掛 川 城
問い合わせ先 掛川城公園管理事務所
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☎ 0537-22-1146
2016.05.06 撮影
大 手 門
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掛 川 城
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戦国武将たちの覇権争いの中で
掛川城より東に500kmほどのところにあった掛川古城は戦国時代の明応6(1497)年から文亀元年(1501)の間に
駿河の守護大名今川氏が遠江支配(とおとうみ)の拠点として重臣朝比奈泰凞(あさひなやすひろ)に築かせたと言われて
います。
その後、遠江に」おける今川氏の勢力拡大に伴い掛川古城では手狭となり、永正9年(1512)から10年(1513)頃に
現在の地に掛川城が築かれました。
永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、永禄11年(1568)、義元の子氏真(うじざね)は
甲斐の武田氏に駿河を追われ、掛川城に立て籠りました。翌年、家康家康は、掛川城を攻め長期にわたる攻防の末、和睦
により開城させました。家康領有後、重臣・石川家成が入城し、武田氏侵攻に対する防衛の拠点となりました。
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天 守 丸 霧吹き井戸
天正18年(1590)山之内一豊が入城する以前は、本丸として使われていました。一豊によって城域が拡張されると、
天守閣を配置する独立した曲輪になりました。
永禄12年(1569)徳川家康は、今川氏真(いまがわうじさね)の立てこもる掛川城を攻めました。この時、井戸から立
ち込めた霧が城をつつみ、家康軍の攻撃から城を守ったという伝説があります。
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城内に入ると最初に目につくのが、この急な階段でした。
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狭 間 口 (さまくち)
城郭内の建物や塀に設けられた穴で内部から鉄砲や弓で攻撃するための施設
上記画像と形は違うがこれも狭間(さま)と言い、用途は同じです。
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掛川城から二の丸御殿への通路
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天守閣より二の丸御殿を見た画像です。 (雨に降られちゃってさ、道路が濡れているのが解るでしょ)
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ここからはライトアップの画像です (5月5日撮影)
大 手 門
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ライトアップの画像と昼間撮影した画像の両方が、貼り付けて有りますが、これは朝から晩までいたのではなく5月5日、富士宮の流鏑馬見学後、
掛川に来てビジネスホテルに泊まり、ライトアップを撮影し、翌日の5月6日に昼間の画像を撮影しましたが、6日は雨に降られ少し大変でした、後
日アップする浜松フラワーパークも雨でした。
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