「小さな行為の大きな意味」
*柳田邦男*
柳田邦男さんの講演は2回ほど、聴かせていただいたことがあります。
ざっと講演の感想を述べると(2回しか聴いていないのに、失礼なことですが)、内容が、似ているなぁ、ですかね。
けれど、講演が終わった後、自分が書いたメモを眺め、考えてみると、それは内容が似ているといった単純なものではなく、柳田邦男さんの貫かれたメッセージではないかと思えてくる。
一度目の講演を聴いたあと、鎌田實氏が書いた「雪とパイナップル」を読みました。
(ぜひ、読んでみてください)
小さな行為の大きな意味、の、「意味」がよくわかります。
私は、小さな行為の喜び、感動をたくさん経験しています。
先日も、そんなことを経験しました。
その患者さんは、腹膜播種でイレウスになり、サンドスタチンで何とか持ちこたえている患者さんでした。イレウスにならないように食べ物を選んで食べていたのですが、いよいよ倦怠感が極まって、食べたいものを食べた方がいい時期になりました。
何が食べたい?って尋ねたら、お刺身とおっしゃります。
病院食を工夫するにも、生ものは難しい。
ポンは思いました。
今、食べないときっと、もう食べることができない、と。
これは、数日後には鎮静になるだろうな、と。
そこで、夜勤者に電話をして、出勤前に、すまんけど、刺身を買ってきておくれ、とお願いしました。
夜勤者は快諾してくれました。
その夜、患者さんは刺身を食べて、入院して以来、初めての心からの笑顔を見せたそうです(ご家族がそうおっしゃっていました。)
ちなみに、喜びを演出してくれたのは、盛り合わせの中の、「トロ!!!」。
小さな行為の大きな意味には、今を逃すまい、今しかないという医療者の感覚が込められていると、私は思います。
私自身は、勝手にいいように考える(部分的にね)ところがありまして、自分が後悔したくないという思いと一致していると思ってしまいます。
要は、自分が「今しかない」と思った時にはその感覚は間違いないと信じて、行動してしまうタイプだということです。
仮に、そのタイミングではなかったとしたら、適当にあしらえばいいや…と思っておりまして。
ここんとこ。
柳田邦男氏がおっしゃるところに通ずるところがあるのではないでしょうか。
ああ。言い過ぎでしょうか。
人間に興味を持つこと。
私は人に説法できるほど、人間に興味を持つことができているとは言い切れませんが、その時に感じる「今しかない」という気持ちにあらがうことができません。
自尊心は人一倍低いですが、その時だけは自分の感覚を信じて行動してしまいます。
少し、自分を持ち上げるなら、「自分を信じて行動できます。」
時に、今の職場のスタッフには奇異に映るかもしれません。
何たって、それが緩和ケアの醍醐味ではないかと私は、思います。
2回目の柳田邦男氏の講演を聴いて、私は涙を流しました。
本当に、大切なことですね。
心から伝えたいことですね…。
こんな思いで体中がいっぱいになりました。
今、自分が置かれている環境で、私は伝えることを諦めないでやり続けようと思っています。