副田本道の「平和維新」

私の夢:「平和維新」を世界の共通語にすること。

その方たちの無念のエネルギーは永遠に、ブッシュ家に届くだろう

2009-02-21 07:17:24 | Weblog
一粒万倍日 阿修羅への投稿の紹介です。
投稿者 鬼畜ユダヤ様に感謝。来訪者様に感謝。

「おれのしまを荒らすな。
ガキは黙っていろ。
9.11の真相をしゃべるな。

言うことを聞かなかったら、
美人記者の前で、
お酒に、風邪薬をいれるぞ。

そして、世界中の笑いものになれ。」
などの妄想が浮かぶ。

9.11で死んだ人、
イラク戦争で死んだ人。

その方たちの無念のエネルギーは、
永遠に、ブッシュ家に届くだろう。

投稿の記事はここから。
ブッシュ親子が殺害したジャーナリスト一覧w
http://www.asyura2.com/09/wara7/msg/122.html
投稿者 鬼畜ユダヤ 日時 2009 年 2 月 21 日 06:48:15: fd9zY2zPWt.BQ

ブッシュ親子は、あまりにも多くの人を殺害しているので判明しているだけの百分の1程度だけどいいか?
なに、1万分の1だと。。。そうかも知れないなw

(ごく一部引用。ソースは一番下にあるから自分で確かめてなw)
CIAとコカイン密売の関係を暴露したジャーナリストが「自殺」
「いいか、ジョージ。私は捕虜達を捜し続けるが、米国政府が世界中に麻薬を流通させて、違法な武器取引をしているという件をなんとしても暴いてやるぞ。私が捕虜達を助けられないとしたら、わが国の工作員達が堕落しているおかげだ」
("Well George, I go in looking for prisoners, but I spend my time discovering
the government has been moving drugs around the world ands is involved in
illegal arms deals. I can't get at our prisoners because of the corruption of
our own covert people.")
----1987年、当時副大統領のジョージ・H・W・ブッシュが、テキサスの大富豪ロス・ペロー氏に、ベトナム戦争捕虜の調査の進行具合を尋ねた際、ロス・ペロー氏が怒って父ブッシュに言い放った言葉(ペロー氏は私費を投じてベトナム戦争捕虜の救出活動をした異色の大統領候補)
2004年12月10日、ジャーナリストのゲイリー・ウェッブ氏が、カリフォルニア州サクラメント郡の自宅で、頭を銃で撃ちぬかれた死体として発見された。サクラメント警察検視官はウェッブ氏の死亡について、拳銃自殺であると断定している。
事件を最初に警察に通報した引越し業者の証言では、ウェッブ氏の自宅玄関ドアには「どうか中に入らないでください。911へ連絡して救急車を呼んでください」と書かれたメモが貼り付けられていたという。
ゲイリー・ウェッブ氏(享年49)をジャーナリストとして最も有名にしたのは、『80年代の米国で、ニカラグアの反政府組織コントラが資金調達のため米国内のドラッグ密売ルートを開拓し、CIAはそうしたコントラの犯罪活動(コカイン密売)を極秘裏に支援していた結果、コカインが米国で大流行することになった』という一連の調査報道であった。この衝撃的なレポートは1996年にサンノゼ・マーキュリーニュース紙上で連載され、米国内は騒然となった。
しかし、NYタイムズ、LAタイムズ、ワシントンポスト他アメリカの大手メディアはウェッブ氏の調査報道を「信頼性に欠ける」として一斉攻撃し、米政府もCIAに対する疑惑を否定した。ついには記事を掲載したサンノゼ・マーキュリーニュース紙自らウェッブ氏の報道の信頼性を否定し、ウェッブ氏を追い出しにかかった。
政府・同業者・同僚からの攻撃に逃げ場を失ったゲイリー・ウェッブ氏は調査を中止してサンノゼ紙を辞職、その後主要メディア上での活躍の場を失った。(後にウェッブ氏は一連の調査を書籍「Dark
Alliance: The CIA, the Contras and the Crack Cocaine Explosion(影の同盟:CIA、コントラとクラック・コカイン大流行)にまとめあげた。)
ところが、1998年3月に行われた下院情報調査委員会で、CIA監査官フレッド・P・ヒッツ氏は、米国内でドラッグ密売に関わっているコントラメンバーとCIA工作員の関係を証言し、議員達は仰天することになる。さらに委員会で問題となったのは、1982年から1995年の間、CIAと司法省の間で、「お互いの不正を調査しない」密約が交わされていたという事実であった。FBI、CIA他政府機関は、コントラによるアメリカ国内ドラッグ密売ビジネスを黙認していたわけである。(密約の背景には、1981年の大統領令第12333(レーガン大統領発布):ニカラグア・サンディニエスタ政権転覆を目的としたCIA工作活動の承認があった)
つまり、ゲイリー・ウェッブ氏の調査報道は真相に迫っていたのである。
80年代、レーガン政権は「ドラッグとの戦争」を宣言し、ドラッグ密売ルート撲滅運動を推進していた。しかし実際には、アメリカ国内の薬物汚染拡大の一端を、米国政府自身が担っていたというわけだ。そのレーガン政権のドラッグ撲滅運動の責任者を務めたのは、当時の副大統領ジョージ・H・W・ブッシュであった。
レーガンの選挙キャンペーン責任者として、イラン・コントラ事件の発端となる「オクトーバー・サプライズ」を仕掛けた元CIA長官であるブッシュ父は、CIA・コントラ組織のドラッグ密売ルートを承知していた事実も判明している。ブッシュ父が率いた「麻薬対策チーム」は、極端な表現をすれば、政府に承認されていない(ライバルの)ドラッグ密売ルートを撲滅することで、CIA-コントラのコカイン販売網を拡大していたことになる。
米政府の暗部を見事に暴いたゲイリー・ウェッブ氏は、図らずもブッシュ家の芝生を踏んでいたのだ。
サクラメント検視局のロバート・ライアン氏の発表によれば、ゲイリー・ウェッブ氏は顔面に2発の銃弾を浴びて自殺していたとのことである。自分の顔面を2回撃った?---ライアン氏は「2発の銃弾で自殺するのは異例なことだが、過去にも起きているし、実際充分起こりうるものだ」と説明している。
そのとおり。全ては過去に前例がある。以下に、ブッシュ家の過去を探っている途中で自殺したジャーナリストの事例を挙げておこう。

1991年8月10日:BCCIスキャンダル、オクトーバー・サプライズ等(どちらもブッシュ父関連事件)、INSLAW社疑惑(クリントン)の調査報道で知られるジャーナリストのダニー・カサラロ氏(Danny
Casalaro)が、バージニア州マーティンズバーグのシェラトンホテルの浴槽で、死体として発見された。手首が10回ほど切られていることから、警察当局は自殺と断定。カサラロ氏はブッシュ父にまつわる最新暴露本「The Octopus」を執筆中であったが、自殺時に所有していたはずの調査資料、原稿は全て紛失していた。
2000年3月22日:ニューヨーク・ブルックリン在住のアーティスト、マーク・ロンバルディ氏(Mark
Lombardi)が、自宅ロフトで首つり死体として発見された。ロンバルディ氏(享年48)はブッシュ家とビン・ラディン家、サウジ王家、BCCI他の関わる複雑な資金ルートを詳細に調査し、グラフィックアート作品として発表、展覧会を開催して物議を醸した異色のアーティストであった。(作品は書籍「Mark Lombardi: Global Networks」として販売されている)
2001年7月18日:アーカンソー州スプリングデール郡のホテルの一室で、ジャーナリストのJ.H. ハットフィールド氏(J.H. Hatfield)が死体として発見された。警察当局の検死により、2種類の薬物過剰投与による自殺と断定された。ハットフィールド氏(享年43)は当時大統領候補として注目を集めていたジョージ・W・ブッシュの経歴を綿密に調査し、1972年にブッシュがコカイン使用で逮捕されていた事実をつきとめ、1999年に「Fortunate Son: George W. Bush and the Making of an American President」(初版1999年刊行)(邦訳は「幸運なる二世ジョージ・ブッシュの真実」(青山出版社/2001年4月刊行、現在絶版)として刊行、ベストセラーとなるが、すぐにブッシュ本人の圧力により出版社が同書を回収し大騒動となった。(ブッシュは自らのコカイン使用疑惑について、結局今日まで事実を明確に否定できないまま、ひたすら疑惑への言及を避けており、「Fortunate
Son」も出版元を変えて再刊されることになった)死亡直前、ハットフィールド氏はブッシュ家とビン・ラディン家のお金の流れを詳細にわたり調査中であったと見られている。(遺稿となった2001年7月3日の記事もそれを示している)
以上の事例を鑑みると、ゲイリー・ウェッブ氏の自殺は、“充分起こりうるものであった”と理解できる。
(ごく一部引用終了w)
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/cat114727/index.html  


だれかさんの予定表ではないのかな

2009-02-21 06:27:16 | Weblog
一粒万倍日 来訪者様に感謝。
フィナンシャル・タイムズは、
オバマ大統領の「2012年11月」の再選にやぶれた予想記事を
掲載している。

まだまだハネムーンなのに、
もう「成田離婚」の記事を書いている。

ひょっとしたら、この記事はだれかさんの予定表ではないのかな。

であれば、今後の4年間の動きがよく判る。

フィナンシャル・タイムズの記事はここから。
2012年11月の悪夢、もしも「CHANGE」が失敗したら――フィナンシャル・タイムズ(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース2012年11月の悪夢、もしも「CHANGE」が失敗したら――フィナンシャル・タイムズ
2009年2月20日(金)08:00
(フィナンシャル・タイムズ 2009年2月16日初出 翻訳gooニュース) ギデオン・ラックマン

大西洋の両側で、政府幹部たちが深刻な警告を発している。世界的な政治混乱が起きているのだと。米国では、デニス・ブレア国家情報局長(DNI)が「経済危機が引き起こした不安定性が今や、米国の国家安全保障にとって最大の短期的な脅威だ」と発言。そして英国では閣僚のエド・ボールズ氏が、今のこの経済危機は1930年代よりも「さらに深刻だ」と述べ、「1930年代の経済が当時の政治にどれほど影響を与えたか、みんな覚えてますよね」とにこやかに語っている。

政府関係者のこういう警告はどれも気がかりだが、どれもいささか曖昧だ。4年後の世界政治は実際、どうなっているのだろう? たとえばこうなったりしていないだろうか…………。

…………時は2012年11月7日。午前3時、げっそり疲れ果てた様子のバラク・オバマ大統領が登場し、シカゴ・ヒルトンの宴会場で涙にかきくれる支持者を前に、ついに敗北宣言をした。4年前に同じシカゴのグラント・パークで勝利演説に酔った人々の、あの激しい歓喜と熱狂は、すでい遠い記憶の果てだ。オバマ政権は、アメリカの経済問題に太刀打ちできず、飲み込まれてしまった。新しい米大統領に選ばれたのは、サラ・ペイリンなのだ。

内政ではポピュリズム(大衆主義)を、そして外交ではナショナリズム(国家主義)を全面に打ち出して、ペイリン氏は当選。次期大統領となって、外国首脳からかかってくるお祝いの電話を次々と取り始めた。最初の相手は、イスラエルのアビグドル・リーバーマン首相(愛国党党首)。次はロシアのウラジーミル・プーチン大統領だ。それから、自分こそが欧州連合(EU)の代表と名乗る国家首脳が5人ほど次々と電話してくるが、みんな保留状態で待たされている。そして次の米国大統領は中国とは話をしないと決めているので、中国の指導部からの電話は全く相手にしない。彼女が中国首脳陣と話しなどできるわけがない。選挙戦中ペイリン氏はずっと、「為替を操る北京の共産党連中」と攻撃し続けてきたのだから。

対する中国政府は、ペイリン氏を「資本主義の走狗」と呼びたいのをグッとこらえてきた。しかしそれでも、輸出市場の崩壊・閉鎖という衝撃に何とか対応しようとしている中国政府の公式発表には、毛沢東的なフレーズが少しずつ復活しつつある。都市部に大量の失業者が集中していることに危機感を抱いた中国共産党は、農地私有化の計画を諦め、代わりに農村部の大型公共事業や集団農場に重点投資。この政策はたちまち「大躍進」ならぬ「大後退」と呼ばれるようになった。

オバマ氏に最大の打撃を与えた国際的な出来事は、2011年のイラン核実験だった。イランは核兵器の開発に成功してしまったのだ。イランとは包括的な合意が可能だと騙されていたオバマ氏を、共和党側は「第2のジミー・カーター」呼ばわりして徹底的に批判。(イラン革命時の大使館人質事件などですっかり国民の信用を失った)元大統領と、オバマ氏を見事に重ね合わせたのだ。

イランの核実験成功によって、イスラエル政治も今まで以上に右傾化し、リーバーマン愛国党党首の台頭を招いた。2011年イスラエル総選挙でのリーバーマン氏のスローガンは「奴らが便所に座っている間に爆撃しちまえ」。これはプーチン氏からそっくり借用したもので、リーバーマン氏のロシア系支持者たちがこぞってロシア語で繰り返した選挙の合言葉だった。

米軍をイラクから撤退させるというオバマ大統領の公約は、確かに見事に実現した。しかし2012年にもなると有権者はそんなのは当たり前だと大して評価していなかった。むしろ北大西洋条約機構(NATO)のアフガニスタン撤退の惨憺たる大混乱の方が、オバマ氏の大失点になってしまったのだ。米国と同盟諸国が去って後に残ったのは、大して協力的でない軍閥が群雄割拠するつぎはぎ国家だ。新しい対テロ戦略の名称は公式には「監視と攻撃(watch and strike)」だったが、通称は「もぐら叩き」。テロリスト拠点かもしれない対象を遠くから監視し、爆撃するというものだった。

プーチン氏はアフガニスタンの顛末について、それ見たことかと言うつもりはないと言いながらも、「傲慢なるアメリカの時代は終わった」と付け足した。

そしてそのプーチン氏は2010年の時点ですでに、無事クレムリンに返り咲き。ロシアの経済危機はあまりに深刻なので強力な指導者が必要だと、ロシアの政府系メディアはこぞってキャンペーンを張ったのだった。メドベージェフ大統領はすぐに空気を察して、2010年初めに辞任。それだけに翌年にそのメドベージェフ氏が逮捕された時は、世界中が驚き、暗い気持ちになったものだ。

2011年にはウクライナとグルジアで、何週間にもわたる政情不安の末に弱体化した民主政権が倒れた。政変の黒幕はロシアだったのではないかと疑われたが、誰も何も立証できなかった。米国と欧州は抗議したものの、さしたる影響力はなかった。ロシアとファシズムの間に立つのはプーチン氏だけだというのが、大方の西側外交官の密かな本音だった。

ドイツでは、メルケル政権が2009年に倒れると、不安定な連立政権と印象の薄い首相が次々と入れ替わり立ち替わりした。英国では保守党のデビッド・キャメロン氏が「let the sunshine in (陽の光を入れよう)」を合い言葉に首相になったが、その時のあふれる希望はたちまち消え去ってしまった。運の悪いキャメロン氏は今や、英国史上で最も不人気な総理大臣になってしまったのだ。

この結果、欧州連合(EU)では消去法で、フランスのサルコジ大統領が最も影響力のある人物として残った。カーラ・ブルーニと離婚してマドンナと再婚したことも、一時的な脱線にすぎなかった。

サルコジ氏は2010年、競争と政府助成についてEU共通政策から正式離脱すると決定した。これでサルコジ氏は一時、ひどく非難されたが、それも耐えしのいだ。その結果、フランス政府は自国の主要な銀行と企業連合体に対して、投資活動の90%を国内で行うよう指示。EU各国はこのサルコジ大統領のやりようを大々的に批判した後、自分たちもこぞって真似し始めた。

それでもフランスの主要野党は政府に対して、もっともっとナショナリズムに傾斜するよう圧力をかけていた。フランスの二大野党を率いるのは「郵便配達員と主婦」。トロツキストのオリビエ・ブザンスノと、極右・国民戦線のマリン・ルペンのことだ。そのルペン氏いわく、彼女を「奮い立たせた」のは、サラ・ペイリンの台頭なのだという。

2012年11月7日の朝。日が昇るに伴い、ペイリン次期大統領はアラスカ州アンカレッジで壇上に現れた。支援者たちは歓声を上げ、ホッケースティックを振り回す。それを前にしてペイリン氏が吠えた。「ムッラ(イスラム教師)やアカ連中に言いたいことがある」と。「アメリカ復活よ!」


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フィナンシャル・タイムズの本サイトFT.comの英文記事はこちら(登録が必要な場合もあります)。

(翻訳・加藤祐子)

主権者「国民」の力で、首相を選びたい

2009-02-21 06:12:23 | Weblog
一粒万倍日 来訪者様に感謝。
朝日新聞によれば、
「ポスト麻生」の候補が10人いるとのこと。
国民の信託を受けないで、次の総理を自民党内に探す。

もうすぐ春ですね。解散をしませんか。
そして、マスコミ主導の総理から、
主権者「国民」の力で、首相を選びたい。

有権者は全員投票しよう!

朝日新聞の記事はここから。
「ポスト麻生」10人衆 一長一短の顔ぶれ(朝日新聞) - goo ニュース「ポスト麻生」10人衆 一長一短の顔ぶれ
2009年2月20日(金)16:17
 「麻生離れ」が進む自民党内で、ポスト麻生の具体名がささやかれ始めた。3閣僚ポストを兼務して存在感の増す与謝野馨氏、「反麻生」の代表格・小池百合子氏らの名が挙がる。しかし、党内対立を生まず、低迷する党を蘇生させる人材は、今のところ見あたらない。

 麻生内閣の経済政策を一手に担う「ミスター経済閣僚」になった与謝野氏。期待する声は少なくない。麻生氏に大差で敗れた昨年9月の総裁選で2位につけた実績もある。