原孝至の法学徒然草

司法試験予備校講師(弁護士)のブログです。

認知症徘徊列車事故訴訟について

2016-02-03 | 民法的内容

報道されている件です。重度認知症の男性(当時91歳)が徘徊中に列車にはねられて死亡し、JR東海が、死亡した男性の妻と長男(長男は当時、死亡した男性と同居してはいなかったようである)に総額720万円(振替輸送費用等)の損害賠償を求めている事案です。第1審はJR東海の主張を全面的に認め、控訴審は長男の責任を否定し妻にのみ360万円の賠償義務を認めました。現在、上告審で審理中です(2日に弁論が開かれた)。

 

これから法律の勉強をする人、法律の勉強を始めたばかりの人に向けて少し書きます。

 

例えば、列車に飛び込んで列車の運行をできなくさせると、それは不法行為として振替輸送費用等の損害賠償義務が発生します(民法709条)。ただ、それは、責任能力(自分がどのような行為をしようとしているのかが認識できる能力)ある状態で行われた場合であり、責任能力を欠く場合は、損害賠償義務が発生しません(民法713条)。例えば、3歳児が列車に飛び込んで・・・、という場合、当該3歳児に損害賠償義務は発生しません(民法712条)。となると、被害者(この場合は鉄道会社)の被害救済はどうなるのかというと、監督義務者(未成年者の場合は、通常、親権者)が本人に代わって損害賠償義務を負うことになります(民法714条1項本文)。重度の認知症の人の場合も同じで、本人には責任能力がないでしょうから、その監督義務者(配偶者など)が責任を負うことになります。こういう理屈で、JR東海は、妻と長男に損害賠償請求をしているのです。

 

この訴訟で、最高裁は2日に弁論を開きました。最高裁は控訴審(高裁)の結論を維持する場合は弁論を開かなくてよいので、最高裁が弁論を開いたということは、何らか判断を変える可能性が高いです。私はこの訴訟の代理人ではないので細かな事情は全くわからないのですが、何らかのロジックで妻の責任を否定する思い切った判決をする可能性もあるのではないか、と思います。先ほど紹介した民法714条1項は、本文に続けて、「監督義務者がその義務を怠らなかった」、あるいは、「その義務を怠らなくても損害が生ずべきであった」ときには監督義務者が責任を負わないと規定します。では、「その義務を怠らなかった」、「その義務を怠らなくても損害が生ずべきであった」とはどういうことなのか。「それなりに」「出来る範囲で」監督義務を履行した場合にも「その義務を怠らなかった」と言え、免責するという判断もありうるのではないかと思います(その場合、「その程度の義務を履行したかどうかについて審理されていないので、高裁に差し戻し、高裁で再度、その点を審理せよ」という判決になるかな)。最高裁が思い切ってこう判断する可能性もあるのではないかと思います。法は、不能の義務を課すものではありません。年老いた妻ができることには限界があります。また、ある程度監督義務を緩和しないと超高齢化社会において、介護者に極めて重い責任を負わせることになってしまう。

 

ただ一方で、安易に免責することには慎重にならなくてはいけない事情もあります。もともと、不法行為法理は、被害者救済のためのもの。今回の被害者(賠償請求者)がJR東海という大企業で、損害の内容が振替輸送費等なので、世論は、「妻(及び長男)を免責すべし。」という方向に傾きがちかもしれませんが(実際の世論は私にはわかりませんが)、これが少し事案を変えて、「重度認知症の高齢者が列車に飛び込む際に、小さな子どもを巻き込んでしまって、その小さな子どもも死亡してしまった」という事案を考えればわかります。もし、今回の事件でJR東海の損害賠償請求を認めず妻と長男を免責するのであれば、その小さな子ども(の遺族)からの損害賠償請求も棄却しなければならない。

 

こう考えると、今回の事件で無条件に妻と長男を免責することはできず、最高裁がいかにして後続事例(例えば、先に例に挙げた子どもが巻き込まれてしまった事例)にも対応できる判断をするか、私は非常に注目しています。最高裁判決は、今後の事案の解決基準になります。今後、起こりうる事例まで考え、当該事案だけでなく、将来起こる事案も考えて判断をしなくてはならないのです。

 

・・・法律家としては、以上。一個人としては、もっと高齢者の介護がしやすい世の中にならにゃいかんと思います。法律家としては、妻及び長男は法的責任を追及されうる立場であるという回答しかできませんが、一個人としては、それはさすがにあんまりだと思います。非常に悩ましい問題です。

 

 


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