みんながいつも笑顔でありますように

私と家族と脳腫瘍G4の姉と

今までとこれから

2012-01-26 | 病気の話 

姉は歩けないので、徘徊はない。

以前、確か1回だけ、

初めての手術を受けた直後、勝手に家を出て

ファンキーと迷子になったことがあった。

あの頃は… 歩けていたんだな と思うと

やはり着実に病気の影響は忍び寄っていたのだと本当に憎らしく思う。

 

姉の場合、倒れた2008年9月から緊急手術となって、、、

手術前夜にも容態が急変してしまう可能性があると言われた。

それでも、何とか手術を終えて、

そして先生から

神経膠芽腫という脳腫瘍の中でも最も悪性度の強いものであると告げられた。

 

姉は自分の病気をきちんと認識した事はなかったように思う。

先生からも詳しい説明があって聞いていたのだが、それを理解するのは難しかった、と思う。

5階の病室から同じ病棟の1階にある放射線治療室へ行くときも迷子になっていたから、

手術直後から高次脳機能障害は出ていたのだと思う。

でも、歩くことは出来たし、好きな本や雑誌、マンガも読みたいと言う意思も持っていた。

その時に… 病気のこと、姉自身がこの病気にどう向き合ってどの様な治療をしたいか、

例えば、、、どこまでの延命治療をするのか、とか…

姉ともっと話をしておけば良かったと思う。

その時はそんな事を口にするのも憚られたし、、、そんな事、本人の前で言えなかった。

「良かったね 無事に終わったよ」 

と、とにかく励まし笑顔で過ごす事や未来を語るしか私達には出来なかった。

 

今は、、、

なるべく寝たきりにはさせないようにと、

朝起きたら必ず車椅子に座り、朝ご飯が終わったら

ソファへ移り、そして決まった時間になるとトイレに行くようにしている。

1月になってから…

食べ物ではないものを口にするようになってしまっている。

この間はミカンの皮を食べてしまった。

つい昨日は口の周りを拭いたティッシュを食べてしまっていた…。

 

でも、そんな事で立ち止まってはいられない。

姉の時間を大切にしないと。

次から次へと解決しなくてはならない事があるから。

まあ 大丈夫じゃない? と さらっと いかないと。

深く考えると、もう悲しくて悲しくて辛くて仕方なくなっちゃうから

昔のお姉ちゃんなんかを思い出しちゃうとそれはもう涙が止まらないから 

悲しみはいずれ嫌でもたくさんやって来るんだから

だから、今はさらっと しないと 

あらあら って 

 

週に3回~4回程、デイサービスへ行く。

月に2回位、ショートステイも入れている。

家に居るよりも表情が豊かになって帰って来る。

動きも多少機敏になっているような気がする。

やっぱり家族以外の人への反応は良いんですよね。

 

そういった人たちに会えて心から良かった!!って思う。

たくさんの人たちに見守られていると安心する。

ああ!! 私達って家族だけじゃないんだ って

本当に安心する。

皆様に感謝してます。