待ちに待った桜の開花がわが村でも始まった。
もう、登山シーズン開幕と言ってもいい頃だ。
信州百名山を登ってみようと意識したのは昨年の終わり頃のことだ。
数えてみると、これまで登った山は59座。
今回は東信の名峰、御座山(おぐらさん)と天狗山を目標にした。
かみさんと、義姉が同行することになっている。
義姉は七十八歳になる。田部井淳子さんと同じ歳だ。
朝五時に出発。登山口の南相木村に着いて、栗生コースに向かおうとしたら、何と、道路が冬季閉鎖中。
少し左側の林道に入り、終点まで行くとそこが別の登山口になっていた。
気持ちよく手入れされたカラマツ林の中を登る。
朝の気温は多分氷点下7度くらいまで下がったようだ。
霜柱があちこちにあった。
途中に不動滝があった。
名前の通り、少し怖そうだが、何かユーモラスな感じもする不動さんがいた。
自然の芸術がそこにある。
水は、気持ちにも潤いを与えてくれる。
山頂にはとてもいい感じの看板。
御座山の標高は2112.1メートル。
周囲にこれより高い山は無い。従って、三百六十度の展望が開けている。
北アルプス、浅間連峰上越国境の山々、上州の山、秩父の山々、南アルプスの山々、名前を知っている山、知らない山。
色々あるが、中でも、八ヶ岳の山々は、素晴らしかった。
山の向こうに来た相木の村が見えた。あの山の向こう側辺りに、日航機が墜落した御巣鷹山があるのだな。もう、二十年以上も経つのだろうか。一度は慰霊の登山に行ってみようと、ふと思った。
昼少し過ぎに、下山した。
次に向かうのは天狗山。この道路も、冬季閉鎖中だった。仕方がないので、大きく迂回して立原高原に向かった。
目指すのは、馬越峠コース。ところが、ここも道路は冬季閉鎖中。
急遽、予定を変更して、立原高原コースを登ることにした。
時刻は午後1時40分。登り2時間くらいのコースなので、行くことにする。
白樺の林を抜け、苔の石の上を歩く。
男山からの縦走コースと合流すると、北側から少し冷たい風が吹いた。
午後の日差しがし少し弱まった。
先ほど登った御座山が無効に聳えていた。
頂上手前は急な岩場。鎖やロープの危険個所が続く。
頂上は1882メートル。両線の向こうに男山が頭をもたげていた。
御座山は日本200名山の一つ。そして、ここと同じように信州百名山の一つ。
眺望が素晴らしくいい。
あまり、写真をアップしたくはないのだが、それでも信州百名山を目指す以上、これから登る山は登った証として記録しておこう。
午後4時少し前、無事下山。
早速、温泉に向かった。
温泉は、犬ころの滝を眺めながら入れる滝見の湯。もっとも、滝が見えるのは男湯だけらしい。
平日のせいか、温泉はがら空きで、数人がいるだけだった。
ここで思い切り手足を伸ばし、かみさんと義姉はブルーベリーサンデー、僕は抹茶のサンデーを食べた。
義姉は疲れてくると何も食べたくなくなるのだが、ソフトクリームなどは喜んで食べる。
一日で2座登るというのは、少し大変だったとは思うが、義姉はまだまだ登る気満々で、次の山を楽しみにしている。
筋肉痛が出ると思うが、痛めたのと違って、2~3日で治る、と意気軒高。
これで、信州百名山は61座となる。
次も、信州百名山の中から、二つほど選んで登りに行く予定。
写真もたくさん撮った。だが、写真ばかりたくさん載せるのは好きではない。どんなにいい写真でも、同じような写真ばかり載せるのは、見る方がうんざりする。
選んで、選んで載せるのも、楽しみの一つ。
それと、山には登るが、克明に綴るのも好きではない。ガイドブックを書くわけではない。
書くことで、感動が変質してしまうこともある。
この間、僕は東海道歩きをしてきた。三河から尾張のあたり。そして、その後、飯山線の終点まで行き、カタクリやショウマなどが咲く幸せの三十三番巡りというトレッキングコースを歩いてきた。とてもいい旅をした。あんずの花見もした。
それだけで十分満足してしまったので、わざわざ、記事にする気が起きなかった。
まあ、単なるズバラなのだろうが、書くことで変質してしまうというのはたしかにある。
僕はひと頃、書くことによってのみ、かろうじて自分を保っていたというような時期があったような気がする。
何も書かないでいられる、というのは幸せなことでもあるのだろう。
信州100名山の山旅、楽しまれいるご様子ですね。
何より義姉様にあっぱれです。
目からうろこでした。
健康がいかに大切か改めて思う内容に思わず
コメントさせていただきました。
義姉は60代後半、槍ヶ岳に登った時、『これでもう、引退』と言っていました。あれから、早や20年。いまだに登り続けています。できる限り、信州100名山も一緒に連れて行ってあげようと思っています。あの年齢でも登れると思うと、励みになります。『信州100名山』を読みながら、あの時代、こんな風に思いながら、山を登り続けた先輩がいたのだと、改めて、じっくり読んでいます。良い山旅を!