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ペリーロード

2015-05-16 18:47:34 | 日記

                    15.05.15撮影    15.05.16 アップロード    伊豆 下田市 ペリーロード

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                      ぺりー上陸の地に記念碑を

                              

                              ↑  この、ぺりー上陸の地の記念碑から「日米修好和親条約」を、結んだ下田市・了仙寺までの、道のりをペリーロードと言う。

                                            ペリー画像 (第13回蒸気船海軍の熊親爺、ペリー提督です)

                     日本で一番有名な歴史上のアメリカ人とも言えるペリー提督と言えば、「黒船」・「開国」・「日米修好和親条約」、よくも悪くも

                                            日本を鎖国から、目覚めさせた人物です。

                                                 ペリーロード      

                                    

                                    

                                    

                                    

                                    

                                    

                                    

                                    

                           「唐人お吉」  (左記画像が唐人お吉)

                          17歳で下田奉行所支配頭取・伊佐新次郎に口説かれて異人・ハリスの待妾(じしょう)となり、大きく人生が変わり

                         ました。

                           ハリスに仕えた期間は、ほんの僅かでしたが、お吉は「唐人」と、ののしがれ横浜に流れ、後に下田へ戻って小料理屋

                          「安直楼」を開きましたが、酒におぼれて倒産、明治24年3月27日の豪雨の夜、遂に川へ身を投げ、自らの命を絶って

                         しまいます。波乱にみちた51年の生涯の、あまりにも哀しいけつ結幕でした。この事件は、幕末開国に伴う一悲話として

                         小説にもなり、今では舞台の上で上演されています。

                          お吉は身寄りも無く、下田・宝福寺の第15代大乗住職が自愛の心で法名「釈貞観尼=しゃくじょうかんにん」をたまわり、

                         当時境内に厚く葬り、その後芸能人により新しく墓石も寄進され現在に至っています。

                          お吉の悲劇的生涯は、人間の偏見と権力、その底にひそむ罪の可能性と愚かさをもって私たちに教えているようです。

                          お吉の開いた居酒屋  「安直楼=あんちょくろう」

                                    

                                    ”おいら”、歳を重ねたせいか、「お吉」の人生に涙してしまうよ、人生って、結構辛くない? ”おいら”も歳だしそろそろ

                          死にたいよ。   事実は違う様だが、下記タウンゼント・ハリスの項目を読んでほしい。

                         、

                             名前    : タウンゼント・ハリス

                                         所属    : アメリカ合衆国  出身地 ・ ニューヨーク州ワシントン郡サンデーヒル

                                                                                     生年月日 : 1804.10.03日

                                         没年月日 : 1878.02.25日

                          第24回は. 独身&童貞を書いた初代・駐日総領事 : ハリスさんです。

                          学校で習った「日米修好和親条約」を日本と結んだハリスさんは、ぺりーに次いで幕末の有名な外国人です。

                          1857年にアメリカの砲艦が下田に入港すると、江戸湾への直接乗り込みを恐れた幕府はハリスとの交渉に挑む

                          ことを決定しました。

                           持病の胃痛で吐血することもあったハリスですが、このチャンスをものにしようと、江戸城へ登城し13代将軍、徳川

                          家定に謁見して親書を読み上げています。

                           老中・堀田正睦(まさよし)に修好条約の重要性を解き続け、1858年7月に「日米修好通商条約」の締結にこぎつ

                          けました。

                           下田にいた時、体調の優れなかったハリスの世話役に、芸者の「お吉」が送り込まれるのですが、ハリスはこの役人

                           のハニートラップには全く引っかかりませんでした。

                            また日本に好意的だったハリスさんが唯一受け止められなかった日本の文化が”混浴”でした。

                           「私は何事にも間違いのないこ国民が、どうしてこのように品のわるいことをするのか、判断にくるしんでいる」と日記に

                            書いているそうです。

                           英雄色を好むと言いますが、是だけ当てはまらない人物も実に珍しい。

 

 

                                    


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