美しき旋律 麗しき雑音

忘れるための記憶/覚えておかないための記録

バンドをめぐるクロニクル#3

2004-05-11 18:24:34 | 音楽制作
【冬眠~再開・おっさん編】

●1990年~2000年
長い冬眠・・・。

●2001年
バンド再開。
名称は「歩く人々」
メンバーは「ミタキ・オレ」。
バンドの形態は打ち込みプラスボーカル・ギター。
性格もだいぶ丸くなり、そこそこ受ける。

●2002年
梅田、三宮等で何度かライブ。

●2003年
バンド名変更。
名称は「デフレスパイラル」。
さらにバンド名変更。
名称は「Less Than Zero」。
三宮・梅田等でライブ。
メンバーも増える。
「ミタキ・ナガイ・いぬ・オレ」。
打ち込みなしでもライブ可能になる。
(ドラマーはいないが)

●2004年
今年は、まだ目立った活動なし。
わたくしは引きこもり録音生活。
(Mac&Logicで満足)

今年もライブしたいね。


バンドをめぐるクロニクル#2

2004-05-11 17:38:00 | 音楽制作
【鬼レコーディング編】

●1984年
ミタキが夏休み、工場でアルバイトした金で
手に入れたWデッキ(ミキサー付)で、オリジナル曲の
録音を開始。ほぼ引きこもり状態。
録音メンバーは「ミタキ・ヴォヴォ・カーニャ・オレ」。
その後のライブで中心になる曲がどんどん出来る。

当時、梅田・ナビオ阪急(現HEPナビオ)前の歩行者天国にて
ライブパフォーマンスを度々実施。
そこで、女子高生ドラマー加入(名前失念)。

度々、尼崎市内のアマチュアライブに出演。

●1985年~1988年
これといった活動なし。
この頃、手に入れた4CHカセットMTRで曲作り加速。

●1989年
尼崎市内のライブハウスに隔月くらいに出演。
この頃は打ち込みをベースにボーカル、ギター、キーボードが
加わる感じ。曲的にはマイナーな感じのため、
客の受けは非常に悪かった。
あと、この頃は車もなく、自転車に大荷物をくくりつけて
ライブハウスへ通っていた。

「バンドをめぐるクロニクル#3」に続く


バンドをめぐるクロニクル#1

2004-05-11 16:27:05 | 音楽制作
【ティーンズブルース編】

●1980年
新聞配達(夕刊のみ)の給料を貯めて、
エレキギター&アンプを買う。

●1981年
大石(Eベース担当)の家で、
ミタキと3人でセッションに励む。

●1982年
高校入学し、いよいよバンド結成を誓うも、
校内ではエレキ禁止(!)のため、
仕方なしにフォークバンド結成。
バンド名は「ユーキンとその他二人」。
壮絶な、Aギター3人組。
まあ、バランスは良かった。
メンバーは「ミタキ・サカタ・オレ」。

●1983年
市内の高校生フェスティバルみたいなので
エレキバンドデビュー。
バンド名は「NOUVELLES VAGUES」。
映画ではなく、当時大好きだったMOONRIDERSの
アルバムタイトルから命名。
メンバーは「ミタキ・イソップ・ヒヤネ・オレ」。
Vocal、Drums、Bass、Guitarのちゃんとした編成。
ただし、ベースの音はアンプのボリュームを
絞り込んでいたため、ほとんど聴こえず。

その後、校内の文化祭でミタキと二人で
ノイズ音を録音したテープをバックに
パフォーマンス。
上級生から帰れコールを浴びる。

「バンドをめぐるクロニクル#2」に続く


近頃、道路に蔓延るバカ Part2

2004-05-11 10:40:20 | 詩・散文・ショートストーリー
●助手席で子供を抱いているバカ。
●全面真っ黒なスモークでアイコンタクトを拒否しているバカ。
●車間距離を取ることが恥だと思っているバカ。
●携帯メールに夢中で周りの状況を
 全く気にしていない歩行者・自転車のバカ。
●他人の文句ばっかり言ってるバカ。<-オレ

◇今日のBGM : 遊佐未森 「瞳水晶」