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唐人お吉

2016-04-11 16:44:18 | 日記

                                             唐人お吉

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                                                                                                                菩提寺 宝福寺

                                                                  〶 415-0021 静岡県下田市 1-18-26 

                                                                              ☎ 0558-22-0960

 

                     

 

      唐人お吉

    唐人お吉は本名を「斉藤きち」といい、天保12年11月10日、愛知県知多郡内海(うつみ)に、船大工市兵衛の次女として、この世に生

   をうけました。4歳のとき家族が下田市に移り住み、14歳で芸妓となりました。

    新内明烏(しんないあけがらす)のお吉とうたわれるほどの評判と美貌でしたが、それが奉行所の目にとまることとなり、17歳の時、法外な

   年俸と引換に心ならずもアメリカ領事館タウンゼント・ハリスのもとへ侍妾(じしょう=めかけ)として奉公にあがることとなります。その後は幕

   末、維新の動乱の中、芸妓として流浪(るろう)の果てに下田にもどり、「鶴松」と暮らし髪結業(かみゆいぎょう)を始めますが、ほどなく離別。

   さらに小料理屋、安直楼(あんちょくろう)を開業しますが、2年後に廃業しています。

    「唐人」という相も変わらぬ世間の罵声(ばせい)と嘲笑(ちょうしょう)をあびながら貧困の中に身をもち崩し、明治24年3月27日の豪雨の

   夜、遂に川へ身を投げ、自らの命を絶ってしまいます。

    波乱にみちた51年の生涯のあまりにも哀しい終幕でした。

    お吉は身寄りも無く、宝福寺の第15代竹岡大乗住職(たけおかだいじょうじゅうしょく)が慈愛の心で法名【釈貞観尼 = しゃくじょうかんに】を賜り

   当寺境内に手厚く葬り、その後芸能人により新しく墓石も寄進され現在に至っています。

       お吉の悲劇的な生涯は人間の偏見と権力、その底にひそむ罪の可能性と愚かさを身をもって私たちに教えているようです。

                     安直楼 (あんちょくろう)

                     

               米国総領事、ハリスに仕えた「お吉」が1882年に小料理屋を営んだ建物です。

               1857年、恋人「鶴松」との仲を裂かれて領事館に出仕したお吉は、以後、町の人達から「唐人お吉」と

              蔑まれ(さげすまれ)、酒に浸って、やがて姿を消す。

               年月を経て、当家「安直楼」を開業したが、自ら酒に溺れて数年で店をたたむ。

               幕末開港の陰に咲いた一輪の花、お吉は1890年、稲生沢川に実を投じてそのはかない生涯を閉じた

              51歳であった。

                     遊覧船  サスケ・ハナ号

                     


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