中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策(案内)153 「東京中心部南 635」 清水谷公園

2021-07-05 03:44:52 | 東京中心 南

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です 

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ) https://blog.goo.ne.jp/sosamu25

 

大久保利通の哀悼碑が建つ、お花見と紅葉狩りの名所「清水谷公園」

江戸時代、この土地には紀州徳川家、尾張徳川家、井伊家の屋敷があり、紀州徳川家と井伊家の境からは清水が湧き出していたため、この一帯は清水谷と呼ばれていました。なお、この清水を人工的に復元したのが現在の「清水谷公園」にある心字池です。

そして明治維新後の1878年(明治11年)、維新元勲三傑の一人の大久保利通が赤坂仮皇居へ出仕する途中に、この清水谷で石川県の士族である島田一郎らの手により、大久保利通が暗殺される「紀尾井坂の変」が勃発します。この事件は当時、世に衝撃を与え後の「清水谷公園」となった暗殺現場に、大久保利通哀悼碑が建てられました。

その後、1890年(明治23年)にこの一帯の土地が東京市に寄贈され都市計画の一環で「清水谷公園」として開園しました。そして1956年に一度都立公園となった後、1965年に千代田区に移管され現在に至ります。

ちなみに、「清水谷公園」のある井伊家屋敷跡は現在「ホテルニューオータニ東京」も建ち、紀州徳川家屋敷跡は「東京ガーデンテラス紀尾井町」、また尾張徳川家は上智大学のキャンパスが建っています。

この「清水谷公園」は四季折々の景色を望めるのも特徴です。春には、園内に植えられた染井吉野やしだれ桜が花を咲かせ、公園に面した八重桜の並木道が辺りを桃色に染め上げます。また、秋になると紅葉や銀杏が色とりどりに色づき始め、季節の移ろいを感じられます。

大久保利通を取り巻く歴史と、それぞれの四季の表情を楽しめる「清水谷公園」。高層ビルに囲まれた場所でありながら都会の喧騒を忘れさせる「清水谷公園」は、お花見や紅葉狩り、歴史の名所巡り以外にも、園内のベンチに座って自然を感じながらリラックスするのもおすすめです。

 

清水谷公園(しみずだにこうえん)は東京都千代田区紀尾井町にある千代田区立の公園。都内日野市豊田などにも同名の清水谷公園があるが、本項では千代田区の公園を説明する。

概要[編集]

清水谷公園のある紀尾井町は町名の由来の通り、江戸時代紀伊紀州徳川家)、尾張尾張徳川家)、井伊(井伊家)のそれぞれの屋敷があった場所[1]。紀州徳川家と井伊家の境からは清水が湧き出し、一帯は清水谷と称されていました。1890年(明治23年)に一帯の土地が東京市に寄贈され、清水谷公園として整備。1965年(昭和40年)に千代田区に移管され、現在は区立公園になっている[2]

公園内の高さ 6.27 m の大久保利通哀悼碑を中心に、心字池や各種樹木があり、界隈を行きかう人々の憩いの場となっている。特に周辺を含め八重桜が多く植わっており、春の開花シーズンに多くの人々が訪れる。2001年平成13年)に公園の一部がリニューアルされた。

学生運動の盛んな1960年代から70年代にかけて、デモ集会の場としても知られた[3]

沿革[編集]

隣接の東京ガーデンテラス紀尾井町を含む区画一帯は、江戸時代まで紀州徳川家の上屋敷があり、清水谷公園西側の道を境に、井伊家の中屋敷と接していた[4][2]

井伊家との境目付近が谷だったことと、井伊家との境目付近の紀州徳川家の屋敷から清水が沸き出ていたことから、付近は「清水谷」と呼ばれた(清水は涸れたため、人工的に復元した湧き水が公園内にある)。

明治維新後の1878年明治11年)東京府東京市麹町区三年町(現在の千代田区永田町一丁目)に自宅を構えていた維新元勲三傑の一人の大久保利通が、赤坂仮皇居(現在の迎賓館赤坂御用地)への出仕途中に、当地(麹町清水谷)で暗殺された(いわゆる「紀尾井坂の変[1])。この事件は人々に衝撃を与え、後に暗殺の現場に大久保利通哀悼碑が建てられた。

哀悼碑の建立者から付近一帯が東京市に寄贈されたのを受け、都市計画で公園として整備され1890年(明治23年)3月「清水谷公園」として開園した[5]

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

20180322 東京南 桜・碑
東京都港区千代田区紀尾井町
        清水谷公園
  公園を入った正面に「贈右大臣大久保公哀悼碑」があります。明治11年(1878)に時の参議兼内務卿の大久保利通がこの付近で暗殺されました。同僚の政府官僚により暗殺地に近いこの地に大久保の業績を称える石碑が建立されました。明治21年(1888)に完成した石碑は、高さ約6mにおよび、表面の碑文は太政大臣三条実美の揮毫によります。
 この地は、明治23年(1890)から東京市の公園とされ、現在も都会の喧騒を忘れさせる落ち着いた佇まいをみせています。石碑は、千代田区の文化財に指定されていますが、この他にも園内には麹町大通り拡幅工事の際に出土した玉川上水の石枡が展示してあります。また、中央入口から見て大久保公追悼碑の左側に池があります。 小さな滝もあり、 池面に映る周囲の樹木やビルの姿とともに見る人にやすらぎを感じさせます。 

 

 

 

20140703      碑・東京中心南
東京都千代田区紀尾井町
清水谷公園
  江戸水道の石枡と木樋
 公園を入った正面に「贈右大臣大久保公哀悼碑」がある。明治11年(1878)に時の参議兼内務卿の大久保利通がこの付近で暗殺されました。同僚の政府官僚により暗殺地に近いこの地に大久保の業績を称える石碑が建立された。明治21年(1888)に完成した石碑は、高さ約6mにおよび、表面の碑文は太政大臣三条実美の揮毫による。
 この地は、明治23年(1890)から東京市の公園とされ、現在も都会の喧騒を忘れさせる落ち着いた佇まいをみせている。石碑は、千代田区の文化財に指定されているが、この他にも園内には麹町大通り拡幅工事の際に出土した玉川上水の石枡が展示してある。 また、中央入口から見て大久保公追悼碑の左側に池があり、 小さな滝もある。 池面に映る周囲の樹木やビルの姿とともに見る人にやすらぎを感じさせてくれます。

 

 

20140703      碑・東京中心南
東京都千代田区紀尾井町
清水谷公園
贈右大臣大久保公哀悼碑
 公園を入った正面に「贈右大臣大久保公哀悼碑」がある。明治11年(1878)に時の参議兼内務卿の大久保利通がこの付近で暗殺されました。同僚の政府官僚により暗殺地に近いこの地に大久保の業績を称える石碑が建立された。明治21年(1888)に完成した石碑は、高さ約6mにおよび、表面の碑文は太政大臣三条実美の揮毫による。
 この地は、明治23年(1890)から東京市の公園とされ、現在も都会の喧騒を忘れさせる落ち着いた佇まいをみせている。石碑は、千代田区の文化財に指定されているが、この他にも園内には麹町大通り拡幅工事の際に出土した玉川上水の石枡が展示してある。 また、中央入口から見て大久保公追悼碑の左側に池があり、 小さな滝もある。 池面に映る周囲の樹木やビルの姿とともに見る人にやすらぎを感じさせてくれます。    

 

 

 

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