病気じゃない。
生きていくための処世術が足りてないだけなんだと思う。
こんばんは。木蓮です。
私自身、高3のとき2ヶ月間お家から出なかった経験があるので考えてみたんです。
以前に紹介したブログ記事を読んでて考えたことでした。
ドストエフスキーと私
どうしようもなかったんですよ。この時期は。
私の場合、学校に行きたくなくなった理由はわかってた。
中学の頃、数学で代数がとっても好きになってしまって、
結果的にすっごい勉強したことで、進学校に入ることになった。
単純に数式が好きだったんだと思う。
勉強と言うか数学が単純に好きだったのに、
数学を楽しむことが目的でなくて、勉強するのが目的に高校2年ぐらいから変ってきていた。
(いや、もっと前からかもしれない。中学3年の受験生の時からだと思う。)
それで高校2年生の終業式の日に、ぽっきり折れた訳です。
高校3年生は1年間、受験のための勉強をするって言われて。
もう学校に行きたくないって思った。
なんだか周りについてくためには、勉強しなきゃだめだって、
思い込まされてたんだよね。それができない自分はもう学校いけないって。
それからは、自分は世の中のしくみから外れてしまった人間なんだって思い始めて、
何考えてもネガティブ思考の繰り返しだったような気がする。
このときの状態を今振り返ってみると、
自分勝手に思い込んでいただけなんだって思うし、
周りのひとは当然そんなこと考えてない、世間慣れしていないだけのわたしの原因なんだよね。
今、ひきこもりや不登校になっている人が抱えている状況は様々だろうけど、
ほとんどが自分だけの思い込み、そんな自分の状況を乗り越える処世術が足りていないだけって
今の私なら感じる。
こういう子には、理屈じゃなくて、体当たりで前に向かって言ってる人の背中を見せることが
一番効果的なんじゃないかとわたしなら思う。
処世術なんて、すぐには身につかないし、向き不向きがあるからね。
わたしの場合、その背中を見せられた人は、飯野賢治さんだったり、埴谷雄高さんだったり、
ドストエフスキーの「罪と罰」だった。
この人たちは、良い悪いは別として、自分の考えをしっかりもって、
とにかく前へ前へ突き進んでいた人たちだから。