きれいはきたない、きたないはきれい

2006-07-31 23:58:17 | Notebook
      
まさか、岡本太郎がこんなに好かれる時代が来るとは思わなかった。

わたしが岡本太郎の作品と出会ったのは小学生のころ。きっかけは、わたしの母が岡本かの子の愛読者だったことだ。母が愛蔵していた岡本かの子の全集は函入りの装丁で、うろ覚えだが、その函にはたしか、赤と紺の模様のようなものが書かれていた。かの子の息子、太郎による装丁である。

昔むかし、いつのころだろうか。岡本太郎の展覧会を観に行ったことがある。新宿のデパートの企画展だった。小田急百貨店だろうか、京王百貨店だったろうか、よく覚えていない。平日の午後とはいえ、驚いたことに、わたしのほかには誰も入場者がいなかった。

こぢんまりとした会場ではあったが、太郎の作品がふんだんに、所狭しと展示されているなかに、わたし独り。それはそれはぜいたくな空間だ。
わたしは太郎の絵を好きでもないし嫌いでもなかった。ところが、その会場に独りでいたとき、こころの底から愉快な気分になった。太郎の作品から溢れ出る色彩が、わたしの腹をくすぐり、笑わせているような感覚だった。意外で、奇妙で、面白い体験だった。しかしわたしは少年で、そんなこともすっかり忘れてしまった。

わたしが太郎から受けた影響は、たったひとつの言葉だけで、それは「きれいなものと美しいものは違う。きれいではなく、美しくなければいけない」というような言葉だったと記憶している。
その言葉から、わたしは大きな影響を受けていた、ということを、ずっとあとになって気づいた。

子どものころ、わたしはグラフィック・デザインが嫌いだった。軽蔑していたと言っていい。それは美しいというより、きれいなものが多かったからである。ときにはその裏に、作り手の劣等感や美への自信のなさが透けて見えることがあり、ますます醜悪だった。わたしの目にそんな感覚をあたえたのは太郎の言葉だ。もっとも、これも、ずっとあとになって気づいたことである。

数年前から、新刊書店の店頭で、太郎の本を見かけることが多くなった。なぜいまさら岡本太郎なのか、わたしにはとても意外だった。彼の作品が見なおされ、ずいぶん好かれていると知り、ますます驚いた。あの不人気だった画家が見なおされているとは。

それがきっかけになって、わたしはようやく、あの、がら空きだった展覧会の会場を思いだすことができた。そうしてだんだん、自分のなかの太郎の影響を見なおすことができるようになった。

このクニのひとびとの、美の感覚が変わってきたのか。それは成熟していく姿に見える。
時間をかけて、世代から世代へと手渡されながら成熟していくものがあって、そういうものが手渡され続け、ひとの精神を豊かにし続けているかぎり、そのひとたちは滅びない、という確信のようなものがわたしにはある。ポピュラー音楽もそうだ。じっくりじっくり、層が厚く、ゆたかになっていく。たぶんそれが文化というものなのだろう。