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悲劇の皇女 和宮@歴史秘話ヒストリア

2013-05-22 16:32:44 | テレビ・動画配信
「八重の桜」を見た後に、この番組を見ると、その背景や詳細がより見えてくる気がする。

「悲劇の皇女 和宮 ~大奥に花開いた愛のゆくえ~」
 
当時、皇族は御所の外に出ることはほとんどなかったが、黒船来航以来、
幕府要人の暗殺などで国内は混乱。それを鎮めるための政略結婚だった「公武合体」
白羽の矢が立ったのが、将軍家茂と同じ15歳の皇女・和宮だった。
天下泰平のため、天皇の娘として、初めて徳川将軍家に嫁いだのは和宮が17歳の時。
「八重の桜」で岩倉具視が絡んでいたってゆってた記憶があるけど?

和宮の結婚パレードの長蛇の行列が1ヵ所を通過するのに4日間かかったという/驚
婚礼道具が入った神輿の幅は9m。通ったあとは家の一部が壊れることもしばしば
2000点もの婚礼道具は1点1点、一流の職人が作った。→「中仙道ミニ博物館」

草津宿は1年前から準備し、当時の献立表が今日まで残っている。
門やトイレまで改造したのに、結局1時間しか休憩しなかったとか
板橋の縁切りで有名な榎を迂回して通ったとか


 
大奥に入る条件として、都でのしきたりをそのままにして欲しいと言ったのに、着いてみたら話が違ってた。
「御風違」(習慣の違い)にいちいち困惑し、涙したことも女官・庭田の日記に記されている


 
もともと病弱だった夫・家茂は、和宮と仲睦まじく暮らしたが、それもわずか2年ほど。
家茂からの最後のプレゼントは西陣織で、それを詠んだ歌が切ない。
脚気で享年21歳で家茂は亡くなる。子どもがいない和宮は出家したが、
「徳川家が無事、静岡に帰るまでは京には戻らない」と何度も手紙を書き、
徳川方・勝海舟と官軍・西郷隆盛の和平交渉があり江戸城は戦禍を逃れて官軍に明け渡された。


 
和宮は32歳で亡くなる。家茂の写真を抱えて徳川家の墓地に眠っているという。
昔は寿命が短かったけど、空しい世の中で命ばかり長く延びるより、
30代ぐらいで出家して、短く散った昔の人のほうが、よほど充実した人生だったかもしれない。



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