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阿修羅への投稿の紹介です。投稿者 TORA様に感謝。
まさに痴的時代の到来。だれだったかな。「知的巨人」が「痴的巨人」と言われたことがあったような気がしました。
最高学府の現場がこれだけひどいとは。「金儲けのあだばな」
これではいけない。かえよう日本。
日本国を変えるには、選挙しかない。私は、日本国を愛する人には国籍を問いません。
国士も問いません。
日本国籍のない人が、選挙権を持っても「ぜひ日本国の良き成長へ」なるように、投票してください。
アルファベットが書けなくても、九九ができなくても
投票権のある方は、今度の参議院選挙にぜひ行ってください。
日本国の重要な未来を決める選挙です。人気投票の選挙ではありません。
貴重な一票を捨てないで下さい。後で泣いても取り返しがつきません。
紹介はここから。
アルファベット26文字を全部書ける大学生はゼロ。九九ができないばかりか、それを指摘されるとむくれてしまう女子学生。
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/529.html
投稿者 TORA 日時 2010 年 5 月 14 日 16:38:36: CP1Vgnax47n1s
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu215.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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アルファベット26文字を全部書ける大学生はゼロ。九九が
できないばかりか、それを指摘されるとむくれてしまう女子学生。
2010年5月14日 金曜日
◆2010この現実 大学生/上 呉智英さん 5月13日 毎日新聞
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20100513dde012040091000c.html
◇失われた知的虚栄心--評論家・呉智英さん
大学は事実上「全入時代」に突入した。学力低下は言うに及ばず、時代の波を受けて、学生気質も様変わりしているようだ。社会の未来を担う大学生たちの、現状はどうなっているのか。【井田純】
「ひところ、大学生なのに分数ができないとか何とかいう話があったけど、今はもうそんなもんじゃない。すごいことが起きてる」
よく響く声に、独特の早口。40年前の大学生のころからなじみの街、西池袋にある小さな喫茶店で、呉智英さん(63)が話し始めた。差し出された名刺には、表に「評論家」、裏には複数の大学名と「客員教授」「講師」などの肩書が並んでいる。
「現代大学生論」を伺うと、まず披露してくれたのは、大学教育の現場で呉さん自身の体験したことだった。
かつて講義を持っていた愛知県内のある私立大学での話。アルファベット26文字を全部書ける学生はゼロ。九九ができないばかりか、それを指摘されるとむくれてしまう女子学生。99年に刊行された宮崎哲弥さんとの対談集「放談の王道」では、講義中に大学生の携帯電話がしきりに鳴ることを嘆いていた呉さんだが、もうそんな事態ではないらしい。
講義は「名古屋学」と題した地域文化論。学生には、日付、名前などとともに講義名を記入した出席カードを提出させる。
「ところが、何と『名古屋』の『屋』を書けない学生がいるんだよね。別の字を当てているんじゃなく、『屋』の途中で終わってて、最後の『土』の部分がない。しかも2人も。名古屋の大学で、名古屋学の授業に、なんで『屋』が書けない学生がいるんだっ!」
どん、どん、どんどんどん! 勢い込んでたたいた喫茶店のテーブルが揺れ、声のトーンも高くなっていく。
80年代以降、義務教育課程で進められた「ゆとり教育」。生きる力の育成を掲げて、従来の学習内容が削減された。「ゆとり世代」にはいくつか定義があるが、今年大学を卒業した新社会人は、高校時代に内容を削減した学習指導要領で学んだ「第一世代」といわれる。今、キャンパスで学ぶ大学生たちはその下の、「ゆとり教育」がさらに進んだ世代に重なる。
「ゆとり教育の影響は、大いにありますよ。ただ、文部官僚の言い分にも一理ある。詰め込み教育はいけない、子どもの個性を尊重しろと言ったのはマスコミで、国民の多くがそれに賛成したじゃないか、と。『公僕である自分たちはそれに従うのが当然だった』と言われれば、その点は確かにその通りだよね」
変化は学力に関してのみ表れたわけではない。プライベートを重視し、失敗を恐れ、競争を好まない――などと指摘されているゆとり世代の学生気質を、呉さんは「知的虚栄心がなくなった」と表現した。これは、いわゆる「偏差値の高い」大学の学生にも見られる傾向だという。
「僕らのころは、仲間の間で『この本読んだか』なんて話があると、読んでないと言うのが恥ずかしいから、読んだようなふりして帰りに慌てて買った。それから2、3日で読んで、『あれはつまんない本だ』なんて言って。裏にあるのは知的虚栄心だけど、これが、この10年、20年で学生の間から消えていってる」。70年代ごろまで、大手出版社はこうした知的虚栄心に応えるかのように「世界文学全集」「世界の名著」などのシリーズを競うように刊行していた。今、本格的な全集はほとんど見られず、古典も「超訳」などの、手軽で実用的なスタイルが受けている。隣のテーブルには大学生らしい男女4人組。バイトの話題や、仲間のうわさ話で盛り上がり始めた。
日本が物質的な豊かさを獲得した結果、社会をどうする、歴史とどうかかわる、というグランドデザインは語られにくくなった。「理想」を求める大きな物語が成立しなくなり、若者の知的エネルギーは、身近な「実務」へと向かった。「実務の時代っていうのは、つまり、金をもうけて何が悪い、っていうことだよね。それも何か寂しくないかい、と思うんだけれども」(後略)
◆新入生9割が中国人、渋谷に誕生した超異色大学 5月14日 貝田 尚重
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/nbp-20100514-3465/1.htm
(要点のみ)
日本経済大学を運営するのは、福岡市に本拠を置き幼稚園から専門学校、大学までを全国で運営する都築学園グループ。もともと、日本経済大学は、1968年に福岡市で「第一経済大学」として開学(2007年、福岡経済大学に改称)。福岡県内を中心に、西日本地域の学生を集める中堅大学だった。
少子化に加えて、バブル期以降の大学新設ラッシュの反動で、日本の大学は入学希望者数が定員総数を割り込む「大学全入時代」を迎えている。各校は、推薦入試枠の拡大や、成績上位者に対する入学金や授業料の免除などを打ち出し、受験生獲得競争にやっきとなっているが、全国区の難関ブランド大学でもなければ、生徒数確保は容易なことではない。ここ数年は定員割れの大学が続出、日本私立学校振興・共済事業団の調べでは、私立大学の4割が2008年度決算で赤字に陥っている。
日本経済大学渋谷キャンパス。JR線渋谷駅から徒歩5分の便利な場所にある そんな逆風の環境下で、日本経済大学が、なぜ、あえて九州のローカルから、東京のど真ん中に進出を果たしたのか。
そこには都築学園グループのお家事情も深くかかわる。同グループは、東京を中心とする首都圏で東京マルチメディア専門学校、お茶の水はりきゅう専門学校など多くの専門学校を運営している。
しかし、贅沢を言わなければどこかしらの大学に入れる「全入時代」である。従来は専門学校で“妥協”していた層にとって大学へのハードルが低くなった分、専門学校の経営環境は大学以上に厳しくなっている。都築学園グループの複数の専門学校も、2009年度で廃止や、2010年度からの募集を停止しており、事態を放置すればグループ全体の経営がジリ貧になりかねない。専門学校の整理統合で発生する遊休校舎の有効活用策として、日本経済大学の渋谷キャンパスを開校する積極策に打って出たのだ。
かつての中国は、安価な労働力を提供する生産拠点であり、多くの製造業が進出済みだ。しかし、今の中国は、巨大な人口を抱える大消費地として、世界中からの注目を集める。日本からも、コンビニや薬局チェーンなどの小売店、物流などサービス業が本格的に成長マーケットである中国を目指しており、現地ミドルマネジャー需要が一段と高まるのは確実。
日本経済大学が目指すのは、まさに、そうした、ミドルマネジャー層の養成だ。
企業の立場からすれば、現地のミドルマネジャーが日本語を話せることは大前提。その上で、日本的経営の在り方、日本人の思考様式を理解した上で、正しく、現地の労働者に会社の方針、考え方を伝えることができる人物が必要なのだ。
留学生の側も、7割程度が「日本で働きたい」「日本企業の中国現地法人で働きたい」と考えていることから、企業・留学生のニーズは合致している。
日本経済大学渋谷キャンパスの成否は、1期生を日本企業が求めるレベルまで育成し、就職の実績を上げることができるのか──に掛かっていると言っても過言ではない。そのため、同キャンパスでは、一般教養や経営学の授業だけではなく、1年生から徹底した就職教育を行う。
ローソンは2008年から日本で学んだ外国人留学生の採用をスタート。2009年度は全体の3割に当たる39人、2010年度は2割に当たる17人を採用した実績があり、日本企業への就職を目指す留学生にとっては、注目企業の1つ。ビデオメッセージに耳を傾ける学生たちの表情は真剣そのものだ。
村山さんは「ローソンが留学生を採用するのは、日本人の考え方、働き方を変えてもらいたい、影響を与えてもらいたいと思っているから。将来的には中国現地法人の幹部社員として働いてもらうかもしれないが、当面は日本で働く覚悟がある人が最優先」と採用担当者ならではの視点を紹介。
さらに「会社の中に1人でできる仕事はない。だから、ゼミやアルバイト、クラブ活動を通じて、コミュニケーション能力、チームワークを身につけてほしい。だからと言って、日本人とまったく同じになる必要はありません。日本人があまり自己主張をしないのであれば、きちっと自分の意見を言えることは、あなたの魅力になります」とアドバイスをした。
全員の前で発表。授業の中でも、日本語を話す、人前で意見を言う機会を取り入れている 先輩留学生からは、「日本語検定1級を取って、周囲の人からは日本語が上手だと褒められたが、それでも、文章力、自己PR力は日本人に劣ってしまう。日本人の10倍は勉強して下さい」と厳しい言葉も。さらに「会話は普段の一日一日の積み重ねによって上達するもの。街で道を聞いたり、ご飯を食べに行って店員さんと話をしたり、とにかく、たくさんの人と日本語で話さないとだめです」と、日本語能力アップの重要性を説いていた。
(私のコメント)
昨日の続きになりますが、日本語が国際語になるためには海外に広めなければなりませんが、日本企業がアメリカに進出したとしてアメリカ人の幹部や社員は日本語を身につけるだろうか? アメリカで仕事をするなら英語を使うのが当たり前という事になる。それに対して日本に進出した外資系企業などでは社内では公用語として英語が当たり前だ。
英語はグローバルスタンダードな公用語であり日本語はローカルな言葉だから、このような扱いになりますが、昨日も書いたように日本語は決してローカルな言葉ではない。経済規模からしても英語に次ぐ存在なのですが、日本及び日本人はアメリカ及びアメリカ人に対してどうして必要以上に卑屈になる必要が在るのだろうか?
学校教育などにおいて必要以上に英語を学ばないと国際的に成れないと刷りこまれてしまって、それだけ国語教育が疎かになってしまう。麻生前総理も英米に留学して英語を身につけましたが漢字が読めなくて国民からの顰蹙を買ってしまった。語学的才能がある人ならともかく二ヶ国語を自由自在に使いこなすようになるには一般国民レベルでは無理な話だ。
呉氏は九九が出来ない、アルファベットも全部書けない大学生がいたことに嘆いていますが、大学全入時代を迎えて大学の性格が大きく変化してしまっているようだ。彼らの多くが勉強しようと思って入ってくるのではなく、大卒で就職したいから入ってくるだけなのだ。名古屋の「屋」の字が書けないのもワープロで字を書く事に慣れてしまっているからだろう。
大学生の変化は学力の低下ばかりでなく、草食男子のような無気力で競争を好まず失敗を恐れて自分の世界に閉じこもるゆとり世代はどうして出来たのだろうか? 学校教育や家庭の躾などが影響しているのでしょうが、それが日本の停滞を招いた原因の一つでもあるのだろう。彼らが待ち構えているのは厳しい競争社会であるのですが、ショックを受けて日こもってしまう若者が163万人もいる。
世の中の厳しさを教えない学校や家庭に責任があるのですが、やがてはそのツケが日本全体に回ってくる。テレビを見ればバカを売りものにしたバカタレントが増えている。バカは芸でもなんでもないから誰でもなれる。反競争主義が行きつけばバカであるほど皆の人気者になれる。
大学全入時代になれば受験勉強しなくても推薦で学校を選ばなければ入れるから勉強をしなくなる。文部省が天下り先として大学を増やしすぎたからですが、少子化で学校が余るのは分かりきった事だ。大学の中には定員すら埋まらなくて中国からの留学生を受け入れて生き残りを図る所もできた。
日本経済大学では中国からの留学生を積極的に受け入れて大学の生き残りを図っている。留学生がそれだけ集まればいいのですが、記事によれば「2009年5月1日時点で、日本国内の大学などに通う留学生は前年同期比7.2%増の13万2720人と過去最高を記録した。」そうです。
それだけの留学生が集まるのは日本の経済力や文化レベルの高さがあるからでしょう。欧米の大学なども事情は同じであり、アジアやアフリカなどの発展途上国からどれだけ留学生が集められるかが課題になってくる。有利なのはアメリカやイギリスなどの英語を母国語とする国であり、語学留学生も多い。
『政府は2008年7月に「留学生30万人計画」を打ち出し、2020年頃をめどに、受け入れを30万人まで拡大する目標を掲げている。』そうですが、昨日のブログのコメント欄にも中国人留学生に対する批判が書かれていますが、日本語を国際語として広めていく為には留学生を積極的に受け入れて日本語が分かる外国人を増やしていくべきだ。
早稲田大学などでは留学生向けに英語で授業を行う所も増えてきましたが、そんなことをしてもアメリカやイギリスの大学にかなう訳がない。フランスやドイツの大学などは英語で授業を行う所が増えていますが、EUの公用語が英語になってしまってはそうするしかないのだろう。
日本の戦略としては漢字文化圏からの留学生を増やす事が一番適切な方法かもしれない。韓国や台湾や中国はかつては日本の植民地だった所でもあり、人口だけでも十数億人もいるから一大日本文化圏となる可能性がある。もちろん中国人や韓国人留学生に人気があるのはアメリカ留学ですが、遠くて金もかかるのが難点だ。
国費留学生についてはいろいろ批判もあるようですが、人数的にはほとんどが私費留学生であり国費留学生は1万人あまりだ。最近では欧米人でも日本語が流暢な人がいますが国費留学生などで来た人たちが多い。少子化で大学生の数が減る以上は留学生を積極的に受け入れて日本語や日本文化を積極的に広める手段として活用すれば一石二鳥になる。
アジアやアフリカ諸国では大学などの高等教育は現地語では出来ない国が多く、英語で大学教育などを行なっている。韓国なども大学では英語の授業が多くなり大学教授は英語能力が要求される。韓国が海外からの留学生を集めるにはそうするしかない訳ですが、アジアからの留学生にとっては英語も分からないし韓国語も分からないといった事になりがちだ。大学教授も不慣れな英語を使わなければならないので内容に問題が出ていることも多い。
記事にある日本経済大学では日本語による授業で、日本語の習得と専門科目の教育の二つを両立させている。日本に留学してくる留学生にとっても日本語で高等教育が出来るのだから英語でやったら中途半端になるだろう。
先日インドネシアやフィリピンなどからの看護師試験で3人しか国家試験に受からなかった事がありましたが、インドネシアやフィリピンなどでの日本語教育はどうなっているのだろう? 非漢字文化圏の留学生にとっては言葉の習得が看護師などの資格を要する仕事のネックになってしまいますが、海外での日本語の普及に積極的になるべきだ。その為には病院や介護施設などの外国人看護師の受け入れも積極的にすべきだ。
日本の病院や介護施設などでは看護師や介護士などの成り手が無く、日本の若者はそのようなきつい仕事はやりたがらない。競争を嫌い失敗を恐れて部屋に引き篭もってばかりいる日本の若者が多くなれば外国人に頼る事も仕方がないのだろうか。
163万人も引きこもりがいると言う事は社会問題なのですが、実態すらあまり掴めていない。小中学生などの不登校などからも数は推測できるのですが、理由も無く学校に行かないと言うのは先進国の文明病でもあるのだろうか? 中国人留学生などへの異常な嫌悪感を示すのも引きこもりの特徴でもあるのだろう。
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コメント
01. 2010年5月14日 21:26:30: IzKuJsxM8g
大学の作りすぎ。アホもバカもカスも入学してくる。
20年ぐらい前から言われていた。私大の数を減らすべき。
何でも入学させている。
そもそも大学の数より、専門、実務の高校を作るべきだ。
そっちの方が、余程社会の役に立つ。
それと、途中で進路変更を容易にすること。単位を認めればよい。
大学を変わっても、今までの単位を認可すればよい。
卒業を厳しくすべき。
02. 2010年5月14日 21:28:53: IzKuJsxM8g
経験から言えば、女子学生の85%ぐらいが、アホです。
一部の学部の女子のみが、優秀。あとは、遊びに来ているだけ。
03. 2010年5月14日 23:44:04: w6m1iWoSZ6
世の中の厳しさとか未だに言ってんのがいけないんじゃないの?
まぁ事実ではあるけど。
競争を嫌い失敗を恐れて、とか馬鹿じゃないかと。
平然と人を使い捨てにする社会で誰がそうそうノコノコと出ていくかよ。
待ってましたとばかりに使い潰されるのは目に見えてるじゃないか。
そうだよ、「世の中は厳しい」からなぁ?
そんな「厳しさ」を「まっとうな社会」として許容してるのが狂ってんだが。
むしろ現実が見えてないのはこのブログの人なんじゃないか。
04. 2010年5月14日 23:50:34: 7MYtH07DVM
馬鹿が多いのはよくわかりましたが、
>>草食男子のような無気力で競争を好まず失敗を恐れて自分の世界に閉じこもるゆとり世代
の「競争を好まず」という傾向はあながち悪いことのようには思えませんがいかがでしょう。競争はお好きですか?
さらに
>>日本の病院や介護施設などでは看護師や介護士などの成り手が無く、日本の若者はそのようなきつい仕事はやりたがらない。競争を嫌い失敗を恐れて部屋に引き篭もってばかりいる日本の若者が多くなれば外国人に頼る事も仕方がないのだろうか。
なども若者に限ったことではなく長時間、重労働な割に報酬が低すぎる(特に介護)せいではないでしょうか。こんな待遇でやる気が湧きますか?それなりの報酬設定と労働時間の短縮ができれば足りなくはならないでしょう。外国人に低賃金で奴隷労働をさせる必要も無くなります。
05. 2010年5月15日 04:13:28: ShrpjVNbPg
最近の大学って小論文、面接で合格させちゃうところも少なくないらしい。
子供の数が減って、大学も自分達の収入の事しか考えない。国に役立つ人材を
作ろうなんて志はないのかね。
06. SWAN 2010年5月15日 06:22:47: 1PiiyMkDGVTj.: SMNbJEz7JU
03さんの発想に全面的に賛同します。
「社会は甘くない」と言いながら、私たちはどのような社会を作ってきたか!
ただ漫然と現実を受け入れ、奴隷化されることに甘んじていただけでした。
私はかねてよりニートや引きこもりはもっと増えればいいと思っていました。
これが何の表現手段も持たない若者たちができる唯一のアンチテーゼだからです。
投稿された一文は、現代の大人たちのばかさかげんがよくわかります。
若い人々は、こんな妄言に関わらず、そこから出発すればいいのです。
そして、本当に今ある現実の延長の上でない未来を考えてほしいと心から願うばかりです。
「現実」とたたかっている大人たちも、「現実」に疑問を感じている大人たちも
本当はたくさんいるのですよ。
紹介はここまで。
阿修羅への投稿の紹介です。投稿者 TORA様に感謝。
まさに痴的時代の到来。だれだったかな。「知的巨人」が「痴的巨人」と言われたことがあったような気がしました。
最高学府の現場がこれだけひどいとは。「金儲けのあだばな」
これではいけない。かえよう日本。
日本国を変えるには、選挙しかない。私は、日本国を愛する人には国籍を問いません。
国士も問いません。
日本国籍のない人が、選挙権を持っても「ぜひ日本国の良き成長へ」なるように、投票してください。
アルファベットが書けなくても、九九ができなくても
投票権のある方は、今度の参議院選挙にぜひ行ってください。
日本国の重要な未来を決める選挙です。人気投票の選挙ではありません。
貴重な一票を捨てないで下さい。後で泣いても取り返しがつきません。
紹介はここから。
アルファベット26文字を全部書ける大学生はゼロ。九九ができないばかりか、それを指摘されるとむくれてしまう女子学生。
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/529.html
投稿者 TORA 日時 2010 年 5 月 14 日 16:38:36: CP1Vgnax47n1s
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu215.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
--------------------------------------------------------------------------------
アルファベット26文字を全部書ける大学生はゼロ。九九が
できないばかりか、それを指摘されるとむくれてしまう女子学生。
2010年5月14日 金曜日
◆2010この現実 大学生/上 呉智英さん 5月13日 毎日新聞
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20100513dde012040091000c.html
◇失われた知的虚栄心--評論家・呉智英さん
大学は事実上「全入時代」に突入した。学力低下は言うに及ばず、時代の波を受けて、学生気質も様変わりしているようだ。社会の未来を担う大学生たちの、現状はどうなっているのか。【井田純】
「ひところ、大学生なのに分数ができないとか何とかいう話があったけど、今はもうそんなもんじゃない。すごいことが起きてる」
よく響く声に、独特の早口。40年前の大学生のころからなじみの街、西池袋にある小さな喫茶店で、呉智英さん(63)が話し始めた。差し出された名刺には、表に「評論家」、裏には複数の大学名と「客員教授」「講師」などの肩書が並んでいる。
「現代大学生論」を伺うと、まず披露してくれたのは、大学教育の現場で呉さん自身の体験したことだった。
かつて講義を持っていた愛知県内のある私立大学での話。アルファベット26文字を全部書ける学生はゼロ。九九ができないばかりか、それを指摘されるとむくれてしまう女子学生。99年に刊行された宮崎哲弥さんとの対談集「放談の王道」では、講義中に大学生の携帯電話がしきりに鳴ることを嘆いていた呉さんだが、もうそんな事態ではないらしい。
講義は「名古屋学」と題した地域文化論。学生には、日付、名前などとともに講義名を記入した出席カードを提出させる。
「ところが、何と『名古屋』の『屋』を書けない学生がいるんだよね。別の字を当てているんじゃなく、『屋』の途中で終わってて、最後の『土』の部分がない。しかも2人も。名古屋の大学で、名古屋学の授業に、なんで『屋』が書けない学生がいるんだっ!」
どん、どん、どんどんどん! 勢い込んでたたいた喫茶店のテーブルが揺れ、声のトーンも高くなっていく。
80年代以降、義務教育課程で進められた「ゆとり教育」。生きる力の育成を掲げて、従来の学習内容が削減された。「ゆとり世代」にはいくつか定義があるが、今年大学を卒業した新社会人は、高校時代に内容を削減した学習指導要領で学んだ「第一世代」といわれる。今、キャンパスで学ぶ大学生たちはその下の、「ゆとり教育」がさらに進んだ世代に重なる。
「ゆとり教育の影響は、大いにありますよ。ただ、文部官僚の言い分にも一理ある。詰め込み教育はいけない、子どもの個性を尊重しろと言ったのはマスコミで、国民の多くがそれに賛成したじゃないか、と。『公僕である自分たちはそれに従うのが当然だった』と言われれば、その点は確かにその通りだよね」
変化は学力に関してのみ表れたわけではない。プライベートを重視し、失敗を恐れ、競争を好まない――などと指摘されているゆとり世代の学生気質を、呉さんは「知的虚栄心がなくなった」と表現した。これは、いわゆる「偏差値の高い」大学の学生にも見られる傾向だという。
「僕らのころは、仲間の間で『この本読んだか』なんて話があると、読んでないと言うのが恥ずかしいから、読んだようなふりして帰りに慌てて買った。それから2、3日で読んで、『あれはつまんない本だ』なんて言って。裏にあるのは知的虚栄心だけど、これが、この10年、20年で学生の間から消えていってる」。70年代ごろまで、大手出版社はこうした知的虚栄心に応えるかのように「世界文学全集」「世界の名著」などのシリーズを競うように刊行していた。今、本格的な全集はほとんど見られず、古典も「超訳」などの、手軽で実用的なスタイルが受けている。隣のテーブルには大学生らしい男女4人組。バイトの話題や、仲間のうわさ話で盛り上がり始めた。
日本が物質的な豊かさを獲得した結果、社会をどうする、歴史とどうかかわる、というグランドデザインは語られにくくなった。「理想」を求める大きな物語が成立しなくなり、若者の知的エネルギーは、身近な「実務」へと向かった。「実務の時代っていうのは、つまり、金をもうけて何が悪い、っていうことだよね。それも何か寂しくないかい、と思うんだけれども」(後略)
◆新入生9割が中国人、渋谷に誕生した超異色大学 5月14日 貝田 尚重
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/nbp-20100514-3465/1.htm
(要点のみ)
日本経済大学を運営するのは、福岡市に本拠を置き幼稚園から専門学校、大学までを全国で運営する都築学園グループ。もともと、日本経済大学は、1968年に福岡市で「第一経済大学」として開学(2007年、福岡経済大学に改称)。福岡県内を中心に、西日本地域の学生を集める中堅大学だった。
少子化に加えて、バブル期以降の大学新設ラッシュの反動で、日本の大学は入学希望者数が定員総数を割り込む「大学全入時代」を迎えている。各校は、推薦入試枠の拡大や、成績上位者に対する入学金や授業料の免除などを打ち出し、受験生獲得競争にやっきとなっているが、全国区の難関ブランド大学でもなければ、生徒数確保は容易なことではない。ここ数年は定員割れの大学が続出、日本私立学校振興・共済事業団の調べでは、私立大学の4割が2008年度決算で赤字に陥っている。
日本経済大学渋谷キャンパス。JR線渋谷駅から徒歩5分の便利な場所にある そんな逆風の環境下で、日本経済大学が、なぜ、あえて九州のローカルから、東京のど真ん中に進出を果たしたのか。
そこには都築学園グループのお家事情も深くかかわる。同グループは、東京を中心とする首都圏で東京マルチメディア専門学校、お茶の水はりきゅう専門学校など多くの専門学校を運営している。
しかし、贅沢を言わなければどこかしらの大学に入れる「全入時代」である。従来は専門学校で“妥協”していた層にとって大学へのハードルが低くなった分、専門学校の経営環境は大学以上に厳しくなっている。都築学園グループの複数の専門学校も、2009年度で廃止や、2010年度からの募集を停止しており、事態を放置すればグループ全体の経営がジリ貧になりかねない。専門学校の整理統合で発生する遊休校舎の有効活用策として、日本経済大学の渋谷キャンパスを開校する積極策に打って出たのだ。
かつての中国は、安価な労働力を提供する生産拠点であり、多くの製造業が進出済みだ。しかし、今の中国は、巨大な人口を抱える大消費地として、世界中からの注目を集める。日本からも、コンビニや薬局チェーンなどの小売店、物流などサービス業が本格的に成長マーケットである中国を目指しており、現地ミドルマネジャー需要が一段と高まるのは確実。
日本経済大学が目指すのは、まさに、そうした、ミドルマネジャー層の養成だ。
企業の立場からすれば、現地のミドルマネジャーが日本語を話せることは大前提。その上で、日本的経営の在り方、日本人の思考様式を理解した上で、正しく、現地の労働者に会社の方針、考え方を伝えることができる人物が必要なのだ。
留学生の側も、7割程度が「日本で働きたい」「日本企業の中国現地法人で働きたい」と考えていることから、企業・留学生のニーズは合致している。
日本経済大学渋谷キャンパスの成否は、1期生を日本企業が求めるレベルまで育成し、就職の実績を上げることができるのか──に掛かっていると言っても過言ではない。そのため、同キャンパスでは、一般教養や経営学の授業だけではなく、1年生から徹底した就職教育を行う。
ローソンは2008年から日本で学んだ外国人留学生の採用をスタート。2009年度は全体の3割に当たる39人、2010年度は2割に当たる17人を採用した実績があり、日本企業への就職を目指す留学生にとっては、注目企業の1つ。ビデオメッセージに耳を傾ける学生たちの表情は真剣そのものだ。
村山さんは「ローソンが留学生を採用するのは、日本人の考え方、働き方を変えてもらいたい、影響を与えてもらいたいと思っているから。将来的には中国現地法人の幹部社員として働いてもらうかもしれないが、当面は日本で働く覚悟がある人が最優先」と採用担当者ならではの視点を紹介。
さらに「会社の中に1人でできる仕事はない。だから、ゼミやアルバイト、クラブ活動を通じて、コミュニケーション能力、チームワークを身につけてほしい。だからと言って、日本人とまったく同じになる必要はありません。日本人があまり自己主張をしないのであれば、きちっと自分の意見を言えることは、あなたの魅力になります」とアドバイスをした。
全員の前で発表。授業の中でも、日本語を話す、人前で意見を言う機会を取り入れている 先輩留学生からは、「日本語検定1級を取って、周囲の人からは日本語が上手だと褒められたが、それでも、文章力、自己PR力は日本人に劣ってしまう。日本人の10倍は勉強して下さい」と厳しい言葉も。さらに「会話は普段の一日一日の積み重ねによって上達するもの。街で道を聞いたり、ご飯を食べに行って店員さんと話をしたり、とにかく、たくさんの人と日本語で話さないとだめです」と、日本語能力アップの重要性を説いていた。
(私のコメント)
昨日の続きになりますが、日本語が国際語になるためには海外に広めなければなりませんが、日本企業がアメリカに進出したとしてアメリカ人の幹部や社員は日本語を身につけるだろうか? アメリカで仕事をするなら英語を使うのが当たり前という事になる。それに対して日本に進出した外資系企業などでは社内では公用語として英語が当たり前だ。
英語はグローバルスタンダードな公用語であり日本語はローカルな言葉だから、このような扱いになりますが、昨日も書いたように日本語は決してローカルな言葉ではない。経済規模からしても英語に次ぐ存在なのですが、日本及び日本人はアメリカ及びアメリカ人に対してどうして必要以上に卑屈になる必要が在るのだろうか?
学校教育などにおいて必要以上に英語を学ばないと国際的に成れないと刷りこまれてしまって、それだけ国語教育が疎かになってしまう。麻生前総理も英米に留学して英語を身につけましたが漢字が読めなくて国民からの顰蹙を買ってしまった。語学的才能がある人ならともかく二ヶ国語を自由自在に使いこなすようになるには一般国民レベルでは無理な話だ。
呉氏は九九が出来ない、アルファベットも全部書けない大学生がいたことに嘆いていますが、大学全入時代を迎えて大学の性格が大きく変化してしまっているようだ。彼らの多くが勉強しようと思って入ってくるのではなく、大卒で就職したいから入ってくるだけなのだ。名古屋の「屋」の字が書けないのもワープロで字を書く事に慣れてしまっているからだろう。
大学生の変化は学力の低下ばかりでなく、草食男子のような無気力で競争を好まず失敗を恐れて自分の世界に閉じこもるゆとり世代はどうして出来たのだろうか? 学校教育や家庭の躾などが影響しているのでしょうが、それが日本の停滞を招いた原因の一つでもあるのだろう。彼らが待ち構えているのは厳しい競争社会であるのですが、ショックを受けて日こもってしまう若者が163万人もいる。
世の中の厳しさを教えない学校や家庭に責任があるのですが、やがてはそのツケが日本全体に回ってくる。テレビを見ればバカを売りものにしたバカタレントが増えている。バカは芸でもなんでもないから誰でもなれる。反競争主義が行きつけばバカであるほど皆の人気者になれる。
大学全入時代になれば受験勉強しなくても推薦で学校を選ばなければ入れるから勉強をしなくなる。文部省が天下り先として大学を増やしすぎたからですが、少子化で学校が余るのは分かりきった事だ。大学の中には定員すら埋まらなくて中国からの留学生を受け入れて生き残りを図る所もできた。
日本経済大学では中国からの留学生を積極的に受け入れて大学の生き残りを図っている。留学生がそれだけ集まればいいのですが、記事によれば「2009年5月1日時点で、日本国内の大学などに通う留学生は前年同期比7.2%増の13万2720人と過去最高を記録した。」そうです。
それだけの留学生が集まるのは日本の経済力や文化レベルの高さがあるからでしょう。欧米の大学なども事情は同じであり、アジアやアフリカなどの発展途上国からどれだけ留学生が集められるかが課題になってくる。有利なのはアメリカやイギリスなどの英語を母国語とする国であり、語学留学生も多い。
『政府は2008年7月に「留学生30万人計画」を打ち出し、2020年頃をめどに、受け入れを30万人まで拡大する目標を掲げている。』そうですが、昨日のブログのコメント欄にも中国人留学生に対する批判が書かれていますが、日本語を国際語として広めていく為には留学生を積極的に受け入れて日本語が分かる外国人を増やしていくべきだ。
早稲田大学などでは留学生向けに英語で授業を行う所も増えてきましたが、そんなことをしてもアメリカやイギリスの大学にかなう訳がない。フランスやドイツの大学などは英語で授業を行う所が増えていますが、EUの公用語が英語になってしまってはそうするしかないのだろう。
日本の戦略としては漢字文化圏からの留学生を増やす事が一番適切な方法かもしれない。韓国や台湾や中国はかつては日本の植民地だった所でもあり、人口だけでも十数億人もいるから一大日本文化圏となる可能性がある。もちろん中国人や韓国人留学生に人気があるのはアメリカ留学ですが、遠くて金もかかるのが難点だ。
国費留学生についてはいろいろ批判もあるようですが、人数的にはほとんどが私費留学生であり国費留学生は1万人あまりだ。最近では欧米人でも日本語が流暢な人がいますが国費留学生などで来た人たちが多い。少子化で大学生の数が減る以上は留学生を積極的に受け入れて日本語や日本文化を積極的に広める手段として活用すれば一石二鳥になる。
アジアやアフリカ諸国では大学などの高等教育は現地語では出来ない国が多く、英語で大学教育などを行なっている。韓国なども大学では英語の授業が多くなり大学教授は英語能力が要求される。韓国が海外からの留学生を集めるにはそうするしかない訳ですが、アジアからの留学生にとっては英語も分からないし韓国語も分からないといった事になりがちだ。大学教授も不慣れな英語を使わなければならないので内容に問題が出ていることも多い。
記事にある日本経済大学では日本語による授業で、日本語の習得と専門科目の教育の二つを両立させている。日本に留学してくる留学生にとっても日本語で高等教育が出来るのだから英語でやったら中途半端になるだろう。
先日インドネシアやフィリピンなどからの看護師試験で3人しか国家試験に受からなかった事がありましたが、インドネシアやフィリピンなどでの日本語教育はどうなっているのだろう? 非漢字文化圏の留学生にとっては言葉の習得が看護師などの資格を要する仕事のネックになってしまいますが、海外での日本語の普及に積極的になるべきだ。その為には病院や介護施設などの外国人看護師の受け入れも積極的にすべきだ。
日本の病院や介護施設などでは看護師や介護士などの成り手が無く、日本の若者はそのようなきつい仕事はやりたがらない。競争を嫌い失敗を恐れて部屋に引き篭もってばかりいる日本の若者が多くなれば外国人に頼る事も仕方がないのだろうか。
163万人も引きこもりがいると言う事は社会問題なのですが、実態すらあまり掴めていない。小中学生などの不登校などからも数は推測できるのですが、理由も無く学校に行かないと言うのは先進国の文明病でもあるのだろうか? 中国人留学生などへの異常な嫌悪感を示すのも引きこもりの特徴でもあるのだろう。
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コメント
01. 2010年5月14日 21:26:30: IzKuJsxM8g
大学の作りすぎ。アホもバカもカスも入学してくる。
20年ぐらい前から言われていた。私大の数を減らすべき。
何でも入学させている。
そもそも大学の数より、専門、実務の高校を作るべきだ。
そっちの方が、余程社会の役に立つ。
それと、途中で進路変更を容易にすること。単位を認めればよい。
大学を変わっても、今までの単位を認可すればよい。
卒業を厳しくすべき。
02. 2010年5月14日 21:28:53: IzKuJsxM8g
経験から言えば、女子学生の85%ぐらいが、アホです。
一部の学部の女子のみが、優秀。あとは、遊びに来ているだけ。
03. 2010年5月14日 23:44:04: w6m1iWoSZ6
世の中の厳しさとか未だに言ってんのがいけないんじゃないの?
まぁ事実ではあるけど。
競争を嫌い失敗を恐れて、とか馬鹿じゃないかと。
平然と人を使い捨てにする社会で誰がそうそうノコノコと出ていくかよ。
待ってましたとばかりに使い潰されるのは目に見えてるじゃないか。
そうだよ、「世の中は厳しい」からなぁ?
そんな「厳しさ」を「まっとうな社会」として許容してるのが狂ってんだが。
むしろ現実が見えてないのはこのブログの人なんじゃないか。
04. 2010年5月14日 23:50:34: 7MYtH07DVM
馬鹿が多いのはよくわかりましたが、
>>草食男子のような無気力で競争を好まず失敗を恐れて自分の世界に閉じこもるゆとり世代
の「競争を好まず」という傾向はあながち悪いことのようには思えませんがいかがでしょう。競争はお好きですか?
さらに
>>日本の病院や介護施設などでは看護師や介護士などの成り手が無く、日本の若者はそのようなきつい仕事はやりたがらない。競争を嫌い失敗を恐れて部屋に引き篭もってばかりいる日本の若者が多くなれば外国人に頼る事も仕方がないのだろうか。
なども若者に限ったことではなく長時間、重労働な割に報酬が低すぎる(特に介護)せいではないでしょうか。こんな待遇でやる気が湧きますか?それなりの報酬設定と労働時間の短縮ができれば足りなくはならないでしょう。外国人に低賃金で奴隷労働をさせる必要も無くなります。
05. 2010年5月15日 04:13:28: ShrpjVNbPg
最近の大学って小論文、面接で合格させちゃうところも少なくないらしい。
子供の数が減って、大学も自分達の収入の事しか考えない。国に役立つ人材を
作ろうなんて志はないのかね。
06. SWAN 2010年5月15日 06:22:47: 1PiiyMkDGVTj.: SMNbJEz7JU
03さんの発想に全面的に賛同します。
「社会は甘くない」と言いながら、私たちはどのような社会を作ってきたか!
ただ漫然と現実を受け入れ、奴隷化されることに甘んじていただけでした。
私はかねてよりニートや引きこもりはもっと増えればいいと思っていました。
これが何の表現手段も持たない若者たちができる唯一のアンチテーゼだからです。
投稿された一文は、現代の大人たちのばかさかげんがよくわかります。
若い人々は、こんな妄言に関わらず、そこから出発すればいいのです。
そして、本当に今ある現実の延長の上でない未来を考えてほしいと心から願うばかりです。
「現実」とたたかっている大人たちも、「現実」に疑問を感じている大人たちも
本当はたくさんいるのですよ。
紹介はここまで。