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江川邸と桜

2016-04-02 11:09:37 | 日記

                                          重要文化財  江川邸  史跡 韮山役所跡

                                                                         〶 410-2143 静岡県伊豆の国市韮山1番地

                                                                         ☎ 055-940-2200  (江川邸公開事務室)

                              2016.03.31 撮影  母屋と桜   2016.04.01  投稿

                             

                             西 蔵 (肥料蔵)

                             幕末頃の建築で、正面から見ると将棋の駒のような形をしていることから駒蔵(こまくら)と呼ばれています、また、

                             四方の壁が内側に向かってわずかに傾いた「四方ころび」と言われる技法で建てられています。

                             

                            南米蔵(左) ・ 北米蔵(右)

                            南米蔵は明治25年(1892)建築、隣接する北米蔵は大正8年(1919)建築。どちらも内部を展示スペースとして公開

                            されていました。

                             

                             西米蔵とさくら

                             

、             韮山反射炉と同様で桜の開花状態が4分咲きと、いったところか、でも韮山反射炉に比べるとカメラで狙えるスポットが幾つか有り、一応さくら見物としての画像が残せたかな?

                             表 門

                             江川邸の表門でその奥が母屋です、母屋の画像に写っているのが玄関で、ここから出入りできるのは、主と来賓客

                             だけだったそうです、表門が真直ぐに立ているのに母屋が斜めに見えるのは枡形という造りのためです。

                               枡形 = 一般に、戦国時代から近世にかけての城郭で用いられた出入り口(虎口=こぶち)の一形態で、二つの

                             城門の間に挟まれた広場のことで、その為、建物の高さが違うように見えます。江川邸の場合、代官が外出する際人数

                             を揃える(そろ)のに使われていたそうです。幕末には、農兵の訓練場としても利用されたそうです。

                             

                             表門より母屋・玄関を見る

                             

                             母屋の玄関   

                             主と来賓客しか使用できない。(たとえ妻・子供でも使用禁止)

                             

                              棟札箱 (むねふだばこ)

                             土間から屋根裏を見上げると(この屋根裏の木材の組み方も特徴があり、文化財に指定)、一番高い位置に木箱が

                             有る(この画像では見えません)。この箱には日蓮上人直筆の曼荼羅(まんだら)が棟札として収められています、そ

                             の霊験により江川邸は今日まで火災にあったことがないと伝えられています。

                             

                             土間に有る「かまど」

                             

                             パン焼き窯 (パン祖)

                             江川英龍は、天保13年(1842)頃、パン(今日の乾パンのような保存性の高いもの)を兵粮(ひょうろう)として用い

                             ようと考え、配下の者にパンの製造法を学ばせると共に自宅内にパン窯を築いて実際にパンを焼かせた。 

                               昭和28年、全国パン協会は英龍を「パン祖」として顕彰した。

                             

                             

                             母屋内部の玄関より表門を見る                             

                             

                ここ、江川邸では、開花状態がイマイチと言うより、桜の木自体が少なく、お花見スポットとは言えないが、伊豆の国市に来たら寄って見るのも一向だと思います。