一粒万倍日 ブログ「株式日記と経済展望」の紹介です。
2005tora様に感謝。来訪者様に感謝。
紹介するブログのタイトルは、
「日本人を日本人たらしめるのは国家でも血でもなく、日本語なんです。」
おばかさんの私は、「2005tora様」を、国士と認めます。
コメントの紹介です。
(私こと2005toraのコメント)
インターネットの時代になって英語のグローバルスタンダード化が進むような意見がよくありますが、本当にそうなのだろうか? 国連の統計によれば世界のウエブサイトの8割は英語で書かれているそうですが、ブログ投稿数においては日本語で書かれたものが37%で一番多くて英語は36%で第二位で、インターネットに利用割合から見ると日本語と英語が二大言語ということになる。
もっとも質的な面では日本語のブログは日記的なものが多くて、携帯電話から数行のコメントを書いただけのものがほとんどだろう。しかしインターネットの利用環境が世界で一番整っているという事の証明でもあり、インターネットが普及すれば英語がグローバルスタンダード化して行くと言う予想は間違っているのではないかと思う。
確かに現在は学術論文などでは英語がグローバルスタンダード化していますが、この傾向はますます強まるのだろうか? 「学術論文 英語」でググッテ見ると英語翻訳業者のサイトで埋まっています。これらは英語から日本語に訳す業者ではなくて日本語から英語に英訳して校正する業者です。
英語を日本語に訳すのは翻訳ソフトの普及などでずいぶん楽になりましたが、日本語を英語に訳せる翻訳ソフトが無い。英語に訳せてもちゃんとした英語ではなく意味が正しく通じない。だから「株式日記」を英語でやろうと思っても断念せざるを得ないのですが、いくら英語を勉強しても英語を訳すのは出来るようになるが、日本語を正しい英語に訳すのはネイティブスピーカーに校正してもらわないとできない。
もちろん意味さえ通じればいいといった日常会話のレベルは別ですが、文学作品や学術論文となると翻訳者のレベルに左右されてしまう。英語使いの達人といわれる新渡戸稲造ですら「武士道」を英語で書きましたが、婦人となったメリー・エルキントンに校正してもらっている。理系の学術論文なら多少の文法の間違いは致命傷にはならないが、専門用語の使い方は専門分野に精通していないと訳しようが無い。
「株式日記」でも英語のウエブサイトを日本語に翻訳して紹介していますが、正しい日本語に校正するのは自分で出来る。しかし正しい英語に校正する事は米英で生まれ育ったような人でないと出来ない。意味は通ずるが間違った英語では小説家にはなれない。カズオ・イシグロは英語の小説家になりましたが、イギリスで育った為に日本語が出来ない。
だから世の中には完全な英語と日本語のバイリンガルなどありえないのですが、小説家の水村美苗氏は12歳でアメリカに渡りイエール大学でフランス文学を学んで博士課程まで修了した人ですが、英語ではなく日本語の小説家になった。現代ならインターネットがあるから欧米で生活しても日本の事がよく分かりますが、90年以前は海外に出たら日本のことが分からなくなってしまう。
英語で小説を書けばベストセラーになれば世界中で売れますが、なぜ日本語の小説家になったのだろうか? それにはカズオ・イシグロのように日本語を完全に忘れてしまうくらいでないと英語の小説家にはなれない。英語がその人にとって血や肉になっていないと感覚的に違ってきてしまう。
ビジネスで英語を使うのなら意味さえ通じればいいのでしょう。だから安易に学校教育で英語の時間を増やせば英語は上達して上手く行くというのは間違いであり、へたな英語教育は麻生総理のように漢字も読めない、英語の発音もおかしいといった中途半端なバイリンガルが出来上がる。
日本で生まれ育った以上は日本語が母国語で無ければならないのであり、グロ-バル化を先取りして子供を小さな時からアメリカ留学させる家庭もあるくらいですが、子供をアメリカ人として育てるつもりならともかく、そうでなければ、バイリンガルとして中途半端な日本人になるだけだ。
文明が高度に進歩すればするほど言語もそれに耐えうる高度な言葉でなければ文明の進歩について行けない。それと同時に過去の歴史の蓄積がないと文明が暴走した時には間違った方向に行ってしまうだろう。中国や韓国は文字自体を変えてしまって過去の歴史との断絶が生まれてしまった。アメリカ自身も二百数十年の歴史しかなく、多くの国民の祖先は英語が母国語ではない人たちだ。
例えばオバマ大統領は祖先がケニア人ですが、オバマ大統領はスワヒリ語が出来るわけではない。日系人もほとんどが日本語が出来ず日本の歴史を共有できない。つまりアメリカ人の多くは自分たちの祖先の歴史を知る事が出来ない訳であり、アイルランド人もいまは英語を話しているがアイルランド語で書かれた神話は読むことが出来ない。
日本も将来、日本語が滅んでしまって英語が母国語になった場合には、アメリカ人や中国人や韓国人のような過去の歴史とは断絶した人間が出来上がり、自分たちの祖先とは違った言葉や文字を使う民族に成り下ることになる。だからアメリカ人や中国人や韓国人の過度な愛国心は過去の歴史を共有できないから生ずるものであり、日本人は日本語を使う限り日本人でしかないのだから過度な愛国心も必要は無い。
最近の学校教育では歴史を中途半端にしか教えないから、明治維新で歴史教育は終わってしまう。高校では世界史や日本史を教えない進学校もあるくらいで、日本とアメリカと戦争をしたことも知らない高校生がいる。戦後のゆがんだ歴史教育が歴史を知らない日本人を作っているのであり、NHKの大河ドラマで戦国時代のことは知っていても、大正時代や昭和初期のことは知らない日本人が増えた。
日本語が滅んだときは日本民族が滅んだ時であり、決してアメリカ人や中国人や韓国人のような自分の祖先の言葉や文字が分からない民族になってはならない。グローバルスタンダードというのは日本語であり、英語ではデフェクトスタンダードが正しい。母国語を失い、母国の文字が読めなくなった民族はアイデンティティを失い、愛国心を煽るしかなく、国家の求心力を失ってしまうのだ。
2005tora様に感謝。来訪者様に感謝。
紹介するブログのタイトルは、
「日本人を日本人たらしめるのは国家でも血でもなく、日本語なんです。」
おばかさんの私は、「2005tora様」を、国士と認めます。
コメントの紹介です。
(私こと2005toraのコメント)
インターネットの時代になって英語のグローバルスタンダード化が進むような意見がよくありますが、本当にそうなのだろうか? 国連の統計によれば世界のウエブサイトの8割は英語で書かれているそうですが、ブログ投稿数においては日本語で書かれたものが37%で一番多くて英語は36%で第二位で、インターネットに利用割合から見ると日本語と英語が二大言語ということになる。
もっとも質的な面では日本語のブログは日記的なものが多くて、携帯電話から数行のコメントを書いただけのものがほとんどだろう。しかしインターネットの利用環境が世界で一番整っているという事の証明でもあり、インターネットが普及すれば英語がグローバルスタンダード化して行くと言う予想は間違っているのではないかと思う。
確かに現在は学術論文などでは英語がグローバルスタンダード化していますが、この傾向はますます強まるのだろうか? 「学術論文 英語」でググッテ見ると英語翻訳業者のサイトで埋まっています。これらは英語から日本語に訳す業者ではなくて日本語から英語に英訳して校正する業者です。
英語を日本語に訳すのは翻訳ソフトの普及などでずいぶん楽になりましたが、日本語を英語に訳せる翻訳ソフトが無い。英語に訳せてもちゃんとした英語ではなく意味が正しく通じない。だから「株式日記」を英語でやろうと思っても断念せざるを得ないのですが、いくら英語を勉強しても英語を訳すのは出来るようになるが、日本語を正しい英語に訳すのはネイティブスピーカーに校正してもらわないとできない。
もちろん意味さえ通じればいいといった日常会話のレベルは別ですが、文学作品や学術論文となると翻訳者のレベルに左右されてしまう。英語使いの達人といわれる新渡戸稲造ですら「武士道」を英語で書きましたが、婦人となったメリー・エルキントンに校正してもらっている。理系の学術論文なら多少の文法の間違いは致命傷にはならないが、専門用語の使い方は専門分野に精通していないと訳しようが無い。
「株式日記」でも英語のウエブサイトを日本語に翻訳して紹介していますが、正しい日本語に校正するのは自分で出来る。しかし正しい英語に校正する事は米英で生まれ育ったような人でないと出来ない。意味は通ずるが間違った英語では小説家にはなれない。カズオ・イシグロは英語の小説家になりましたが、イギリスで育った為に日本語が出来ない。
だから世の中には完全な英語と日本語のバイリンガルなどありえないのですが、小説家の水村美苗氏は12歳でアメリカに渡りイエール大学でフランス文学を学んで博士課程まで修了した人ですが、英語ではなく日本語の小説家になった。現代ならインターネットがあるから欧米で生活しても日本の事がよく分かりますが、90年以前は海外に出たら日本のことが分からなくなってしまう。
英語で小説を書けばベストセラーになれば世界中で売れますが、なぜ日本語の小説家になったのだろうか? それにはカズオ・イシグロのように日本語を完全に忘れてしまうくらいでないと英語の小説家にはなれない。英語がその人にとって血や肉になっていないと感覚的に違ってきてしまう。
ビジネスで英語を使うのなら意味さえ通じればいいのでしょう。だから安易に学校教育で英語の時間を増やせば英語は上達して上手く行くというのは間違いであり、へたな英語教育は麻生総理のように漢字も読めない、英語の発音もおかしいといった中途半端なバイリンガルが出来上がる。
日本で生まれ育った以上は日本語が母国語で無ければならないのであり、グロ-バル化を先取りして子供を小さな時からアメリカ留学させる家庭もあるくらいですが、子供をアメリカ人として育てるつもりならともかく、そうでなければ、バイリンガルとして中途半端な日本人になるだけだ。
文明が高度に進歩すればするほど言語もそれに耐えうる高度な言葉でなければ文明の進歩について行けない。それと同時に過去の歴史の蓄積がないと文明が暴走した時には間違った方向に行ってしまうだろう。中国や韓国は文字自体を変えてしまって過去の歴史との断絶が生まれてしまった。アメリカ自身も二百数十年の歴史しかなく、多くの国民の祖先は英語が母国語ではない人たちだ。
例えばオバマ大統領は祖先がケニア人ですが、オバマ大統領はスワヒリ語が出来るわけではない。日系人もほとんどが日本語が出来ず日本の歴史を共有できない。つまりアメリカ人の多くは自分たちの祖先の歴史を知る事が出来ない訳であり、アイルランド人もいまは英語を話しているがアイルランド語で書かれた神話は読むことが出来ない。
日本も将来、日本語が滅んでしまって英語が母国語になった場合には、アメリカ人や中国人や韓国人のような過去の歴史とは断絶した人間が出来上がり、自分たちの祖先とは違った言葉や文字を使う民族に成り下ることになる。だからアメリカ人や中国人や韓国人の過度な愛国心は過去の歴史を共有できないから生ずるものであり、日本人は日本語を使う限り日本人でしかないのだから過度な愛国心も必要は無い。
最近の学校教育では歴史を中途半端にしか教えないから、明治維新で歴史教育は終わってしまう。高校では世界史や日本史を教えない進学校もあるくらいで、日本とアメリカと戦争をしたことも知らない高校生がいる。戦後のゆがんだ歴史教育が歴史を知らない日本人を作っているのであり、NHKの大河ドラマで戦国時代のことは知っていても、大正時代や昭和初期のことは知らない日本人が増えた。
日本語が滅んだときは日本民族が滅んだ時であり、決してアメリカ人や中国人や韓国人のような自分の祖先の言葉や文字が分からない民族になってはならない。グローバルスタンダードというのは日本語であり、英語ではデフェクトスタンダードが正しい。母国語を失い、母国の文字が読めなくなった民族はアイデンティティを失い、愛国心を煽るしかなく、国家の求心力を失ってしまうのだ。