木蓮の「7つの言葉」を探す日記

小説、PSO&PSU、アニメ(ぼく地球/エスカフローネ)、UVERworld、IT関連を木蓮の日記形式で書いています。

ドストエフスキーと当時中学生のわたし。

2011-11-29 23:47:27 | 本関係
ドストエフスキーを読む人は、ほんとすぐ友達になれそうなほど、
共通の考え方をしていると思う。

ドストエフスキーと私

文章長いので、またゆっくり読もうっと。


この記事の前半に出てくる、水田くんとブログ主様は、
私の中学生のときとよ~く似てる^^;

リーダーになる人に知っておいてほしいこと

2011-11-12 23:05:06 | 本関係
この本は、松下幸之助さんが94年間生きて考えた思想の結晶だと思う。

こんばんは。木蓮です。

電車の中で読んでいた本ですが、私の寝床の横の本棚にあって、
寝る前にすぐ読めるようにしてあります。

私は特定の個人を崇拝したり、尊敬したりすることはあまりしません。
個人が残した著作、思想に意味があると思っています。

小説家として埴谷雄高さん、思想家として池田晶子さんには、
とても共感していますけど、彼、彼女とは私は面識もありませんし、
個人的にどんな雑誌を読んでいて、どんなことを毎日考えているか等々は
それは個人の私的な嗜好だと思っています。

個人に対する感情は愛着として残ります。


この本に出てくる言葉で、
今日読んでどきっとした言葉。
「きょうの仕事は忘れない。どんなに向上心があっても、今日の仕事を忘れてはいけない。まずは世間を知り、人間を知る。それがいづれ国家への思いにつながる。その大きな理想への過程の一コマが、今日の一コマである。」

遠くを見続けている私に、強烈に響いた言葉。
成し遂げたいことに向かって努力するけど、今日の仕事を通り越しては
いけないよって、注意してくれてるような気がした。


埴谷雄高 - 偉大なる憤怒の書

2011-11-08 22:20:37 | 本関係
序章の次の「仮面」の章から、もうすでに吸い込まれるかのような文体。

以下引用。

 *


 ドストエフスキーの小説「悪霊」には、主要人物の一人として、ニコライ・スタヴローギンが登場する。この小説における真の中軸は彼なのであって、この驚嘆すべき作品の分析は、まさに彼よりはじめねばならない。
 (中略)
 ドストエフスキーは、スタヴローギンが読者の前に登場するに際して、彼の特徴を次のように描写している。
 それはどちらかといえば背丈の高い、年の頃二十五ばかりの極めて美しい青年であって、みなりは立派で、「ものごしは最も洗練された礼容になれた人でなければ、とても真似の出来ないほど垢抜けていた。」
 彼は口数の少ない方で、控えめ勝ちであったが、同時にまた、勇敢でもあり、自信に充ちていた。
 彼の風貌は。特に異常な印象を与えた。
 「髪は何だか余りに黒々として、薄色の目はなんだか余りに落着き澄して明らかに、顔色は何だか余りに白くしなやかで、頬の紅は何だか余りに鮮やかに澄んでいて、歯は真珠、唇は珊瑚のよう―――一口に言えば、画に描いた美男子のようであるべき筈なのだが、それと同時に、何となくいやらしいようなところがある。人は彼の顔が仮面に似ているといった。」


 *

人物一人の描写でこれだけ情感をそそる描写はないと思う。
一人の人物の外面的特長を書いているに終始しているのだけども、
それと同時に完全な人間的な匂いを完全に抹殺するような、
機械、装置を描写するような画一的な、無機質な質感を与える。これは意図的なものだけど。

しかし、一つ一つの外貌の特徴は、実に人間的であり、端緒に描かれているため、
歪に繋ぎ合わされた、作り笑いの表情にも似た、いやらしさを感じる。

池田晶子さんって、TV出演なんてしてたんですね。

2011-09-06 23:00:00 | 本関係
こんばんは、木蓮です。

たまには、池田晶子さんの話題から。

言葉は力であることを確信させてくれたのは、
池田晶子さんの「残酷人生論」という本に出会ったからでした。

その本はいつも私の寝床の隣にあって、(寝る前に読む本を置く本棚があります。)
一月に1回ぐらいで部分的に読みます。

本に書かれた内容をそのまま書くのではなく、
私の頭の中で整理して定着した言葉を書きます。

「幸せとはなにか?それは内容ではなく、形式です。
 金満や清貧という内容が幸せではなく、どんなときに人は幸せを感じるのかと
 考えると、幸せはその心そのものです。」

「現在しかない。未来の自分はどうなるんだとか、過去の自分はこんなだったとか、
 皆話しているけれども、実際未来や過去なんてない。
 現在の積み重ねが現実なのだから、今どう生きるかを皆一番大事に考えるべきです。」

自分の考えていることを言葉にして、
それが相手に伝わって、相手の中に何か形のあるものができるって
すごいことですね。

言葉が人を変える。考えを変えてくれる。

ニュースステーションに出演していた池田晶子さん。声聞いたの初めてかな私。


『1日に30分、ひとりでくつろげる時間をもつこと。』

2011-05-17 23:00:00 | 本関係
こんばんは、木蓮です。

こちらも週末に読んでいた本で、
読後感がとてもさわやかだったので、紹介します(^^

『心を整える』 著・長谷部誠



ワールドカップとかでよく見かけていたのですけども、
文章から感じる人柄は、見た目と同じ印象ですね。

真面目で、清潔感があって、高い目標があって、
みんなと目線でものを見て書いてくれているのが分かります。

こういう方はとても好感が持てますね♪

これまでの人生で身に付けてきた良い習慣を紹介してくれていて、
わたしにぴったりなものがありました。

『1日に30分、ひとりでくつろげる時間をもつこと。』

日常生活の効率的な生活でざらざらになった心を、
毎日寝る前に整えてあげること。

とっても優しい言葉ですね。

小説『新世界より』 ~ 映画『惑星ソラリス』 に想う。

2011-05-15 21:58:22 | 本関係
皆様、こんばんは。木蓮です。

今週はじめから電車の中で読んでいた本で、
とても面白かった本をご紹介します。

※以下、ネタバレの内容が含まれます。

『新世界より』 著・貴志祐介




SF・超能力物のストーリーで、お話の展開が面白いです。
所々、この人は嘘をついているんじゃないかとか、口封じのために殺された!?
みたいなサスペンスチックな謎賭けがありますし、
上・中・下巻の3巻構成だけれども、
全然重たい話じゃないです。長編が読めない人でも読めるんじゃないでしょうか。

簡単な粗筋を書くと。

1000年後の日本のお話で、
その未来の世界では、人間は念動力(小説中では呪力と呼ばれる)が使えるようになっているが、
それ故に外部から完全に隔離された世界に住んでいた。

呪力の制御ができない子供達は大人達から記憶操作や、催眠術によって呪力を抑制されていた。
世界の外側には、危険で低脳な化け物が住んでいると教えられ、
外の世界の真実を全く知らないで生きていく。

夏休みの課題授業で、偶然外の世界に出てしまった主人公達は、
過去の近代文明の滅亡の歴史を知ってしまったことで、
今の世界の成り立つを知る。

能力者と非能力者の戦争があったことを。
能力者たちの圧倒的な力で世界の秩序が崩壊してしまったことを。
外の世界にいる化け物たちが生まれた理由を。
そして、ほぼ時を同じくして世界の秩序が変ろうとしている。


読ませるのが上手い。
こんな長いお話を最後まで、今の時代の飽き性な若者に読ませるか^^;

念動力という凄まじい力を持った人類だが、
最後の最後は、自分達にも制御ができなくなってしまう。
今の世の中の核兵器と同じだよね。


昔のSFを思い出してみると。。
小説ではないけど、私の好きな映画『惑星ソラリス』だと、
無理やり姉に見せたら15分ぐらいで寝てしまったよ~~(><)



なんか同じシーンがアングルも変らず2分間ぐらい静止画のような光景を見せられるんだよね。
この映画は。。そりゃ寝るのも無理ないわ。

昔の映画は見せ方というのは洗練されてなかった。(撮影技術の限界があったんでしょうけど)
私がこの映画がすごく好きなのは、強い探究心・想像力を持っているからだと思う。

惑星ソラリスというのは、その名の通り惑星なんだけど、
知能を持った惑星という設定で、意思を持った惑星。
その惑星は、接近する人類の特徴である「感情」を理解しようとする。

惑星ソラリスの研究ステーションから連絡が途絶え、
地球から来た主人公クリスが見たものは、
昔自分の過ちから死なせてしまった奥さんの姿だった。

見た目は、自分の最愛の人だけども、それは明らかに偽者だ。

まず最初にクリスがしたことは、
偽者の奥さんを無理やり脱出ポッドで船外排出してしまう。
最愛の人に対してしてしまったことで、良心の呵責に悩むが、
次の日になって奥さんが何もなかったかのようにクリスの前に現れる。

奥さんも自分が偽者だということに気付き始める。
クリスが夜通し眠らなくなって精神的限界に来ているのを見かねて、
液体酸素を呑んで、自殺を図る。
だが、惑星ソラリスが作った人に似せたものは無敵なので、
傷が見る見るうちに再生していく。



最愛の人にしまった自分の行為、自分が偽者でクリスには受け入れられないと
悟って自殺までしてしまった奥さんをみて、クリスは精神的限界まで追い詰められてしまう。



惑星ソラリス・ステーションには、クリスよりも先にこの惑星の研究を行うために、
何人か滞在していたが、皆同じ「現象」に遭遇していた。

ある朝、奥さんの寝顔を横目に惑星ソラリスの海が見える展望台に出たクリスは、
同じ研究者であるスナウトにこう話す。



 「必要でないものは有害であると言えるだろうか?-そうではない、絶対に違う。」
 「今まで我々が愛したものは、自分とか女だとか祖国だとかで、
  人類だとか世界には手が届かなかった。」
*「我々は初めて人類愛というものに触れようとしている。」


この映画の監督アンドレイ=タルコフスキーという人の映画は、
この重たい命題を解決するためにずっとずっと映画を撮り続けた。

上に書いた最後の言葉がもつ重み、
同じ悩みを持っている私にはよく分かった。

つまり、倫理的な課題を解決しなければ、人類は何も変らないということ。
私の場合の悩みは、私とあなたは違うというそのこと。
これを解決しなければ、宗教が違うことで戦争が起こったり、
嫉妬や憎しみがなくなることはない。
簡単なようで、そのことを人に伝える、説得することはとても難しいと思う。
私にできるだろうか。

今回『新世界より』を読んでいて、惑星ソラリスが出てくるなんて、
私、この映画に完全に洗脳されているのかもしれないね。

Googleアラートに見る、池田晶子の注目度について

2011-02-21 12:33:35 | 本関係
こんにちは。木蓮です。


今日もお昼休みに書いています(^^
ちょっとした気付き事項もブログの方に書いておけば、
後々見返せるなと思ってまして、
短い記事ですけど、ちょいちょい書かせて頂きます。


会社のPCでは、iGoogleを常に使っているのですが、これがとても便利です。
時事ニュース、関連会社の最新情報をRSSで取得してチェックしたり、
TODOリストを使ったりとお仕事で使うにはとても有用だと思います。

そのiGoogleで、自分の登録しているGoolgeアラートの情報を見れるように
しているのですけども、最近池田晶子さんのアラート情報が
以前にも増して増えてきているように感じます。

※Googleアラート
 自分の好きなキーワードを決めて登録しておくと、
 そのキーワードが含まれる最新投稿されたブログとかツイッターの
 記事のリンク情報を指定メールに送信してくれるGoogleの無料サービスです。


没後に、著作が最近再出版されているようで、
読まれている方も多いのではないのでしょうか?

リンクされているページを見ると、
池田晶子さんの考え方、思想について皆様どう思われますか?
という内容が多いように思います。

例えば、次の内容。

 「私は、いつ、どこで、どのように死んでもかまわない」
 という彼女の考え方について、どう思いますか?

ちょっとだけ個人的に気になったのですよ。
池田晶子はそこを一番本を読んだ個人に考えて欲しかったのだろうなと。

良い、悪いの話ではないですよ。私の感想、感じたことです。

ジーン・ワルツ 著:海堂 尊

2011-02-07 00:33:22 | 本関係
ジーン・ワルツ 海堂 尊 (著)


劇場公開されるという話は知らずに、
金曜日の帰りに尼崎駅の書店で文庫本を買い、1日で読んだ。
不妊治療、人工授精、日本における代理母問題を背景にした社会派小説。

面白かった。特に、日本において代理母出産が禁じられていることすら
...知らなかった私にとって、その実情を描いている場面は興味を覚え、
主人公の大学病院医師の言動に対してもとても感情移入できた。

その日の晩、ニュース番組で、劇場版公開前ということを知り、
そして作者の海棠尊さんのインタビューが流れていた。
「この映画を見て、観客のみなさんに現実を知っていただくことが、
変化への追い風になれば」とても良い作品だと思います。

しかし、インタビューの最後に呟いた一言が私にはとても『引っかかった』。
はっきりと言葉は思い出せないが、意味的にいうと、
「世の中の仕組みがどうこう、この問題を正面から変えたいというよりは、
私が小説を書く目的は、あくまでエンターテイメントです。」
ということだったと思う。

この「エンターテイメント」というのが、何か無性に『引っかかる』。
小説で世界を少しでもいい方向に変えたいだとか、
そういう部分が問題ではなくて、
小説は、現実から出発してそれをより鮮明に、
客観的に映し出す鏡としかならないのかと思うのです。

それはただ単に個人的な拘りでしょう。
目の前にある現実が無ければ、あなたは何も知ることはないし、
考えることもできない、と言われるでしょうし。

作者公式HPを見ていると、同じ趣旨の文章が書かれていた。
『作品に対して持っているこだわりは、「面白い話を書く」ということ。』
否定しているわけではないのです。確かにこの小説は面白かった。

私も将来小説を書くことを志しているので、感じるんです。
これだけの労力と、他の人の注目を集めている作品の目的が、
そうした皆が一様に納得する分かり易い形で提出されることの違和感を。

考える人(口伝西洋哲学史) 池田晶子・著

2011-01-05 19:30:53 | 本関係


こんばんわ。木蓮です。

今日は、電車の中で読んだ池田晶子さんの著作の紹介です。

この本を私のお友達に見せたとして、
見せた途端の反応はみんな同じなんですよね。

『哲学』という文字を見ただけで、
みんな難しい顔をするんです。

何か難しい、専門的な、学問的な、非日常的なこと、
もっと分かりやすく言えば、日々の生活で最も役に立たなさそうなお話。

考えるということ、
わたしの一番知りたいことで言えば、
つまりは、
 「わたしとあなたは何故違うのか」
皆、疑問を抱かないのでしょうか?

哲学って、ものすごく単純で、原始的で、根本的な問題だと思うんですけど。
まぁこれは、人によって好きなスポーツが違うように、
趣味嗜好の話なんだよねって割り切れるまで、学生の時は悶々としていましたね。

私は訳あって、高校を中退して専門学校に入るまで、
すこし時間があって、じっくり考える時間があったからというのもありますね。


さてさて、本の話を(^^;

内容的には、昔学生の時に読んだ、岩波文庫の『哲学者列伝』に似た構成で、
古来の偉大な哲学者達が辿ってきて、哲学史、精神史が語られています。

それぞれの哲学者たちの学説を説明する書物ではなくて、
彼らは一体何を「考えていたか」。そのことを書いています。
(哲学という学問的な見方ではないということ。)

これがまた、1章毎に強烈なインパクトをもった、
文章が並んでいます。

今日読んだのは、『ヘーゲル』の章。
特に記憶に残った章句を紹介します。

※「」は引用です。

「有  それ以上の一切の規定をもたないもの。
 有はその無規定的な直接性の中にあるものとしてただ自分自身と同等であるにすぎず、
 他のものに対する不等ということでさえもなくて、自分の内でも、また外に対しても
 差異というものをもたない。」

よく出てくるんです。この有の概念は。
認識できるけど、手にとることができないもの。

日常生活にもっと近い形でいうと、
分かったと思ったけど、次の瞬間に分からなくなること。
よくありますよね。


「現実とは絶対精神の自己実現の過程であるという絶対真理。」

絶対とかいう装飾がついているのは置いといて、
これはとてもわたしではうまく言葉にできないのですけども、
言いたいことは分かるんです。

現実的なものとは、もっとも観念的なものということ。
物理的なものとは違うということ。

これ、言葉にするのは本当に難しいですよね。
池田晶子さんは、よくこんなの言葉にできると思います。


 * * *

ヘーゲルの著作は現在読んでいる「精神現象学」といい、
私の知りたいことが一杯書かれているような気がします。

「精神現象学」もまた読み進めた時は、記事に書きたいと思います(^^

今日はここまで!
皆様、おやすみなさい♪

『ユリシーズ』 ジェイムズ・ジョイス・著

2011-01-01 20:27:15 | 本関係


ダブリンのとある1日(1904年6月16日)の出来事を
1巻の物語として書き記した小説。

20世紀を代表する小説といわれる。


古代ギリシアの神話、ホメロスの『オデュッセイア』のパロディ的内容となっていて、
原典のイメージを現代風にアレンジして書かれている。

読んでいて、話の切り替わりが早いし、
一つの挿話に拘りもなく、淡々とお話は進んでいく。

意識の連想ゲーム。わたしはこの本・作者の意図しているところをそう読んだ。
話の筋があって、主人公達の語りがあって、それを聞いている
まったく関係のない第3者の視点、事情が唐突に入ってきて、
いきなり話の力点が変る。

そのまま進むと思っていたら、また別の第3者の思惑がはいってくる。
そしていつのまにか話の本筋に戻っている。
一つのまとまったお話には絶対ならない。

でも、これが意識そのものの動きで自然だと思うし、
それを小説の著述としてかけるジョイスは抜けていると思う。

 *「」は引用。

「前掛けをした耳の遠い園丁がマシュー・アーノルドそっくりの顔をして、薄暗がりの芝生に芝刈機をかけている。踊り跳ねるこまかな草の茎を目を細めてみつめながら。
 われら自身に……新しい異教精神……<<オムファロス>>。」

主人公とその友人が浜辺の塔で口論をしている最中に、
こんな情景がはさまれる。
とても読みにくいけど、これは論理的な説明的文章でなくて、
芸術作品として捕らえないと、最後まで読めそうにないかも。

『精神現象学』 G.W.F.ヘーゲル・著 長谷川宏・訳

2010-12-31 21:41:58 | 本関係
こんばんわ。木蓮です。

大晦日の晩に、皆様如何お過ごしでしょうか?(^^
私の居住地・大阪では朝から風がきつくて、寒いのなんのって!
ヒーターつけてないと手が凍ってタイプできません・・・

沖縄はちょうどいい温度なんだろうな~ >くらりす

今日は、年末の長いおやすみの間に読んでいる本の
感想を書きたいと思います。

 * * * * *

ヘーゲルのこの本は、読むのは2回目でしょうか。
2年前の誕生日の日にある人から送られたものですけど、
なかなか最後まで読ませてもらえません。

長い著述なので、ブログに1歩1歩、記録を残しつつ、
読み進めたいなと思います。




Ⅰ.感覚的確信 ―――「目の前のこれ」と「思い込み」
(P.066~P.077)

※以下、引用は『』で書きます。

『まっさきにわたしたちの目に飛びこんでくる知は、直接の知、直接目の前にあるものを知ること以外にはありえない。この知を前にして、わたしたちは、目の前の自体をそのまま受けとる以外にはなく、示された対象になんの変更も加えず、そこに概念を持ち込んだりしてはならない。』
(P.066)

 ●要するに、今目の前に見えることは限りも無く、感覚的には真実であり、
  なんら疑うことはないということでしょう?


『感覚的確信が真理だと称するものは、もっとも抽象的で、もっともまずしいものである。感覚的確信が、自分の知る対象についていうことは、「それがある」ということだけで、その真理にふくまれるのは、事柄があるということだけである。』
(P.066)

 ●でもって、その真実は普遍的な真理ではないですよ、と。
  感覚的確信の正体は、ただそこにあるということだけ。
  例えば、目の前にドラちゃんのぬいぐるみがあって、
  そこにドラちゃんのぬいぐるみが「ここ」に「ある」ということだけが真理だと。


『自我は、「いま」や「ここ」や「このもの」と同様、一般的なものでしかありえないのだ。わたしはこの個としてある自分を思うことはできるが、個としての自分をそのままことばにできない。それは、「いま」や「ここ」として思ったものをそのままいうことができないのと同じである。』
(P.071)

 ●感覚的確信がその内容を言葉にするとき、
  それは普遍の真理ではなくなっている。
  「ここ」と一言でいっても、いろいろな「ここ」があるわけだし。
  私が首をひねって視点を変えれば、「ここ」の内容は変ってしまう。

  「ここ」として、その指し示すものは、無限に存在するので、あって、
  全部書けばきりがない。
  だから「ここ」としか書けない。
  内容というより、形式的なものでしか表現できないんだね。感覚は。
 

『要求する人自身がこのものとかこの自我というときなにを考えているのか、である。が、それをいうのは不可能なのだ。』
(P.071)

 ●感覚的確信を持っているそのもの自体を言葉にできないって、
  それって、私達は考えてるけど、考えてる私達はなにものってことでしょ?



このⅠ.感覚的確信から始まって、Ⅳ.自己確信の真理に至るまでの
論法がとても興味深いです。

Ⅰ.であれだけ感覚的確信は、一般的なものでしかありえないといっておきながら、
Ⅳ.では、『確信と真理が一致するいった事態』に向かっていく。

わたしはこの本を開いて真っ先に読んだのが、Ⅳ.自己確信の真理 だった。
だって、タイトルからして、一番知りたいことでしたし。

この方の著作は確かに難しい書き方をしている箇所はありますけど、
絶対読めないものではないように思いますね。

疑りながら読むんではなくて、
とにかく、著者の思惑通りの道順で進んでいきましょう。
というのが正解な読み方ではないでしょうか?^^

ではでは、次回は Ⅱ.知覚 です。

最近小説が全く書きたいと思わなくなった。

2010-12-19 21:17:37 | 本関係
こんばんわ。木蓮です。

皆様、寒気が厳しくなってきたこの頃ですが、
如何お過ごしでしょうか?

忘年会シーズンもひと段落し、
残すは、年末に向けてのお仕事締めくくり、
大掃除、年賀状作成(姉の分を先に作ってしまい、自分の分がまだです!)でしょうか。

今日のブログは、わたしの近況報告と、
考えを整理するための日記になりますので、
かなり長いです。
もし読んでくださる方がいらっしゃれば、
本当に分かりづらいかもしれない文章を読んで頂けて感謝します♪

 * * *

最近、ブログから遠ざかっていましたが、
今日からマイペースで書いていきたいと思います

このブログを書く目的をもう一度整理すると、
 1)個人からの情報発信
   (わたしが感じた事で、他の方にも有益と思われる情報を伝えること)

 2)PSU日記
   (単純にPSUをプレイしていて記憶に残ったことを書いています)

 3)私的な悩み事整理
   (文章に書くことで私は頭の中がすっきりするので習慣的になっています)

 4)趣味の会う方とお知り合いになること
   (わたしの考え、主張、趣味に共感して頂ける方とは
    長くお付き合いしたい思っています。)

最近は、FaceBookや、Twitterをどう効果的に活用していこうかと
実験的に使っていたのと、ダンスパーティー前のレッスンが架橋に
入っていたこともあって、ブログは一時休止でした。
ブログを書くこと自体が億劫と考えているわけではないですね。

2)のPSUブログの割合が減ってきたのが気になることですね。
最初PSUのプレイ日記を書こうというのが始まりでしたし。
お友達のさやちゃんがPSUに来れなくなったのと、
クラリスは、最近すっごくヘビーユーザになってしまって、
わたしじゃお話についていけなくなってしまったしで、
なかなかネタが少なくなってしまいました。

ブログサイトのリニューアルを考えたほうがよいのかな?


【写真提供:+cameraな毎日+ さん】

あとは、わたし自身にいま、すごく「考えないといけないこと」が
多くなって、頭悩ましてますね。

 1)ソロ・ダンスの個人レッスンをやってみないかと先生に薦められていること
   今年のクリスマス・パーティも無事に終了して、ほんとホッとしてます(^^
   
   去年はとりあえずステップを間違えないように踊るだけで精一杯でしたが、
   今年はそれ以上のことが求められているのが、先生のレッスンでも分かりましたし、
   私の今の踊りでは、人前で踊れるようなものではありません。

   ソロ・ダンスを体験したら、もっと違った視点でダンスに望めるのではないかと
   思いますが、現時点でもお仕事の合間を見つけてレッスンに行っていますし、
   パーティ時期の突発的な出費がかなり厳しくて、パーティのご招待チケット代を
   含めて、月15万ぐらいは使っていました。
   そこにソロ・ダンスのレッスンをするとなると、
   精神的な面と金銭的な面で、かなり負担が掛かってきそうです。

   でもソロ・ダンスはやってみたいです。ずっと続けて生きたいとは思いませんけど、
   1度はソロで踊ってみたいとは思います。

   よく考えねば。


【クイックステップ】

   社交ダンスは、一度やってみたら、偏見がなくなります。
   わたしも年配の方がゆっくりとされるスポーツかと思いますが、
   若い方が踊られると、すごくかっこいいです。


 2)今の恋人との関係(結婚について)

   いま、お付き合いしているひとがいます。
   去年の4月からですから、付合って、1年半ですね。

   結婚適齢期となった私に、周りからも「いつごろ?」とお話はありますし、
   私も年齢的にはそのよい時期だと思っています。

   しかし、私の感覚では、今はその時期ではないと感じるのです。

   ↑の一文を書くのにすごく考えてみて分かったのですが、
   その理由を書こうとするとものすごく長い記事になりそうなので、
   次回持ち越しにしたいと思います。


【写真提供:+cameraな毎日+ さん】


 3)今のお仕事をこれからも続けたいか?

   今のお仕事は、私にとっては、「生活」の為のお仕事です。
   ただ、自分に合っているお仕事だと思っていますし、
   だから今まで続いたんだと思います。

   今のお仕事で私は、自分自身のスキルが上がっているのは感じますし、
   会社にも感謝しています。
   ただ、技術スキルが上がっても、人間的に成長しなければ、
   次に進めないところの壁にぶつかっているような気がします。

   「マネジメント」「スペシャリスト」の2つの視点を持つこと。
   最終的にはシステム監査のお仕事が目標です。
   まだまだ勉強が足りないですね。
   最近は世間ではドラッガーさんの本が流行しているせいか
   「マネジメント」についての重要性を説きますが、
   「スペシャリスト」がいないと「マネジメント」は役に立ちません。
   だから両方のバランス感覚が大事だと私は思っています。

 4)小説をいま全く書きたいと思わないこと

   これが一番頭を悩ましているかもしれませんね。
   全く書こうという意欲が沸いてこないのです。

   ただ、今は書く時期ではないというだけなのですけど。
   
   これから全く書かなくなる、ということは私にはその選択肢はないです。
   小説の方から私を追っかけてきますから(^^;

   埴谷雄高さんの凝視と、池田晶子さんからもらった、バトンを
   私もほんの少しもらっているような気がしていますし。


【池田晶子「オン!」】
 この本では、埴谷雄高さんと池田晶子さんとの対談が文章化されており、
 非常に興味深い内容でした。
 内情を知っているもの同士の息のあった対談です。

ほんと、長い記事になってしまいましたが、
私の頭の中はいつもこんな感じなので、
飾るつもりはなく、自由に書いてみました。

死霊について(1)

2010-12-09 00:41:57 | 本関係
こんばんわ。木蓮です。

今日は埴谷雄高さんの「死霊」のお話です。

お仕事から帰ってきて、食事とお風呂を済ませると、
12時回っていたりして、もう寝るしかないかなぁと思っていると、
本棚から不気味に飛び出している、「死霊」の文庫本が目に付きます。

学生の頃に最初、ハードカバーで買ったものがあったのですが、
会社を辞めていく後輩に第1巻をあげてしまったので、
2巻、3巻しか残っておらず、
後から買った文庫本で今は最初から読み返したりしています。
(あの子、あの本読んでるかなぁ~?またやっかいなものを私はあげてしまったな・・・)

この小説については、ご存知の方だけが読まれるかと
思っていますので、物語の途中の説明は省きます。

栞が挟んであったのは、最終の9章でした。
死霊の登場人物が一同に揃った、津田安寿子さんの誕生会での場面。

一般人を代表した安寿子さんから発せられた、印象的だった言葉。

―――いま私が分かったのは、三輪家の人びとは、最初から最後までずーと
   「男」そのものに他ならないという恐ろしい事柄です。

―――(許婚者の三輪与志に向かって)男と女は、「自然の刑罰」なのでしょうか…?
(三輪与志が低い声で答える)
―――いや、男と女、が、そうなのではありません。

この「男と女」、「自然の刑罰」という語句を読んだときに、
生唾を飲みそうな気分でした。
だって、私達はずっとこのことに拘って生きているのですから。


話は変りますが、私が死霊の中で一番好きな章は、第2章の「死の理論」です。
この章では、一足す一は二であるという明白な思考を持った、
安寿子さんの父親・津田康造と、社会主義革命者、三輪家の嫡子である首猛夫との
明と暗、晴れと曇りのような思想の対立の構図があって、
とても分かりやすいお話に感じるからです。

実は、「死霊」のことを他人に話しても、誰もまともにお話できたことがないのです。
ものすごく考えれた小説だと思いますし、
文学的な叙情風景以外の、もっと大事なことを伝えようとしているのが分かります。

でも、実際、わたしはこの小説をいくら読んでも、
作者が意図しているもの、伝えたいものをちゃんとキャッチできていない気がします。

自分の考えをまとめるつもりでも、少しずつ「死霊」については
書いていきたいと思います。

情景描写①

2010-11-08 22:54:56 | 本関係
こんばんわ。木蓮です。

これは上手と思った情景描写。

ジェイムス・ジョイス『ダブリナーズ』訳・柳瀬尚紀
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 ドラムコンドラ行きの路面電車に乗ると、これは座れないだろうと思った。
 若い男の誰一人として目をとめてくれそうにないからだ。
 でも初老の紳士が席を譲ってくれた。

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ジョイスの文章(訳者さんなのかな?)は頭の中に、
鮮明な情景がぽんと浮かびますね。
的確な言葉選びだと思います。

路面電車の中で、自分に譲ってくれる若い男はいないと直感的に感じる。
若い女性に席をゆずってくれるのは、大抵若い男性。
子供や、年配の人は譲る必要はないから。

 若い男の誰一人として【目をとめてくれそうにない】からだ。
 でも初老の【紳士】が席を譲ってくれた。

ここが上手と思う。
【目をとめてくれそうにない】という表現がその場の雰囲気、
その時代のダブリンに住む人たちの日常性が伺える。