goo blog サービス終了のお知らせ 

ぐうじののほほん

山形県長井市の總宮神社ぐうじの個人的日々を綴った日誌です。

青森へ(斜陽館編)

2017年03月27日 17時09分39秒 | 観光

こんばんは

雨模様の長井市でした

先日の青森への旅

五所川原市「立佞武多の館」から斜陽館へ

ちょうど上空を北帰行の白鳥たちが飛んでいきました

きっと太宰も同じ風景を何度もここで見たことでしょう

赤レンガの重厚なつくり

赤いトタン屋根と立派な縣魚

ここ斜陽館は太宰治の生家

父津島源右衛門が新築し、この家で一番最初に生まれた子供が太宰です

それでも太宰は両親にいる11人の子女のうちの10番目、その6男だったんですよ

太宰治記念館「斜陽館」は、太宰が生まれる2年前の明治40年(1907)、父・津島源右衛門によって建てられた豪邸です

和洋折衷・入母屋造りの建物は、米蔵にいたるまで青森ひばが使用され、どっしりした重厚感が特徴となっています

国の重要文化財建造物に指定され、明治期の木造建築物としても貴重な建物


太宰はここで、家の商売や自らの立場を感じ、兄弟の間にも存在する身分の差を実感・・

親代わりの叔母きゑ、子守のタケとの出逢いと別れを経験し、成長していきました

蔵を利用した資料展示室には、太宰が生前着用していたマントや執筆用具、直筆原稿、書簡などのほか、初版本や外国語の翻訳本も展示されています(現在改装中でした)

青森県全体でNO4の豪商だった太宰の父が建てた和洋折衷の豪邸源右衛門は木造村の豪農松木家からの婿養子で県会議員、衆議院議員、多額納税による貴族院議員等をつとめた地元の名士。

 

津島家は「金木の殿様」とも呼ばれていたそうです。

そんな家ですから小作人たちが一揆をおこしても乗り越えられないようにこのそびえる壁を作ったそうです

五所川原一帯に限っては「金木の殿様」と言われるぐらいですから、この住まいの周りに銀行、警察署など所轄庁を集め、道を切り、津島家で発電する電気でこの町の電気を賄い、明治時代に外車を持ち、近隣のトラックにはサラブレットを走らせていた・・・

太宰治(本名:津島修治)はそんな家に生まれた坊ちゃんだったんです

この建物・・・

様々に変遷を重ねて現在に至っています

明治40年(1907)6月21日 津島家六代の源右衛門が当時経営中の金融業店舗を兼ねた住宅として竣工。
大正12年(1923)頃 兄文治の新居として離れ座敷「新座敷」が完成する。
昭和23年(1948)6月26日 角田唯五郎氏が角田家住宅として買い取る。
昭和23年(1948)頃 長兄文治が北東隅の離れ「新座敷」を屋敷外に曳き家移転する。
昭和25年(1950) 角田氏が旅館「斜陽館」を開業する。
昭和51年(1976) 黒滝氏夫妻の所有になる。
平成元年(1989)5月9日 旧金木町指定有形文化財に指定される。
平成8年(1996)3月20日 旧金木町が買い取る。
平成9年(1997)12月4日 復元修復工事完成。
平成10年(1998)4月17日 金木町太宰治記念館「斜陽館」として開館する。
平成10年(1998)7月13日 旧津島家住宅主屋一棟県重宝に指定される。
平成16年(2004)12月10日 旧津島家住宅(斜陽館)国重要文化財に指定される。
平成19年(2007) 築百年を迎える。

太宰治の父・津島源右衛門が明治40年(1907)に建築した入母屋造りの建物。設計は明治期の名棟梁といわれた堀江佐吉で、斜陽館のほかに弘前の第五十九銀行、旧市立図書館などを手がけました


 米蔵に至るまで青森ヒバを使用し、階下11室278坪、2階8室116坪、付属建物や庭園なども合わせて約680坪の豪邸でしたが、昭和23年(1948)、農地改革によって津島家の手を離れました

戦争に負けてGHQの手が入ったんですね。


 戦後、昭和25年(1950)から平成8年(1996)まで46年間は、旅館として太宰ファンに親しまれ、その後、旧金木町が買い取り平成10年(1998)から現在の太宰治記念館となっています

すごかった・・・

部屋の一つ一つが明治のものとは思えない

ここでスマホ電源OUT

なので、青森への旅、ここが本丸なのにあんまりネタが撮影できませんでした

ま、それも旅です

太宰治という一人の作家をさかのぼる青森への旅

意外や意外、おもしゃいです

結局、財を成す父や津島家と、小作人とのギャップに悩む太宰・・・

   

社会主義的思想に傾倒し平等を求め、津島家に反骨する気持ちもわかります・・・

               

太宰は青森から東京三鷹に居を構え生活し作品を生み出していきます

  

だけど、戦争が激しくなり東京の空襲、青森市も空襲にあいますが、疎開で戻ってきます。

短かったけど激動の人生ですね

昔の人かと思いき、最近まで生きていて、入水自殺しなければ近年までは存命していたはず(生きていれば109歳)

なんだか、とってもセンチメンタルな気分になる斜陽館なのでした

さ、次は「太宰治疎開の家」にGo!

皆様はステキな夜をお過ごしくださいませ


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 青森へ(立佞武多はすごかっ... | トップ | 休肝日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

観光」カテゴリの最新記事