骨身に染みる批判

2007-04-01 10:45:42 | Notebook
     
いちばんたいせつな批判、あるいは忠告。
そのひとにとって、いちばん必要な、いちばん言わなくてはいけない忠告があるとする。
それは、そのひとにとって最も大きな欠点であったり、弱点であったりする。
周りのひとたちが「この欠点さえ、なんとかしてくれたら、あのひとはずっと救われるのに」とおもうところから来るような、そういう批判。
しかし、そういう批判のなかには、本人の痛いところをついてしまうような、存在そのものを否定したり揺さぶってしまうような、もっとも言ってはいけないものがある。骨身に染みる批判。

わたしがこの言葉と出会ったのは、ずいぶん昔のことで、ユングの講義録だった。たしかこんなふうな内容だった。
「骨身に染みる批判をしてはいけないんです。
そんなことをしていい人間はいません、していいのは神だけです」
そして彼は具体例として、友人の死の話をする。

ユングの友人にリヒァルト・ヴィルヘルムというひとがいた。彼に易経を教えた人物で、宣教師として中国へわたった西洋人だ。東洋の精神を愛し、自分が東洋人を一人も洗礼しなかったことをむしろ誇りに思っているような人物だった。
ところがある日、ユングは彼の死が近いことを悟る。
その友人は、すっかり東洋の心に染まりすぎていたために、西洋人としての精神の基盤が危うくなってしまい、いわゆる魂の喪失状態に陥っていた。かなり危険な状態だったらしい。誰よりも先に、親友であったユングがそれを悟ったのだ。

しかしユングは、そのことを忠告しなかった。やがて友人は予想どおり、まもなく死をむかえた。なぜだろう。
「きみ、間違ってるよ、いま反省しないと、危ないよ。自分が何者なのかを思い出すことだ」
なぜ、そう言ってあげなかったのか。どうして、死が彼のところへやってくるのをただ見守っていたのか。
ユングが言うには、もし忠告していたとしたら、それはリヒァルト・ヴィルヘルムにとって「骨身に染みる批判」だったからだ。それは許されないことなのだと言う。

わたしはずっと、このエピソードについて考えていた。骨身に染みる批判だろうが何だろうが、ユングはやはり忠告すべきだったのではないか。言うべきことは言い、友人の命をたすけるべきではなかったのか。見殺しにしたようなものではないのか。わたしはこのことについて繰り返し、かんがえてきた。



ところで、いちばん救いがたい欠点こそが、そのひとの人生にとってもっとも貴重な宝石をもたらすことがある。もっとも高貴で希有な、魂のよりどころとなるような、精神的な宝石。
こう言うと、なんだか話がうますぎるような気がするが、このごろ、わたしはこれを真実だと思うようになった。わたしの人生に関するかぎり、どうかんがえても、わたしのいちばん最悪の欠点こそが、わたしをもっとも豊かにしてくれた薬だったのだということ。

パニック障害気味だったり、不安神経症気味だったり、わがままだったり、進学できなかったり、就職できなかったり、締め切りが近づくと行方不明になったり、明日の予定が立たない性格だから習い事もできず、だから車の免許さえとれないようなダメダメな人格だったり、性格が甘かったり、満員電車に乗ったとたんに気を失ったり、いたくない場所にいると即日アトピーができたり、昼寝抜きには生きていけなかったり、それはもう、見ていられないような欠点ばかりで、絶望と後悔ばかりの人生だったけれども、そのなかでもとくに最悪の運命や人格こそが、わたしを豊かにしてくれた。冗談みたいだが事実なのである。もちろんのこと、わたしはこれを喜んで書いているわけではない。はっきりいって、げろが出そうなほど、うんざりするような話なのだ。わたしは自分のなかの最悪な、ダメダメな部分によって、最良のものを得たのだ。美徳や才能によってではなく。やれやれ。

もしも、こころあるひとが現われて、十代のころのわたしにスパルタ教育でもしてくれて、性根を叩き直してくれていたら、どうなっていただろう。きっといまごろ素晴らしい人生を歩んでいたことだろうが、せいぜいそれはホームドラマの薄っぺらい人情話ていどのものにとどまっていただろう。人格そのものも、いまよりずっと、浅く薄っぺらなものになっていただろうと思う。凡庸で、考えが浅くて、直情的で、なんだか単純で、「彼はいいひとでした。おわり」というような人間になっていたような気がする。がんばれば救われるんだ、報われるんだ、と泣きながら説教して歩く熱血漢みたいな、バカまるだしのオヤジになっていたかもしれない。というか、かなりの確率でそうなっていたような気がする。

「おまえ、かなりダメだぞ。いまこそ反省して心根を入れ替えないと、貧乏なデザイナーくらいにしかなれないぞ」
そう忠告してくれたひとがいたとして、わたしがもし反省し心根を入れ替えて、似合わない努力なんかしちゃったりしたら、たぶんいまごろは、なにか幽霊のような人物になっていただろう。もっとも厳しい忠告は、その人物にいちばん相応しくない努力へと導くことがある。わたしがもし、たとえば職業上の必要から、似合わない営業努力なんかしていたら、きっと数年で、たちまち魂が台無しになっていただろうと思う。仮面のような営業用の笑顔を張り付かせたまま、路上で行き倒れていたかもしれない。さいわい、いいかげんで怠け者だったから、いまこうしてピンピンしているし、お肌ツルツルである。

しかしわたしは、努力がいけないなどと言っているのではない。努力というものは、ふつうに世間で言われているようなものではないということだ。そのひとが、そのひとらしくあること。誰かの真似ではなく、自分らしい生き方をすること。ほんとうの努力というものは、そこからしか生まれてこない。
いま思いかえしても笑っちゃうのだが、万年寝たきり浪人のようなわたしのことを、「ずいぶん努力しているひとだ」と評価してくれたひとがいた。それは、わたしがわたしらしく、そのときやりたいことに夢中になってきた言動と成果が、そのひとにはそう見えたということだ。ここに、ほんものの努力の秘密がある。努力というものは、当人はあまり意識していないものなのだ。わたしがいきなり、行きたくもないカルチャーセンターに通い始めて、好きでもない勉強なんぞに打ち込んでみたところで、そういう評価をいただくことはなかっただろうと思う。
そのひとが仮りに100パーセント「そのひとらしく」生きていたら、それはそのまま100パーセント、朝から晩まで、寝ている間でさえ、「努力の人」となっていることだろう。「あのひとにはかなわないよ、あそこまで努力できるなんて」などと言われていることだろう。



結論を言うと、わたしは、わたし自身をダメ人間のままでいさせてくれて、ずっと大目に見てくれた運命にこそ、かなり感謝しているのである。それこそが、もっとも得がたい宝石を与えてくれた。

これを悟って以来、わたしはダメな人間を許せるようになった。といっても、わたしが許すのは最も「痛い」「ダメダメな」欠点だけである。べつに心が広いわけじゃない。あとで食べようとして楽しみにしていたチロルチョコ「きなこもち味」を勝手に横取りしたガキがいたら、わたしは彼を許さないだろう。それにわたしは、正しいとおもったことは信念をもって主張するし、ぼんやりしているやつを怒鳴ることだってあるかもしれない。夢中になりすぎて神がかったような仕事ぶりをして、ひとを傷つけることだってあるだろう。友人や先輩として忠告すべきことだって、たくさんあるだろう。いやだけどガミガミ言わなきゃいけないことだってあるだろう。
しかし、もっとも痛い、骨身に染みるような批判はしないように注意したいとおもう。もっとも「痛い」欠点にこそ、そのひとの存在そのものの値打ちがかかっているからだ。そのひとの存在の秘密、根っこ、百万の必然が宿っているからだ。わたしたちは、それに敬意を払うべきだ。わたしの運命が、わたしのダメダメな部分を赦し、おおめにみたように。

たぶんユングの言葉の意味には、ここからあと一歩でとどく。