宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)のなかに、高知県梼原(ゆすはら)村に住む乞食の話が出てくる。もう八十歳をとうに過ぎた身体の小さな盲目の老人で、橋の下に粗末な小屋を建てて暮らしている。宮本がこの乞食に取材したのは昭和十四年から終戦までのあいだのことらしい。老人の生い立ちを語り口調のまま「土佐源氏」としてまとめている。
わたしはこれを読んだとき、つい涙が出た。そして何度も読み返した。なにに感動したのかというと、ひとりの人間の豊かさだった。
とはいえ、この乞食の生涯には、色と欲しかない。たんに、がつがつ生きただけ。いや、それどころか彼の生き方は詐欺師のようなものだった。わたしの小さな人生観からみると、ある意味対極にあるような老人だ。ところが、それがこんなに豊かであることが衝撃だった。人間って、ただ生きただけで、こんなに素晴らしいものなんでしょうか。ただ生きるだけで、いいんでしょうかね? たとえ詐欺師でも? 疑問が次からつぎへと湧いてきて、ずいぶんいろいろ考えさせられた。おおげさに聴こえるだろうけど(じっさいおおげさだけど)生き方の根底をゆさぶられる事件だった。
それから、彼の人生の豊かさはもともとあったものなのか。あるいは、それを見出したのは宮本さんの文章なのだろうか。たぶん、どちらでもある。物語るということと、それを書き残すということの根源的な意味。「思い」が語られることで「成仏」あるいは「昇天」する。シテとワキ。二重写しのリアリティ。語り手とは、聴き手とは何か。そんなことも考えたのだった。
「わしは八十年何にもしておらん。人をだますことと、おなごをかまう事ですぎてしまった」
彼は生涯「ばくろう」を営んだ。といっても、まっとうなばくろうではない。山から山へわたり歩き、農民をだまして、あまり上等じゃない牛を売りつけたり、替わりに良い牛を巻き上げたり、というようなことをして生活を立てていたらしい。
生まれたときは、すでに父がいなかった。夜這いで身ごもった子で、母親は堕胎しようとして手を尽くしたのだが失敗した。その後母は子どもをかえりみず余所の家に嫁いでいき、やがて事故にあって亡くなっている。彼を育てたのは祖父祖母であった。
少年のころすでに少女との遊びのなかで性交を経験していた彼は、生涯にわたってさまざまな女性とかかわった。ある権力者の奥さんとの情交など、忘れがたい場面がある。やがてかれは中年のうちに目が見えなくなってしまい、それまで見捨てていた妻のもとへ帰る。
「わしはなァ、人はずいぶんだましたが、牛はだまさだった。牛ちうもんはよくおぼえているもんで、五年たっても十年たっても、出あうと必ず啼(な)くもんじゃ。なつかしそうにのう。牛にだけはうそがつけだった。女もおなじで、かまいはしたがだましはしなかった」
「女ちうもんは気の毒なもんじゃ。女は男の気持ちになっていたわってくれるが、男は女の気持ちになってかわいがる者がめったにないけえのう。とにかく女だけはいたわってあげなされ。かけた情は忘れるもんじゃァない」
「ああ、目の見えぬ三十年は長うもあり、みじこうもあった。かまうた女のことを思いだしてのう。どの女もみなやさしいええ女じゃった」