空の気持ち

日々思うこと、あれこれ。

珍道中

2011-03-31 22:30:09 | Weblog
今日は母様とお彼岸に行けなかったお墓参りへ。

いつもの如く、小平から立川経由で谷保へ。

で、どういうわけか、母様と一緒だと珍道中になる。

行きは、ず~っとしゃべってて、気づいたら、終点のアナウンス・・・。

谷保に向かう時は、気を付けようとか言いながらも、しゃべってて、気づいたら2駅も過ぎてた。

帰りは、反対方向の電車に乗った。

これじゃ、めぐのこと言えないよね。なんて苦笑してたら、母様が、たまにしか会えないから、ゆっくり時間を余分にくれたのよ。って。。。


でもって、珍道中のこととしちゃんに話したら、

B型女三世代恐るべしだな。
俺には考えられないけど。だって。

確かに3人、妙に似てたりする。気がする。

それにしても、節電でエスカレーター動いてないからね、ホームからホームへと何回階段を上がり降りしたんだろう。

楽しかったけど、けっこうヘトヘト。


めぐは浪人生の分際で遊びまくりでまだ帰らず。
今日が最後とか言ってたけど、ほんとかな。

で、今電話があった。
吉本のライブに行ってためぐとかず。

なぜか、電話で楽しかった云々を二人代わる代わる伝えてくれてた。
かなりハイテンションな二人。
可愛いけど、帰ってから話せばいいのにね

お風呂に入って、さっさと寝よう。

平常へと戻っていく

2011-03-31 18:33:05 | Weblog
原発の恐怖、被災地への重い気持ち、計画停電に対してのもどかしさ、他にもいろいろと思いながらも、生活は、地震のことは忘れられないけど、平常へと戻っていく。
それでも、心のどこかではなんとなく漠然と不安があって、どこかしら不安定のままだったり。
なんだろうな、この気持ち。

日曜日にとしちゃんの仙台市若林区にいる友達に物資を送るため、立川へ行った。
どこもかしこも、人だらけ。
いつも、立川は人が多いけど、ほんとに異常なぐらいの人、人、人~~~~って感じ。
もしかしたら、自粛や停電、恐怖やらで家に籠っていた人たちがその反動で買い物しまくってるのかと思うぐらい。

スーパーで、丈夫なみかん箱をもらってきて、その中に、美味しいものだらけを詰め込んで送った。
被災地はお肉不足みたいなので、なるべく真空パックになってる日持ちのしそうな焼き豚、ハム、角煮、そして、つくだ煮、漬物、お菓子、カレー、バームクーヘンまで、その他諸々、とにかくいっぱい詰め込んだ。
この荷物は次の日にちゃんと着いたという。
次は、カセットコンロとたくさんのお肉を送ろうとしてる。
どう送るかが問題だけど。

3月11日以前の日本に戻れるのはいつぐらいになるのかな。
そんな風に不安に思いながらも、先週はみきちゃんとカラオケ行ったっけ。
呑気なもんだよね。

でも、映像の恐怖にもだんだん慣れてきてしまったのか、何もかもが普通になっていくのがいけないことのように感じるのに、どうしてもやっぱり生活は平常へと戻っていく。

それでいいのかもしれないけど、
今回の地震関連の知識をもっとつけようと思う。
あと、引き続き節電ともっと募金を。

Rumer「Seasons Of My Soul」

2011-03-17 17:16:50 | Weblog


悲しいニュースの毎日に心が悲鳴をあげそうになってる時、このCDが届いた。

ルーマーの「シーズンズ・オブ・マイ・ソウル」

優しくて爽やかで、時々切ないメロディに少しだけ地震前の日々に戻れたような気がした。

節電中だから、通しで1回だけ聴いて我慢。

でも、としちゃんっぽくないのに、なぜにこれ買ったんだろう?

大地震から6日間

2011-03-17 14:44:56 | Weblog
地震から6日目。
テレビを付ければずっと震災の状況が流れ、現実に起こってるとは思えないほどの悲惨さに心が痛む毎日。
そして、原子力発電所のトラブル、計画停電、物資不足、ガソリン不足。

本の一週間前までの暮らしがとても呑気で幸せだったと、こんなことが起こるとわかったりする。
何か悪い夢を見ていて、覚めたら何事もなかった生活に戻ってればいいのに、なんて思う。
それでも、実際、私のもやもやなんて、被災地の方に比べたら、きっと100分の1にも満たない。

被災地が一日も早く復興すること、被災地の方が一日も早く健康で快活な生活ができることを心より祈ります。

今、私に出来ることは、募金と節電ぐらいしか出来ないけれど、被災地の方の無事と復興を祈り続けます。



地震が起きた当日、仕事中の揺れ、患者さんたちがちらほらと来院した頃、いきなり揺れ始め、やたら長い。
念のため、患者さんたちと一緒に外に出てみると、医療モール全体の人たちがそれぞれ外に出始めていた。
駅のエスカレーターが見え、それがぐねぐねとS字の様に揺れている。
駐車場に止められている車たちも少し移動してるように思う。
こんなの生まれて初めてかな?なんて思いながら、それでもさほど怖さはなく、なんとなく収まるのを待っていた。

揺れも収まり、それぞれの場所に戻り、普通に診療が始まったのだけど、先生のラジオから流れてくるニュースから、大地震が起こったことを知った。

私はすぐにめぐのことが心配になった。
としは、日野にいるから大丈夫。
めぐは、その時渋谷にいた。
その時から携帯は繋がらなくなっていた。
それでも、としの実家には奇跡的に繋がって、無事確認。
お母さんからも奇跡的にメールが入り無事確認。
そして夕方めぐから「無事?」って一言のメールが入った。
このメールでとりあえず無事確認。


そして、その頃、アホなめぐは、地震が起こった時、原宿のラフォーレの中にいたらしい。
かなり揺れたのに、普通に買い物を続ける人や狂乱しながら外に出ていく人、それぞれだったらしいけど、めぐたちは何を考えたのか、その日のメインのイベント、渋谷の吉本の∞大ホールへのライブに向かった。
ライブ会場へ着き、ライブ中止を知り落胆するあほめぐたち。
外にいると情報の無さから、その時はまだ大地震のことをよくわかってなかったらしい。
お目当ての芸人さんたちが外で喫煙中、握手してもらったり、サインしてもらったりして話せたことを純粋に喜んでた何も知らないアホめぐちゃんたち。
そして、渋谷駅の大混乱を見て、やっと事の重大さを知ることになった。
渋谷は大混乱。
それを見て、なぜか原宿に逃げた。
そして、電車が動いてないので、原宿で居場所を確保しようとしたが、どこもシャッターを閉め始め、とりあえず、携帯のバッテリー充電器を購入して、新宿へ歩き始めた。
新宿は大狂乱の街を化していた。
血を流してる人や叫んでる人、パニック状態。
なんとか、居酒屋わたみんの場所を確保。


そして、私は、その一件のメールでしか連絡が取れてないめぐのことを心配し続けながら仕事を続けていた。
その時、先生が僕の携帯はなぜか繋がるようだからめぐちゃんに電話してみたらいいよって、携帯を貸してくれた。
私たちスタッフの携帯はどれも繋がらないって言うのに、なぜか繋がった!
めぐと会話でき、笑っちゃうけど、涙が・・・

仕事から帰り、めぐとの連絡手段をどうにか取れないものかと考え、パソコンからmixiを通じてメッセージを送ってみた。
すぐめぐから「mixiは神だね!」って返事が着た。
そこからは、連絡はmixiで。

としとは、なんどもなんどもiモード問い合わせをすることによって、連絡を取ることができて、夜中に迎えに行こうと言うことになった。

都内は大渋滞。
さて、どうするか。
なんて考えてると、お母さんから、家電が入り、京王線動き始めたわよ!って。
すぐニュースで確認して、11時過ぎ、mixiで行動開始の合図を送る。
一緒にいた真帆はJRでJRは動いてなかったので、2人で調布に来るように伝える。
その頃、としはまだ仕事場で、としとの連絡も不十分で、一緒に調布に行くことにはなったけど、その後、としから「大渋滞」ってメールが届き、調布まで行きつけないんじゃないかって考え、勝手に高幡不動がいいかななんて変更しようとしたりしたことにそれぞれちょっと混乱してしまったけど、結果的には無事に調布で二人を確保することができた。

めぐたちは0時45分頃調布に着き、私たちは55分頃調布に着いた。
あとは、真帆を小金井に1時30分ぐらいに送り届け、2時頃家に到着。

それからお風呂に入って寝たのが3時。
それでも、めぐたちを救出できたから、とりあえずホッとして6時までの3時間爆睡。


地震発生から2日目の13日は、としちゃんの54歳のお誕生日。
悲しいニュースが続く中、誕生日はちゃんとやらないとと言うことで、中華「天安」へ。
ケーキも焼いて、帰ってから、ロウソク灯してフーもした。
この1年も元気に頑張れる年になりますように。。。


地震発生から3日目。
めぐは大阪へ発つ。

この旅行の件に関しては、めぐもこんな時に自粛した方がいいかな?とかそれなりに考えたようだけど、いろいろ考えた結果、仲良し女テニの面々で楽しみにしていた卒業旅行だったと言うこともあって、決行をOKする。

でも、実際は心配だった。
でも、せっかくの旅行なのだからと元気に楽しく送り出した。
行きの立川からのJRでは「初めて生命の危機を感じた」なんて言ってたけど、あとは、それはもう本当に楽しかったようで、昨日元気に帰ってきて心からホッとした。
こんな時の旅行だから、何が起こるか正直とても心配だった。
静岡で地震が起きた時など、東北の地震から連動して東海でも起きてしまうんじゃないか?!なんて考えたほど。
としが立川に迎えに行き、無事に帰ってきためぐを思わず抱きしめた。
って、しょっちゅういやがるめぐを抱きしめてるから、この日に限ったことではないのだけれど。


私の地震が起きてからの6日間。
被災地からずっと離れた場所にいても、なんだかとても気持ちの重い日々だった。
これだけ大きな地震が起きてしまったのだから、後遺症はまだまだ続くだろう。
テレビではこれからも心を締め付けられるようなニュースが続き、そして、原発も不安や不便は続いていくのだと思う。
でも、気が重いとか不安がったりとか、心配ばかりしてられない。
今できることを考えて。


まずは、節電。
このパソコンも久しぶりに開きました。
バッテリー充電されたから、しばらく電気なしで使えるけど、またしばらくコンセントは抜いたままにします。
エアコンも極力抑えてます。
照明も無駄使いしてません。
抜けるコンセントはすべて抜いてあります。
フォトフレームや加湿器など電気を使うものはしまいました。

日本経済の低下がかなり心配だけど、今、私が出来ることは、節電と募金と風評被害を加速させないこと。
焦って買い溜めしちゃったりしないこと。

麺創研かなで 紅

2011-03-06 00:47:08 | Weblog


麺創研かなで 紅の紅味噌ラーメン。

これ美味しい!
麺はこしがあってつるつるしてて、もちもちな太さがバラバラな乱切り麺。
スープは、こくのある真っ赤な辛口味噌。
辛くて熱くて最後まで冷めない。

でも、量がかなり多い。
としちゃんはちょうどいいと思うけど、その隣で私は必死に食べる。
がっつり食べたい男向けラーメンかな。

ラーメン屋さんに並ぶという行為久しぶりだったけど、たまには、並んで待つのも楽しかったり。
並んで食べるとなおさら美味しく感じる気もするのかもしれないし。

それにしても、まだお腹がいっぱいな気が・・・。

でも、美味しかった。
今度は、目の前にある紅じゃない方に行ってみる。

卒業式

2011-03-05 14:23:20 | Weblog
今日、3月5日は、高校の卒業式。

としちゃんと私は、私たちらしくない正装でパシッと出かけた。
(出かける前にちょこっと喧嘩して、出るのが15分ぐらい遅くなった)
そのせいで、着いたのギリギリ。
ちょこっと始まってたけど、ま、いっかみたいな

卒業生585名。

ものすごい人数なので、一人一人卒業証書を授与するわけではない。
クラスごとに担任が名前を呼び、呼ばれたら返事をして立つ。
式はスムーズに進んでいく。

案外あっけないものだなぁなんて思っていたら、
校長先生の式辞が心にじーーんと響いてきた。
声が心の奥の方まで届いてくる、そんな感じ。
校長先生ととしちゃんは仲が良い。
つい先日もゴルフに行ってきたばかり。
校長先生は、式辞をカラオケ屋さんで一人練習してるって話を聞いていたから、最初ちょっと可笑しかったのだけど、気づいたら、目に涙が溜まってた。

式は、静かに厳かに進んでいき、一番最後は、卒業生の合唱で締めくくられた。
歌い始めより、中間ぐらいから、声がどんどん大きくなっていく。
卒業生たちの思いが歌にいっぱい込められていくような。
感無量。。。

卒業生を見送る時、ラッキーなことにめぐが私たちの席の隣を通った。
めぐのボロボロに泣いてる顔にまたまたじーーーーん。

素晴らしく輝いてた3年間だったように思う。
部活も上手い下手はおいといて、ずっとよく頑張った。
球技大会も合唱祭も文化祭も熱く燃えてた。
スキー旅行やいろんなイベントも思う存分楽しんでいた。
そして、素晴らしい仲間や友達に出会えた。
これは本当に何よりも素晴らしいね。

帰りに、みおママからちょっとでも会いたいから待っててって電話が着た。
嬉しかった。
これからもずっと続こうねなんて言い合って。
でも、「浪人だって~」って指差して笑ってきたみおママ。
そんな風に言ってきた人、初めてよ(笑)
でも、笑われちゃうと案外清々しくて気持ちがいい。

としちゃんは、校長先生に会ってから帰りたいと言う。
校長室のある建物に行ったら、たまたま目の前にいた(笑)

校長先生に「今回はすまなかったねぇ」って言われて、「とんでもないです!素晴らしい3年間を送らせていただいて感謝しています!」って、感謝の気持ちを最後に伝えることができて、自分的には、ここで全てが完結した。

めぐは、これから打ち上げだって。

試験が終わってから、糸が切れたように遊びまくってるめぐ。
ま、遊んでるのも今のうち