木蓮の「7つの言葉」を探す日記

小説、PSO&PSU、アニメ(ぼく地球/エスカフローネ)、UVERworld、IT関連を木蓮の日記形式で書いています。

死霊について(1)

2010-12-09 00:41:57 | 本関係
こんばんわ。木蓮です。

今日は埴谷雄高さんの「死霊」のお話です。

お仕事から帰ってきて、食事とお風呂を済ませると、
12時回っていたりして、もう寝るしかないかなぁと思っていると、
本棚から不気味に飛び出している、「死霊」の文庫本が目に付きます。

学生の頃に最初、ハードカバーで買ったものがあったのですが、
会社を辞めていく後輩に第1巻をあげてしまったので、
2巻、3巻しか残っておらず、
後から買った文庫本で今は最初から読み返したりしています。
(あの子、あの本読んでるかなぁ~?またやっかいなものを私はあげてしまったな・・・)

この小説については、ご存知の方だけが読まれるかと
思っていますので、物語の途中の説明は省きます。

栞が挟んであったのは、最終の9章でした。
死霊の登場人物が一同に揃った、津田安寿子さんの誕生会での場面。

一般人を代表した安寿子さんから発せられた、印象的だった言葉。

―――いま私が分かったのは、三輪家の人びとは、最初から最後までずーと
   「男」そのものに他ならないという恐ろしい事柄です。

―――(許婚者の三輪与志に向かって)男と女は、「自然の刑罰」なのでしょうか…?
(三輪与志が低い声で答える)
―――いや、男と女、が、そうなのではありません。

この「男と女」、「自然の刑罰」という語句を読んだときに、
生唾を飲みそうな気分でした。
だって、私達はずっとこのことに拘って生きているのですから。


話は変りますが、私が死霊の中で一番好きな章は、第2章の「死の理論」です。
この章では、一足す一は二であるという明白な思考を持った、
安寿子さんの父親・津田康造と、社会主義革命者、三輪家の嫡子である首猛夫との
明と暗、晴れと曇りのような思想の対立の構図があって、
とても分かりやすいお話に感じるからです。

実は、「死霊」のことを他人に話しても、誰もまともにお話できたことがないのです。
ものすごく考えれた小説だと思いますし、
文学的な叙情風景以外の、もっと大事なことを伝えようとしているのが分かります。

でも、実際、わたしはこの小説をいくら読んでも、
作者が意図しているもの、伝えたいものをちゃんとキャッチできていない気がします。

自分の考えをまとめるつもりでも、少しずつ「死霊」については
書いていきたいと思います。

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