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大本山 方広寺

2018-04-26 18:19:54 | 日記

                                        大本山方広寺

                                        半僧坊総本殿

                                                  HANSOBO SOUHONNZAN

                                                                 〶 431-2224 静岡県浜松市北区引佐町(いなさちょう)奥山 1577-1

                                                                 ☎ 053-543-0003

                           2018.04.22 撮影

                           本堂  この本堂は明治38年から大正7年にかけ竣工されたもので、間口32m奥行27mの東海屈指の建物です。

                                中央の大額「深奥山」は山岡鉄船居士の書によるものです。

                             

                          本堂  (水戸黄門ゆかりの本尊さま)

                           建徳2年(1371)に建てられた本堂は」、数度の山火事による類焼を受け、現在の本堂は明治38年長山虎壑館長

                           (ながやまこがく)の発願により大正4年に完成したもの。本尊釈迦如来、脇侍(わきじ)に紋殊(もんじゅ)・普賢(ふげん)

                           の二菩薩(ぼけつ)が安置されており、正平9年(1354)に仏師「法橋院遵=ほうきょういんじゅ)」「法眼院廣=ほうげん

                           いんこう」「法印院吉=ほういんげんきち」の三人によって彫刻された木像で。元禄のころ水戸の徳川光圀公(黄門さま)

                           の命により修繕したと背面に誌されている。

                           もとは、茨城群古内村の清音寺に祠られていたのを明治末に当山に移したと誌されている。

 

                            画像左が本堂で右が鐘楼。                                    

                                     

                            山門 (通称:赤門)

                                   

                           

                                                       この朱塗りの山門は、足利紫山老師の代に再建されたもので、地形にあわせて小ぶりに造られている。  

                            正式には・空(クウ)・ 無相(ムソウ)・無作(ムサ)の三解脱(サンゲダツ)を標識するので三門という。正面の護口

                            の掲額は高松宮宣仁親王のお筆になるもので、裏の古雲関の額は、足利紫山老師の書かれたもの。

                                     

                           上記山門(朱色の赤門)を抜けると「奥山大権現」の鳥居が見える、この鳥居までの道を【哲学の道】というそうです。

                            

                                 三重塔  大正12年故間宮英宗館長発願で京都山口玄洞氏の寄進により建立されたもの。

                                       

                            椎河龍王 (しいがりゅうおう)

                                     

                                     

                         ↑ 椎河龍王

                           開山さまが中国でのご修行を終えて帰国され、行脚の途中浜松市天竜区鹿島のあたりで河を渡ろうとされた際、たま

                           たま暴風雨のあとで増水し、渡河(とが)に難儀をされた。この時、龍神が現れて、その身を橋として、開山さまをお渡し

                           したという。   

                           その龍神は開山さまがこの方広寺に入られたあと、まだ姿を現して、「どうぞ、皇子禅師のお得で、このいまわしい蛇の

                           苦しみから解脱させてください」と嘆願、開山さまがこれを哀れんで、経典でその蛇身を撫でられたところ、たちまち五百

                           年来の苦しみから脱して昇天した。 その龍神はかつて桓武天皇(かんむてんのう)の命を受けた将軍坂上田村麻呂

                              (さかのうえのたむらまろ)が蝦夷征伐(えぞせいばつ)のため関東へ下向(けこう)した折、美女と化して将軍と契りを結び、

                           田村俊光公を生んだという遠江国袖ケ浦磐田の海の大蛇で、その後、磐田の里の椎ヶ淵に身をひそめ、里人から椎河

                           大龍王と畏敬されていたもので、開山さまのお得で五百年来の蛇身から脱することが出来が龍王は「永久にこのお山の

                           水を守護します」と開山さまにお願いした。

                                方広寺の裏山にある球の窪(たまのくぼ)は、龍神が持っていた球を埋めた所といい、また奥山にある地名の、尾澤、

                           鰭田(ひれた) 胴満渕(どうまんふち)などはいずれも龍神に因んだ(ちなんだ)名称といわれる。

                           開山さまに誓った龍神の霊験はあらたかで、方広寺はもちろんこの山の里は、以来一度も水不足で悩んだことはなく、また

                           干早天(かんてん)の祭、この椎河龍王に請雨法(しょううほう)を修(しゅう)してお祈りすれば必ず雨に恵まれるので全国から

                           お参りする人が絶えない。

                           この椎河龍王と半増坊大権現(はんそうぼうだいごんげん)、それに七尊堂(しちそんどう)を合わせて【奥山三社】という。

 

                            半僧坊真殿

                            鎮守半僧坊大権現をお祀りしていまず。明治14年の大火直後に三河の工匠によって建てられた権現造りです。

                            

                            

                                     

                             昇龍下龍   岩五郎作

                                   

                                       

                             鐘 楼

                             

                             方広寺本堂 【大鬼瓦】

                             

                             【大鬼瓦】

                                重 さ  : 1000kg

                                高 さ  : 3・6m

                                横 幅  ; 3・6m

                                パーツ  : 21個

                                製 作  : 明治38年

                                    

                            亀背橋 (きはいきょう)

                              渓谷に架かる橋は形が亀の背に似たり天台山の石橋に模す

                              (本堂や鐘楼を見る近道です)

                             

                             

                                      

                             ↓ 半憎坊大権現

                             正平5年(1350)、中国天台山での修行を終えられた開山さまは、正法の禅を伝えるために明州を船出、帰国の途中、

                             東支那海に大暴風雨がおこり、ご乗船はいまにも難破しそうになりました。  

                             このとき、眼光烱々(がんこうけいけい)たる一偉人が船首に出現し 【われ、この船を守り、禅師を奉って必ず故国にお届

                             けつかわつまん】といって船師を指揮し、無事に博多の港にお届けしました。  

                             後に開山さまが、この方広寺を創(ひ)かれたときまた先の偉人が現れ【お弟子にして頂きたい】と慈願、開山さまから、

                             【汝はそのままで半は憎である。あえて剃髪するに及ばず】とのお許しを得て開山さまに仕え末永く当山の鎮守として

                             方広寺を守護されております。  

                             それが 【半憎坊大権現】 であります。

                                       

 

                            ↓ 方広寺七尊菩薩堂 国指定重要文化財 (養和29年9月17日指定)

                              応永8年(1401)建立の棟札を有するこの堂は、県下最古の木造建造物です。

                               七尊の名が示すように

                                ・富士浅間大菩薩

                                ・春日大明神

                                ・伊勢神宮

                                ・稲荷大明神

                                ・八幡大菩薩

                                ・梅宮大明神

                                ・北野天満大自在天神

                               の七神を合わせ祀る、鎮守堂です。杮葺き(こけらぶき)の一間社流れ造りは優美で鎌倉末期の建築様式を

                               今に伝えられています。

                            

                                

                             


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