を行った。3つのドーム部分の外壁は修復したが、安全性に配慮してその他の焼失の著しかった3階部分内外壁は取り除いて2階建てに変更。中央ドームは木造小屋組で元の形に復原し、南北両ドームは丸型から台形に変更。軒蛇腹・パラペットや壁面、柱型、窓枠などは2階建てになっても忠実に復原した。南北ドーム内のホール天井はローマパンテオンを模したデザインに変更[※ 9]、といった内容だった。

仮の修復だったが、当時の鉄道省や大林組の努力で日本の中央駅として恥ずかしくないデザインで修復をした逸話が伝えられている[8]

一方、八重洲口には、1948年(昭和23年)11月16日にモダンデザイン建築の八重洲駅舎が竣工したが、翌1949年(昭和24年)4月29日に失火で焼失。1954年(昭和29年)10月14日に鉄道会館ビルが建てられ大丸が開業した。外堀が埋め立てられて、呉服橋、八重洲橋、鍛冶橋が解体撤去された。

近年

1964年(昭和39年)10月1日に東海道新幹線が開業し、1972年(昭和47年)7月15日には総武地下ホーム、1990年平成2年)3月10日には京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始。1991年(平成3年)6月20日には東北新幹線が乗り入れた。

2000年(平成12年)、丸の内駅舎を創建当初の姿に復原する方針がまとめられた。500億円とされた復原工事の費用は、東京駅の容積率を丸の内地区の高層ビルへ移転(売却)することで賄うことになった。復原工事自体は、2007年(平成19年)5月30日に起工[報道 1] され、2012年(平成24年)10月1日に完成した[報道 2]

2015年(平成27年)、上野東京ラインが開業。東北新幹線の東京駅乗り入れに伴い1983年以来分断されていた東京駅 - 上野駅間の東北本線の線路が再接続され、東海道線との直通運転が実現した。

 

 

 

 

 

20160625  東京南 碑・像
東京都中央区日本橋
    東京丸の内界隈
 東京駅は、JR線の5つの新幹線と11の在来線それに東京メトロ丸ノ内線が乗り入れる、日本の中心駅です。東京駅を発車するほとんどの電車・列車が「下り」であるのもその象徴です。丸の内口は東京駅のシンボルである赤レンガ造りの駅舎になっていて、2012年に建設当時の3階建ての姿に再建されました。この赤レンガ駅舎には「東京ステーションギャラリー」や「東京ステーションホテル」があり、「赤煉瓦コンサート」の名称で演奏会も行われるなど、駅そのものが観光スポットです。また、丸の内口周辺は再開発が行われ、日本を代表するビジネス街であったかつての面影は一変しました。丸の内ビルディング、新丸の内ビルディング、丸の内オアゾなどの複合商業施設が開業し、今では駅前の観光スポットとして、多くの観光客の熱い注目を集めています。「ファインドトラベルhp」

 

 

 

 

20160625  東京南 碑・像
東京都中央区日本橋
東京駅丸の内界隈
 東京駅は、JR線の5つの新幹線と11の在来線それに東京メトロ丸ノ内線が乗り入れる、日本の中心駅です。東京駅を発車するほとんどの電車・列車が「下り」であるのもその象徴です。丸の内口は東京駅のシンボルである赤レンガ造りの駅舎になっていて、2012年に建設当時の3階建ての姿に再建されました。この赤レンガ駅舎には「東京ステーションギャラリー」や「東京ステーションホテル」があり、「赤煉瓦コンサート」の名称で演奏会も行われるなど、駅そのものが観光スポットです。また、丸の内口周辺は再開発が行われ、日本を代表するビジネス街であったかつての面影は一変しました。丸の内ビルディング、新丸の内ビルディング、丸の内オアゾなどの複合商業施設が開業し、今では駅前の観光スポットとして、多くの観光客の熱い注目を集めています。「ファインドトラベルhp」

 

 

 

 

 

 

 

 

第56回 霞ヶ関見学② 国会ゆかりの施設の旅

 平成31年5月14日(火) 

10時30分 東京駅丸の内南口改札出口(郵便局側)集合 15時 有楽町or東京駅 東京-三菱一号館美術館-皇居外苑-日比谷公園-法務省展示室- 赤れんが棟憲政会館-食事-皇居(見学)--有楽町or東京 ランプラント 肉本来のコクと脂の美味しさを追及した世界でも注目され“幻の和牛”と言われる「尾崎牛」とイタリア3大牛のひとつと言われ低脂肪&低コレステロールのヘルシーな赤身牛「ファッソーネ・ピエモンテ牛」の食べ比べをタパスやトリュフを使った一品料理と共にカジュアルな雰囲気の中でランチタイムもディナータイムも楽しめるビストロです。定期的に変わる6種類の生クラフトビールがオススメ商品。約40種類のクラフト瓶ビールと自然派を中心に揃えたワインもラインナップ。ビジネス系パーティや女子会、歓送迎会、結婚式2次会貸切パーティなども絶賛受付中。10名様までの個室もご用意しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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