インスピレーション

2007-04-18 12:01:49 | Notebook
     
インスピレーション。瞬時にいろいろなことを嗅ぎわける能力のようなもの。それはどこから来るのだろう。いつも不思議におもう。とても不思議なものだから、わたしはそれを神秘的な現象だと感じる。しかし神秘はこちらがそう感じているだけのことで、じっさいはなにかべつのことが起きている。神秘のなかにリアルはない。

ところでわたしは、手軽な易経占いを無料で公開しているあるホームページを利用して、ワンクリックで占いをして遊ぶことがある。いちいち卦を立ててやるのが面倒なので、ついワンクリック。なんとふまじめな占い師であろうか。

つい先週のこと、こんな出来事があった。
あるクライアントから昼ごろに電話があり、わたしが宅急便で届けた書類に不備があるという。確かにぜんぶ耳を揃えて送ったはずなのに、一部届いていないものがあるとのことだ。急を要する内容なので、さっそく仕事場にもどって探してみたが、見つからない。1時間さがしても、2時間さがしても、見つからない。まったく途方に暮れてひと休みしているときに、なにげなく易経のサイトをひらいて、戯れにワンクリックで占ってみた。書類はどこにあるのだろう? ひょっとしたら捨ててしまったのだろうか。するとこんな答えが出た。
「震為雷から風火家人」
まず震為雷。そして変爻がかなり多く、風火家人へと変化する。

易占いでまずたいせつなのは、いきなり意味を読むのではなく、自分がそれをどう感じるか。まずはじぶんの胸に訊いてみることだ。わたしはぼんやりと、出た答えを眺めていた。やがて胸のなかから浮かびあがってくるものがあった。

震為雷には「声あって姿なし」というような意味があって、それがまずわたしのなかに浮かんできた。なるほど、失せ物の占いにぴったりではないか。しかしそのあとに続いてわたしのなかに浮かんできた意味は「見かけほどじゃない」「こけおどし」という震為雷のもつ別の意味だった。それから、明るいイメージがあった。

そうして、なんとなくわたしは安堵した。いま目の前で起きている問題は、見かけほどのことはない。実体もない。だから最悪の事態はまぬかれそうだ。書類をごみと間違えて捨ててしまったわけではなさそうだ。そうおもった。

じっさいのところは、かなり最悪の事態を「震為雷」から読み取ることだってできるはずなのだが、わたしはなぜかここで安堵してしまったわけだ。「ほっ」としてしまった。これがインスピレーションなのである。

震為雷という卦には、膨大な意味がある。そのなかから、ひとつの暗示をひろいあげるのはいつも、こちらのインスピレーションなのだ。
このことを「占いはそれじたいが当たるのではなく、占い師が当てているのだ」というひとがいる。しかしそう言い切ってしまうと、いま「震為雷」が出てきていることの説明がつかない。

さて、その震為雷が変化して風火家人となる。

風火家人とは、「家のなかや家族の問題に注意せよ」という意味だ。わたしはこれを見たとき、なんだか「ふだんから部屋をきたなくしているから、こういうことが起きるのじゃ」と叱られたような気分になった。やれやれ。
しかし、「家」「家族」とはこの場合、仕事のスタッフのことだ。スタッフに問題がある。そう読むこともできる。しかし確証はない。もちろんこのスタッフには、自分自身も含まれるし、クライアントも含まれる。

自分もふくめたスタッフに、なにか問題がある。それは人格の問題なのか仕事の仕方の問題なのか、関係性の問題なのか、分からない。しかしそういう内部の問題に注意しなくてはいけないと、易経は警告しているわけだ。この暗示はわりと抜き差しならない。わたしはすこし緊張した。なにより自分の姿勢や在り方を問われているような気もした。

しかし、このわたしの「緊張」も、インスピレーションだ。この卦からまったくべつの暗示を読み取るひとだってたくさんいるだろう。ここでも膨大な意味をもつ「風火家人」から唯一の意味を汲み上げているのは、わたし自身なのである。インスピレーション。

狂信的な占いの信者は、そういうインスピレーションもすべて、易経の神秘的な力によるものだという。わたしは易経の神秘の、大きな手のひらの上で転がされているだけの存在だというわけだ。なるほど、そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない。分からないではないか。それに、神秘に自分を預けてしまうと、なにもかもが「あべこべ」になってしまう。人間を損なってしまうのだ。神秘に自分を預けてしまった人物は、まず目の前のものがちゃんと見えなくなる。

ちょうど以上のような暗示を読み取ったあたりで、先ほどのクライアントからまた電話が来た。書類が届いていないというのは間違いで、ちゃんと先方にすべて届いていたのだそうである。なるほど、いくら探しても見つからないわけだ。よかった、よかった。時計をみたら夕方の4時ごろだった。