THE WAY

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

血の繋がり

2012-05-31 19:03:36 | セッション記録
3歳で親と離れなければならなかった私は
親とは縁がうすいものだと思っていた

ところが最近になってとても強く結びついているからこそ
離れるということが可能だったことに気づきはじめていた

私の出生を知ること、そして私の出来上がりを知ることは
私を知ることでもある

育ててくれた父と母は他界し、母子手帳も残っていない

30年ぶりに再会できた母に聞いても、いい加減な返事だった
実際分からない、覚えていないのだ

妹に連絡をとり、父とコンタクトをとってもらった

どうしても知りたかった問題
私が何時、どんなところで生まれたのか?
随分調べ、もう半分諦めていたことだった

ところが妹からの連絡は何ともあっけなく、私の出生に関することを
父が教えてくれたというのである

父は臍の緒を大事に持っていたのだ

妹は貸してほしいと言ったが、絶対に譲れない大事なものだから
渡せない!見せるから来いということになって
妹は父の家を訪ねることになった

私は埼玉県の川口市、上青木の病院で産まれていた

母は16歳

陣痛があってカツ丼を食べ病院に向かい分娩室に入ってすぐに出てきたと
いう話だった

体重3400g、でっかい赤ちゃんだ

その後色々話をしてくれたそうだ

父にとっての私達に対する想いが流れてくるようで
何ともいえない気持ちになっていた

父らしい愛情表現なのかもしれない・・・そう思うとクスクスと私の中から笑いがこみ上げてきた

父はつい最近鬱と診断されたが、今はすっかりお友達も出来、
カラオケで歌を歌っていて鬱は治ったということだった

父と母の辛さや哀しみは、私が通ってきた苦しみと同じだった

私がどうしようもない哀しみに襲われた時、それは父と母の哀しみでもあった

そしてそれを通り、お互いに歩いてきたのだ



父の長い人生の苦しみが終わったのだと感じていた

私の目を見なかったことで、父から愛されていないと思っていたあの頃を
もう考えることさえも、思い出すことさえもできないくらいになっている

私はやっぱり心の底から父が好きなのだと思っている

そして父と母からたっぷり愛されたのだと・・・・

3年間しか一緒にいれなかったけれど、私達にとっては十分な時間だったのかもしれない

遠く離れていても、父と母との血の繋がりを感じることができる

ソウルグループ(魂のグループ)はそれぞれの人生の課題を終了できるように助け合う
その助け方は、時には目に見えない形で、それぞれの課題をマスターするために
離れることを決意することもある

私達は今、しっかりと繋がっていることを感じている

6月1日・・・明日は父の誕生日・・・

妹も父には会わないだろうし
私も連絡することはない

夕陽を見ながら私は、長い旅路の終了を感じていた

大きく息を吸いながら私は空に溶けていった





















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