みんながいつも笑顔でありますように

私と家族と脳腫瘍G4の姉と

9月6日 町の内科にて

2009-02-11 | 発病までのこと
友達と出掛ける日もあったり、
「頭の前の方が痛いんだよね」と言って
1日中寝ていたり、とそんな感じでした。

9月6日にいつも行っているH内科に行きました。
そこで言われたのが
「疲れですね。」
頭痛薬を貰って帰ってきたそうです。

でも全然、頭痛がなくならない。
食欲が減退して行く。
行動が緩慢になって行く。
寝ている時間の方が長くなる。

そしてまたH内科に行きました。
「体が大きいから少しくらい食べなくても大丈夫だよ!ははははっ!
 それより君、運動しなさい!体を動かして元気にしなさい!」
と笑って言われたそうです。

確かに理ちゃんは体が大きいけど。。。

それから10日間で3回、そのH内科に通ってました。

そこのH内科で分かった事
・「糖尿のけ」がある事
・「精神的な病気かも」(離婚のストレスと今までの激務)という事。

頭痛薬と抗ウツ剤(→やる気を高める薬と言われてた)を貰って飲んでました。。。

町のお医者さんでは原因は分からないものなのでしょうか

兆候

2009-02-11 | 発病までのこと
私はオーストラリアに居るので、電話で
「仕事を退職してから、ちょっとおかしい」という事は聞いていました。

「退職願」を郵送したけど、宛名が実家になっており、戻ってきてしまった
  (あまりにも疲れ過ぎて急に辞める事になったので郵送する事になったらしい。
   ”急に辞める”それ事態がもう「兆候」だったのでしょう。)
母が中を開くと、「申し訳ありません」しか書いてなかったから、びっくりして
  理ちゃんと一緒に書いたが、母が言った事も文字に書けなかった。
 (その後、私もその「退職願」を見たけれど、眠い時に頑張って書いたような字でした。)

ただ、こんな感じでおかしい点もあったけど、ご飯もモリモリ食べるし
「退職願の事はなんだったんだろー」と笑って話してるし、友達と出掛けるし、
何より仕事の引継ぎで、電話でテキパキと会社の人と話もしていたんです。
三陸旅行にも元気に母と行きました。
(ただ、いつも離さず持っている携帯を忘れた事が不思議だった、と母は後に言ってましたが)
だから仕事の疲れ、ストレス、と重大に考えていませんでした。

まさか、家族に「脳腫瘍」になる人が出るとは思っていなかった。
ただ単に、本当に疲れから来る体調不良とストレスだと思っていた。

だから・・・・母は大分自分を責めていました。
「早く”脳神経外科”に連れて行ってあげれば良かった」と。

でも、でも、その時は
「頭痛」という症状がなかったんです

今では「行動におかしい事があれば”脳”が原因かな」
と思えるけど、当時はそんな風に結びつける事は出来ませんでした。




8月下旬 突然・・でも徐々に?

2009-02-10 | 発病までのこと
「理ちゃんが何か変だ」という心配とも愚痴ともいえないメールが母から届いたのは
8月の終わりの事でした。
ハードワークの末、「もう体がもたない」と8月の中旬に退職をして
気分転換も兼ねて母と三陸海岸の旅行から帰ってきてからの事です。
旅行中は
「こーんなおいしい物食べてるよ~」と
私がオーストラリアに住んでいる為、日本のグルメを写真付で送ってくれていました。
それが・・旅行から帰ってきた次の日からベッドから起き上がってこない、と言うのです。

理ちゃんは2007年末に離婚をして実家に帰ってきており、
それまでのハードワーク (朝は6時出勤、夜は12時過ぎの帰宅)だったから
「疲れやら離婚のストレスが溜まってるんだよ、そっとして置こう」
と母と私は話をしてました。