今年も大物のクワガタをゲット。今年はクワガタが少ないと言う。それℋカラスに食べられるからである。クヌギの木の下に行くとカラスに食べられた残骸が落ちている。カラスは胴体部分だけを食べて、角の部分は食べれれないので残すので、角だけが落ちているのですぐにわかる。
毎年タシロランが生えるエリアを毎日注意深く見ていたが、なかなか発見に至らず。今日初めて、いつもの近くでタシロランを発見す。タシロランは絶滅危惧種。生育条件に合わないと生えてこない。白いのは葉緑素を持たないからだ。
今年初めてクワガタを捕まえた。
孫たちが興味を持ち始めたので、捕りに行くがなかなか捕れなかった。その分息子が子供たちのために、朝夕バイクで回り、行くたびにゲットしてくる。孫たちは保育園から帰ってくると、クワガタが入っている水槽から取り出しては楽しんでいる。
孫たちが興味を持ち始めたので、捕りに行くがなかなか捕れなかった。その分息子が子供たちのために、朝夕バイクで回り、行くたびにゲットしてくる。孫たちは保育園から帰ってくると、クワガタが入っている水槽から取り出しては楽しんでいる。
母が子供のころはヤマモモを売りに来たと、よく話していた。大正時代は子供のお菓子として売り歩く行商人がいたようで、おいしかったという。私は食べたことがなかったので、園芸種の実が大きくなる種類を植えた。30年も前になろうか。食べてみたが母が言っていたようなおいしさは無い。何もない時代だったらおいしいとは思うのだが。
ヤマモモは大木となった。邪魔になるので切り込むのだが、それでも毎年たくさんの実を付ける。ばらばらと実は落ち、次第に発酵してちょっぴり酒のような香りがしている。孫たちが集めては遊んでいる。食べてはいけないと言ってあるが、いたずら小僧は爺さんの目を盗んで口に入れる。
ヤマモモは大木となった。邪魔になるので切り込むのだが、それでも毎年たくさんの実を付ける。ばらばらと実は落ち、次第に発酵してちょっぴり酒のような香りがしている。孫たちが集めては遊んでいる。食べてはいけないと言ってあるが、いたずら小僧は爺さんの目を盗んで口に入れる。
27日横須賀芸術劇場で毎年行なわれるジャズコンサート行ってきました。ジャズバンドとラテンバンドの夢の競演が実現し、寺井尚子や阿川泰子、マリーンが出演し4時間たっぷりのコンサートでした。最後のフィナーレではお客さんが総立ちで盛り上がったのはいうまでもありません。高校の友人が総合プロデュースなので、通いだして10年になります。
お客さんの年齢層は老人会と見間違うばかりです。そういう私も老人会への参加資格は充分満たしてはおりますが。ですから懐かしいポピュラーな曲目で、同い年の阿川泰子さんの歌声が心にしみるわけであります。
お客さんの年齢層は老人会と見間違うばかりです。そういう私も老人会への参加資格は充分満たしてはおりますが。ですから懐かしいポピュラーな曲目で、同い年の阿川泰子さんの歌声が心にしみるわけであります。
ブルーの卵を抱く画眉鳥を写真に収めることに成功。
良く見ると目の回りが白い輪になっているのが分かる。これは画眉鳥(ガビチョウ)の特徴であり、ガビチョウと確認いたしました。
ガビチョウは中国から来た鳥で、外来生物法で特定外来生物に指定され、日本の侵略的外来種ワースト100種の一つになっている。
ウグイスと生活圏が一緒であるため、ガビチョウの甲高い大きな鳴き声がウグイスに悪い影響を与えるという説もある。
良く見ると目の回りが白い輪になっているのが分かる。これは画眉鳥(ガビチョウ)の特徴であり、ガビチョウと確認いたしました。
ガビチョウは中国から来た鳥で、外来生物法で特定外来生物に指定され、日本の侵略的外来種ワースト100種の一つになっている。
ウグイスと生活圏が一緒であるため、ガビチョウの甲高い大きな鳴き声がウグイスに悪い影響を与えるという説もある。
ミカンの摘果をしていたら、ブルーの卵に遭遇。
初めて見る美しい卵に驚き、調べてみるとガビチョウ(画眉鳥)卵だった。それにしても美しいかぎりだ。
ガビチョウは中国から入ってきた鳥で、高らかにさえずる鳥だ。だから日本のウグイスと生活エリアが同じなので、影響があると言われている。
初めて見る美しい卵に驚き、調べてみるとガビチョウ(画眉鳥)卵だった。それにしても美しいかぎりだ。
ガビチョウは中国から入ってきた鳥で、高らかにさえずる鳥だ。だから日本のウグイスと生活エリアが同じなので、影響があると言われている。
7月14日、今年も子ども会神輿が農園にやってきた。
子どもが小さかった頃に子ども会の会長をしたので、それ以来農園内に神輿が来るようになった。
しかし、私がやった頃は子ども会は4つに分かれていて、山方面は山百合子供会といったが、今は4つが一つになったし、子ども会に入らない家もあるので、淋しいかぎりだ。
子どもが小さい頃は地域との付き合いもめんどくさいと思いながら会をやっていたが、地域との係わり合いは、決してマイナスにはならず、今になって思えばやっててよかったということである。
子どもが小さかった頃に子ども会の会長をしたので、それ以来農園内に神輿が来るようになった。
しかし、私がやった頃は子ども会は4つに分かれていて、山方面は山百合子供会といったが、今は4つが一つになったし、子ども会に入らない家もあるので、淋しいかぎりだ。
子どもが小さい頃は地域との付き合いもめんどくさいと思いながら会をやっていたが、地域との係わり合いは、決してマイナスにはならず、今になって思えばやっててよかったということである。