なかよくさせていただいている、ある印刷所の営業マンから、ときどきこう言って笑われることがある。
「昔、うちの専務と一戦交えたシンさん」
まだ若くて「やんちゃ」だったころ、わたしはその印刷所にいきなり電話して、その相手にこう言ったのだ。面識はなかった。
「たぶん気づいていないと思うから1回だけ注意してあげるけど、ぼくの利害とおたくの利害は一致していると思いますよ、敵にまわすと後悔しますよ」
つまり、当時始まったばかりのある雑誌の仕事で、その人物の動きが邪魔だったので脅したわけだが、もちろん勝算はあった。わたしのやり方は図に当たり、おかげで仕事は10年以上も続き、その印刷所の仕事も増え、わたしを信頼し言うことをきくようになり(笑)、付き合いは長くなった。しかし陰ではずっと言われていたらしい。「あいつにだけは気をつけろ」と(笑)。
下請けというのは厳しいもので、たとえばクライアントの窓口の若者がぼーっとしているだけで致命的な被害を被ることがある。だから、この若者は困るなと思うと、さっさと手を打つ。ほかにも邪魔なものがいれば、先手を打って噛み付いていき、黙らせる。当時のわたしはようするに、ずいぶんキツい男だったわけだ。
都会というところはチマチマした神経が必要で、そういうチマチマした戦いのセンスがないと、けっこうキツいところでもある。電話がかかってきた瞬間に、それが何時か? 何曜日か? そんなところからピン、と来るようなセンスがないと、なかなか厳しい。東京はそうでもないが、大阪の会社相手にそういう気の回し方をすると、すぐに適切な反応がある。おもしろいものだ。逆に、そういう神経がないと、とことんなめられてしまう。
しかし、もうわたしは、とっくの昔に、そういうことはしなくなってしまった。引退じゃ。
なぜか。理由は簡単で、似合わないことをやるのに嫌気がさしたからだ。さらに言うと、そんな上昇志向の甲斐もなく、仕事は成功せず、努力する意味を失ったからだ(笑)。所詮「負け組」が突っ張ってみたところで何の意味があろう? しくしくしく……。
いまのわたしは、当時のぼーっとした若者よりぼーっとしている(笑)。真綿の上のモヤシみたいにフニャーッとしている。わたしはほんとうにぼーっとした生き方が性に合っている。
このごろは、若者から甘くみられることも多くなった。「どうなってるんだコイツは?」という目で見られることもある。いい傾向である。仕事も、かんじんのところは全身全霊。しかし、ほかの面ではけっこう気を抜いている。あと2時間チェックすれば完全にミスを防げるな、というあたりの絶妙なところで止めておく(笑)。相手がミスに気づいてから、「あっ!すみません」とか言っている(笑)。ずいぶん丸くなったものだが、「丸くなった」どころの話ではなく、ほとんど「恍惚の人」である。さっき食べたご飯をもう忘れている。靴下を履くときは片足で立たないようにしている(笑)。
昨年の春、昔のわたしを知るある女性から10年ぶりに電話がかかってきて、開口一番こう言われた「どうしちゃったの? ずいぶん穏やかになっちゃって」。
まさか電話口の「もしもし……」だけでそこまで言われれるとは思わなかった(笑)。
すべてはゲームにすぎず、つまらない。こうしたことは、ばかばかしい。つねに観察し先手を打ち、先回りして、場合によっては問題に気づかないふりをして、相手がそれにつまずくのを待つ。そうして有利に立つ。邪魔な相手には噛み付いていく。にこやかにスマートなやり方で、感謝されながら蹴落としていく。小さな問題をことさら大事にして見せたり、逆に小さく見せたり。見せかけの親切と嘘の信頼。安っぽいドラマみたいで、まったく冗談みたいな「会社」を、みんながマジメにやっている。そんな冗談みたいなことを毎日やらないと、少数のグループさえ、まとまらない。若者をだまして心酔させて従わせるための、上司のおせっかいな「ありがたいお話」。すぐに自分を預けてしまう幼気な若者。グループで食べに行くランチがいかに重要かを真剣に説いてみせる、小さな会社の経営者。週に一度はみんなで飲みに行きましょう、できるだけ参加しましょう、と書かれた張り紙。やれやれ。やれやれ。。。
………そんなことを知らないで生きているひとの、笑顔。そんな笑顔を見ると、素晴らしいと思う。あたたかい気持ちを失わない、商店街のお母さんたち。わたしはこのアサガヤという街で、そういう笑顔の一つ、二つに出会ってきた。
たぶん、そういう笑顔が、わたしを人間に戻してくれたのだろうと思っている。