ヒメジョオン

2006-02-01 01:01:45 | Notebook
      
きびしい残暑の季節に熱気で頬を火照らせて、その人はやってきた。街の向こう側から。白いほっそりとしたワンピースを着て、浅いグレーの楽器ケースをぶら下げている。それは何? 三線です。そう言って微笑んだ。彼女はいつも、べつの場所の雰囲気を運んでくる。それはニホンだけどニホンじゃない、遠いようで近い、近いようで遠い。たぶんそこの角を曲がったばかりの数軒先か。すぐそばにあるのに手の届かない、本のなかにあるような、べつの場所。

彼女の瞳の光には日なたと草木の匂いがした。それから、湧き水の匂い。まっすぐに生をいとなんできた、しずかな祖先たちが与えたもの。それが彼女のなかで輪郭をとりはじめているような、そんな印象があった。その光が、しっかりと根をはってくれるといいのだが。
むかしのわたしだったら、その光に気づかなかっただろう。もし気づいたとしても、その価値になど思いもよらなかったに違いない。

わたしたちは駅前の喫茶店で仕事の打ち合わせをして、それから街の南側の店でビールをご馳走した。店は繁盛していて、店主は忙しそうだった。そしてレモン色のヒューガルデン白生ビールの、花のような薫り。
彼女の白いワンピースに、ヒメジョオンの花が似合いそうだと思った。


瞳のなかに明るい光を宿しているひと。そんなひとに会うと嬉しくなる。その光がまっすぐ素直で、あたたかく、おだやかであれば、たぶんそのひとは間違いがない。たとえどんなに未熟でも。報酬の廉い仕事でも文句ひとつ言わずに楽しそうに打ち込んでいたら、なお間違いがない。
しかしそういうひとはめったにいない。劣等感の曇りと稚拙な虚栄心。寂しさと不安。幻想と観念。肉の重みと鬱陶しさ。狭い了見と狡賢さ。さまざまなものが光を奪う。もちろん親の精神のありようや、生まれ育ちの影響もおおきい。
働くことが大好きで、新聞配達の仕事を楽しみに、公団住宅で質素な暮らしをしていた陽気なお母さんに、たいせつに育てられたある青年が、やはりおなじ目をしていた。新聞配達を明るく楽しみながら死ぬまで続けるようなひとなら、なるほどたしかに間違いがない。これだけ立派な青年を花開かせ遺すことができたのも自然なことだと、納得がいく。どんな犠牲を払ってでも嫁にもらうべき価値のある女性は、身ひとつ投げ出してでも嫁いで行くべき価値のある男性は、育ちのよい裕福な家庭や立派な会社などではなく、じつはこういうところにいるものだ。


もし彼女に花を贈るとしたら、むかしのわたしは何を贈っただろうか。ヒメジョオンなど思いもつかなかったろう。まるで判で押したみたいに、この関係には不似合いで場違いなバラの花を贈ったかもしれない。わたしはそんなふうな、くだらない青年だったのだ。わすれていた。

駅前で別れるときに、その雰囲気をだいじにしてくださいね、というようなことを言った。よけいなことを言ったと思う。わたしはいつもよけいなことを言う。

たぶん、子どものころのわたしには、まだあの光が宿っていたと思う。守っていればよかった。
それ以外に、本当にすべきことなどなかったのに。あの光さえあれば、どんな不幸でも不運でも乗り越えられただろう。かならず、うまくいったことだろう。わたしは、よけいなことばかりして生きてきたような気がした。