加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



リニューアルした恐竜博物館

そこは神秘の惑星「地球」の入り口

 

エスカレーターを下りた先はダイノストリート、訪れた人の探求

心をくすぐる。

    


ダイノストリートを抜けるとカマラサウルス産状化石、現地で発見されたままの状態の複製を展示だそうです。

展示物を回るように両側に階段があり1階常設展示室へと上がる。

動くティラノサウルスが迎えてくれる少々リアルすぎるかな?

【ここがかわった! 博物館展示リスト!! 】

1F 〈日本とアジアの恐竜コーナー〉

[竜盤類ー獣脚類ー]

・徳島県勝浦町の歯化石・・・(新) 
・徳島県勝浦町の腔骨・・・・(新)
・中国浙江省の足跡化石・・・(新)

[竜盤類ー竜脚形類ー]

・徳島県勝浦町のテイタノサウルス形類の歯・・・(新)
・熊本県天草市御所浦町の竜脚類の右肋骨・・・(新)

[鳥盤類ー鳥脚類ー]

・徳島県勝浦町のイグアノドン類の尾椎・・・(新)

[鳥盤類ー周飾頭類ー]
・モザイケラトプス ・・・(新)

2F〈中生代の海と空〉

[竜盤類ー獣脚類(鳥類)ー]
・ヘスペロルニス・・・(新)

[有鱗類ーモササウルス類(海生爬虫類)一]
・ティロサウルス・・・(新)

[翼竜類ープテロダクティルス類一]
・プテロダウストロ・・・(新)

本館1階 地球科学ゾーン

 
姫川のヒスイ鉱石があったりしてまた、ヒスイ探しをして見たくなっきました。

私たちの身近な石川県、富山県でも化石が発見されていてますます興味が。


石川県白山市桑島で発見された化石


石川県白山市桑島で発見された化石(獣脚類の葉の化石と足跡の化石)


富山県富山市亀谷で発見された獣脚類と鳥脚類の足跡の化石


富山市の足跡化石


富山市の足跡化石一部拡大

次回は発掘体験にチャレンジ!!!!!

おまけ、福井県立恐竜博物館 3面ダイノシアター



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福井県立恐竜博物館がリニューアルオープン

今回も石川県から離れ隣の福井県勝山まで足を延ばしました。

国道157号線経由で金沢からおおよそ80KM、時間にして1時間30分(少し飛ばしすぎかな)途中見どころ満載で楽しめるドライブコース。夏休み中は混雑、事前予約が必要見たいで落ち着いてから再度訪ねてみたい。

ちなみに、入館料大人は1,000円、年間パスが3,000円、今度はこれで楽しみたい。

リニューアルした恐竜博物館

右側の卵型ドームが新館ドーム。


パンフレットより(クリックで拡大表示)

入場すると本館と新館はつながっていてどちらからでも見学できる。(新館と本館の連絡通路は3階・2階のみ1階には連絡通路はなく注意!迷子になりながら新しい発見をするのも楽しみかも!)

新館の3階から1階までの吹き抜けには「恐竜の塔」と呼ばれるシンボルモニュメントが見られる。上からフクイラプトル、フクイプテリクス、フクイベナートル、フクイサウルス、コシサウルス、フクイティタン。

この5体と1羽は福井県で見つかった恐竜・鳥、エスカレーターを下りながら眺めることができる。


DINOSAUR TOWERの説明(パンフレット、クリックで拡大表示)

3面ダイノシアター

1階と2階が吹き抜けになっている特別展示室では、特別展を開催していない時には3面の巨大スクリーンにCG恐竜映像が映し出される。(欲を言えば天井もスクリーンにして4面でフクイプテリクスが飛び回る様子が見れれば・・・・)

新館1階、2階の収蔵庫も展示室化されガラス越しに収蔵品を見ることができる。


ダイノライブラリー

 

ちなみに入場ゲートは3階でここから本館は地下1階まで一気に下りることができる。


【ここがかわった! 博物館展示リスト!! 】

  • (新)新しく入った展示
  • (場)場所が変わった展示
  • (名)名前が変わった展示
  • (ポ)ポーズが変わった展示

〈世界の恐竜コーナー〉

[竜盤類ー獄脚類ー]
・コエロフィンス. ・・・(新)
・スコミムス・・・(新)
・モノニクス・・・(新)
・ヘュアンニア…(新)
・ステノニコサウルス…(新)
・ファルカリウス・・・(新)
・スピノサウルスの頭・・・(場)
・タルボサウルス…(場)(ポ)

[竜盤類—竜脚形類ー]
・プラテオサウルス・・・(新)
・ブラキオサウルスの幼体・(新)
・ニジェールサウルスの頭・(新)
・ディプロドクスの頭・・・(新)
・エオラプトルー・・・(場)

[鳥盤類—鳥脚類ー]
・ブラキロフォサウルス ・・・(新)`
※アメリカから来たミイラ化石
・エドモントサウルス・・・(場)
※ミイラ化石の複製
・サウロロフス・・・・(場)


[鳥盤類ー周飾頭類ー] ・
・パキケファロサウルスの頭(幼体)・・・(新)
・パキケファロサウルスの頭(亜成体)・(新)
・パキケファロサウルスの頭(成体)・・・(新)

[鳥盤類—ヨロイ竜類ー]
・デンバーサウルス・・・(名)
・スコロサウルス・・・・(名)
・ジンュンペルタ・・・(場)

1F 〈日本とアジアの恐竜コーナー〉

[竜盤類ー獣脚類ー]

・徳島県勝浦町の歯化石・・・(新) 
・徳島県勝浦町の腔骨・・・・(新)
・中国浙江省の足跡化石・・・(新)

[竜盤類ー竜脚形類ー]

・徳島県勝浦町のテイタノサウルス形類の歯・・・(新)
・熊本県天草市御所浦町の竜脚類の右肋骨・・・(新)

[鳥盤類ー鳥脚類ー]

・徳島県勝浦町のイグアノドン類の尾椎・・・(新)

[鳥盤類ー周飾頭類ー]
・モザイケラトプス ・・・(新)

2F〈中生代の海と空〉

[竜盤類ー獣脚類(鳥類)ー]
・ヘスペロルニス・・・(新)

[有鱗類ーモササウルス類(海生爬虫類)一]
・ティロサウルス・・・(新)

[翼竜類ープテロダクティルス類一]
・プテロダウストロ・・・(新)

まだまだ見どころがいっぱい、ついつい時間を忘れて見入ってしまった。

続く・・・・・



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昭和にタイムスリップ、コンクリート剥き出しの地下道

そこは、千と千尋の神隠しの世界だった。

国道8号線からわき道に入ると急な坂道。小学校に数件の民家、工事現場のプレハブの様な駅舎。

ここでも十分昭和感、ノスタルジックが漂っている。

駅舎のその先には長いトンネルの階段、神隠しの世界に導くトンネル


階段を降りたところから上部駅舎の方向を見る


水平連絡道上り線・下り線連絡道。ホームはまだこの下数メートル先にある。


上り線ホームに降りる階段


上りホームに出る。ここまで280段212メートル

ホームに立つと先の見えないトンネル、どこから来てどこに行くのかトンネルの中はいまだに昭和40年代

映画のシーノンのなかにいるような感じ。

再び連絡道に戻り下りホームへと降りる

 
下り線待合室まで下りる階段(下から映す)と待合室、扉の向こうがホームになっている。ここまで290段176メートル。


下りホームから上り列車を見る


連絡道(湿度が高くレンズまで雲ってしまった)


駅舎までの上り階段

地下道内は湿度が高く靄がかかり見通せない。そこに持ってきてまったく音がないため背筋がぞくぞくする。夜に一人でホームに降り立ったらと考えると、ちょっと無理かもしれない。

都会で生活されている方は、地下のホームなんて珍しくもなんともないでしょう。地下鉄を利用されている人は地下2階・3階、地上2階・3階と上がったり下りたりして乗り換えされてる人にとっては200段・300段珍しくもないと思いますが、ここは少し特別な感じがします。

土合駅の階段もしかり美佐島駅

この駅の一日の利用客を調べてみると17人とあった。

JR西日本からお荷物を押し付けられたのかなとふと思ってしまう。

駅舎は地上60メートルホームは20メートル地下連絡道まで下りると帆手もひんやりしている。年間を通してもそれほど温度差がないような気がする。

ここをワイン樽等々の貯蔵庫などに利用してもいいのかな?なんて素人考えで思ったりもしてみる。

ちなみにここに入るのに入場料が必要なのは理解できるが、券売機も何もない中料金が190円ですといわれても小銭の持ち合わせがなく二人で400円を料金箱に投函して筒石駅駅を後にする。

皆さんも190円を用意して訪ねてください。



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煌々と輝く金沢港

港フェスタ金沢2023が開催されていた等のことですが仕事で見に行くことができず、少し涼しくなった頃に夜景を取りに行きました。

 


2023年に金沢海上保安部に配備された巡視船「のと」

汎用型護衛艦「ふゆづき」

基準排水量(Displacement):5,100t (満載排水量 6,800トン)
主要寸法(全長×幅×喫水): 151.0×18.0×5.4m
主機(Main engine): ロールスロイス/川崎重工業製[SM1C]×4基 馬力(Horsepower):64,000ps
速力(Speed):30kt(約56km/h)以上 

艦名は、「冬空に高く輝く、凛冽(りんれつ)とした冬の夜を照らす月」に由来します。旧海軍の優れた防空駆逐艦、秋月型駆逐艦の8番艦で、あの戦艦大和が撃沈された「天一号作戦」に参加し、生還した武功艦である「冬月」に次ぎ二代目となる命名です。広報用パンフレットより

ちなみに建造費約726億円(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
    2023年度予算の防衛費は6兆8219億円
この数字を私たちはどう受けとめればいいのか?

広報用パンフレットDLはこちら


「ふゆづき」の前に停泊する作業船


金沢港に停泊する輪島丸が煌々と金沢港を照らしていました。

オイルターミナルに停泊するタンカー

夜の金沢港はとても明るく不夜港でした。



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北陸道の最大の難所 親不知子不知

芭蕉も「奥のほそみち」の旅の道中で越後路から大垣の途中でここを通っている。

“田海川、青海川を渡ると、大岩が重なり合ったところに出るここが駒返しで、その先が子不知、親不知になる.。
断崖絶壁の下の海辺を8キロも行く北陸道最大の難所だが、幸いに波も穏やかで難なく通ることができて市振に到着”とある。


親不知記念広場より撮影;2023.07.08

現在は断崖に波が押し寄せるが、このころはがけ下には砂浜できていたようだ。

歌川広重『六十余州名所図会』より「越後 親しらず」
歌川広重六十余州名所図会』より「越後 親しらず」百科事典『ウィキペディア』より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E4%B8%8D%E7%9F%A5

小林清親『親不知浜』(1897年・明治30年)
小林清親『親不知浜』(1897年・明治30年)百科事典『ウィキペディア』よりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E4%B8%8D%E7%9F%A5

加賀藩の参勤交代でも親不知・子不知を通過している。

あるサイトの記述によると参勤交代が通るときに人足を雇、波を弱めるための人垣を作り通過したとある。

静かな日本海、ひとたび荒れだすといくら砂浜があったといえ、断崖まで波が押し寄せたのだろう。

今回は芭蕉とは逆方向から越後入り、朝日町宮崎から境宮崎線・8号線から市振関所跡を過ぎ親不知へと。


市振関所跡の石碑


市振関所跡説明板


関所 榎(せきしょえのき)糸魚川市指定文化財 推定樹齢250年江戸時代からこの地に植えれれ関所を通る人々を見守ったのでしょう。
関所榎・糸魚川市天然記念物説明板と高田藩・幕府代官管理の市振関所「定」立札

今回は下調べ不足と思い付きで車を走らせたため、親不知コミュニティロード・レンガトンネル等は巡ることができなかった。またの機会に巡ってみる・・・・・。



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世界で最も美しい湾 富山湾  「ヒスイ海岸」

今回の訪問でこのようなクラブがあることを初めて知った、そして富山湾が世界で最も美しい湾クラブに加盟したことも知らなかった。

タイトルに能登・立山シーサイドラインと謳いながら恥ずかしい話である。

さて、世界で最も美しい湾クラブとはどんなところなのか、

世界で最も美しい湾クラブ - Wikipedia

「湾を活かした観光振興と資源保護、そこに暮らす人々の生活様式や伝統の継承、および景観保全(シースケープ(英語版))」を目的に

・・・・・・

「世界で最も美しい湾クラブ」はフランスに本部を置くNGOであり、活動内容としては湾の観光振興や環境保全に取り組んでいる。世界遺産に登録されているモン=サン=ミシェル湾やベトナムのハロン湾など、「世界で最も美しい湾クラブ」には世界24か国・1地域の合計36湾が加盟登録している。なお日本国内で「世界で最も美しい湾クラブ」へ加盟を果たせた湾は、宮城県にある松島湾に次いで2湾目となる。

富山県は、富山湾の魅力を世界に伝えるために2013年10月に「世界で最も美しい湾クラブ」への加盟を申請し、2014年3月に現地調査が行われた[1]。富山県の石井隆一知事は、今回の「世界で最も美しい湾クラブ」の総会で富山湾の景観をプレゼンテーションし、その後行われた決議で全会一致で富山湾の加盟が決定した。・・・・・(引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

子どもたちに混ざってヒスイを探してみる。

どの石を見てもヒスイに見えてしまう。

全く見当がつかない。

両手いっぱいに石ころを抱えヒスイ鑑定士(ヒスイ名人)見てもらう。

名人あきれ顔で石を眺め。


ヒスイ海岸観光交流拠点「ヒスイテラス」にて


新潟方面に目向けると日本気にそそり立つ断崖・飛騨山脈の北端・親不知が見える。

ヒスイには縁がなかったがお気に入りの石を車に積み込む。

小学生なら良い自由研究になるのにと思いながらヒスイ海岸を後にする。



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先日、七尾城址から見た台船(世界最大級の作業船「SEP船」)にて組み立てられた、洋上風力発電の風車いよいよ稼働へと向けての準備のようだ。

七尾港にてブレード積み込んだ作業船(写真;2023.05.27撮影)

同事業のEPC(設計・調達・建設)は清水建設だが発電設備は中国の企業明陽智能が受注とのこと。(日本企業にもっと頑張ってほしかった。個人的な意見)


本体工事が完了した3基の風車


作業船から本体支柱に乗り移ろうと船をつける


中国企業のロゴマーク・企業名が確認できる。

 
世界で最も美しい湾 モニュメント(ヒスイ海岸)と子どもたちが無邪気にヒスイを探す風景

 

世界で最も美しい湾 富山湾「ヒスイ海岸」の新しい名所となるような事業であってほしい。

 

参照;一般社団法人環境金融研究機構 | Research Institute for Environmental Finance: RIEF

https://rief-jp.org/ct10/122115
富山湾での洋上風力発電事業、中国の風力発電大手「明陽智能」が受注。中国企業の国内風力市場参入は初。日本企業は全て製造開発事業から撤退。「産業政策の失敗」が招いた中国依存例(RIEF)

・・・・・・

政府は日本企業の「技術力」をことあるごとにアピールする。だが、実態は、欧米勢にも、中国勢にも、追い抜かれ、市場競争力を喪失している。補助金をバラまくばかりの経産省の「時代遅れの産業政策」の結果でもある。「防衛上の懸念」を表明する前に、日本の技術力と政策力を根本から立て直す必要がある。(一般社団法人環境金融研究機構記事より)

 



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七尾城址 2023年

上杉謙信が長期にわたって苦戦した七尾城を訪れる機会を得ました。七尾城は石動山脈の北端に位置し、海抜300メートルの山頂にあります。JR七尾駅から古城までは南東に約4キロメートルです。

本丸跡には「七尾城祉」という石碑が建てられています。本丸跡から眺める景色は素晴らしく、『万葉集』に詠まれた夢の島として知られる能登島が目の前に広がります。遠くを見渡すと、奥能登の半島まで見ることができる絶景の地です。北陸の古戦場の標より抜粋


本丸跡から見る眺望と七尾城址碑


城下、七尾湾、能登島、能登島大橋、能登半島までが一望できる。


現在、入善町横山の沖合で進められている洋上風力発電事業のための大型の「SEP船」(全幅50メートル、全長142メートル)

 

山麓から山頂には七曲りの急坂が待ち構えており、山頂の本丸までの城域は広く、要害の地となっています。杉の木立ちの石段を登ると、遊佐氏屋敷跡や三の丸、本丸などの道標があり、当時の情景がよみがえってくるかのようです。


本丸石垣


各所に七尾城のCG画像が表示されている


九尺石を据えた温井屋敷の内枡形


温井()屋敷跡から二の丸方向を見る


二の丸跡からの眺望、能越道七尾インターが一望できるインター右側は能登国分寺跡地


「畠山義忠公歌碑」 「野も山もみなうつもるゝ雪の中しるしはかりの杉の村立 畠山修理大夫(賢良)」

 


本丸跡に置かれた案内板と眺望、下案内板一部拡大

上杉謙信の能登征討において、特に有名なのは「九月十三夜陣中作』と題する漢詩である。この詩は九月十三夜の名月を賞したものであり、七尾城陥落は九月十五日であるので、陥落前に本陣を敷いていた石動山か、一説には荒山峠で吟じたとも言われている。三州志には、“謙信七尾にして九月十三宵賞月詩あり。

霜満軍営秋気清。数行過雁月三一更。
越山併得能州景。任他家郷念遠征。

詩調優暢英雄の気象自ら超然たり。此の詩本朝詩選に載す。按ずるに此の七尾攻城の比軍営中の作なるべし。”とある。(北陸の古戦場の標より)


調度丸跡から見る桜馬場石垣、下;調度丸跡に建てられた案内板


寺屋敷跡から調度丸跡に上る階段より桜馬場方向を見る。斜面の険しさが窺える。

七尾城は広大な丘陵地に設けられた山城、畠山氏の栄華、169年の歴史をとても一日では回り切れない城です。

上記写真;2023.05.27撮影

以下;これまでの七尾城投稿記事

七尾城址 2007年

七尾城本丸石垣から城山展望台を望む
写真:七尾城本丸石垣から城山展望台を望む 2007.04.16撮影

 


霜は軍営に満ちて秋気(しゅうき)清し
数行の過雁(かがん)月三更(さんこう)
越山(えつざん)併(あわ)せ得たり能州(のうしゅう)の景
遮莫(さもあらば)あれ家郷(かきょう)遠征(えんせい)をおも憶う



七尾市街と富山湾側を隔てるように連なる石動宝達丘陵。その北端に位置する七尾山に築城された典型的な山岳城だ。

七尾城址案内板七尾城址七尾城址本丸跡


七尾の歴史と文化より
七尾城の城砦
 七尾城は、戦国大名であった畠山氏が築いた山城で、戦国時代、能登の政治・文化の拠点として機能した。その特徴は、天然の要害地形を巧みに利用した設計(縄張)と、山上に築かれた大規模な石垣である。
 本丸は標高約三〇〇㍍の山上にあり城主や重臣の屋敷や兵糧倉や武器庫など、城の重要施設が置かれた場所である。この本丸からは、山麓の城下町をはじめ七尾湾の浦々が一望され、周囲には、野面積みの石垣で築かれた桜馬場や調度丸、深い空堀で区切られた二の丸、三の丸などの郭群が並び、樋ノ水などの水場も位置する。
 さらに城下町へと広がる尾根は「七つ尾」と総称され、七尾の地名の由来となり、家臣の侍や兵が守りに就いた砦が、幾重にも配置されている砦の構えは、大小の平坦地に防塁や堀切を設けたものである。
 天正五年(一五七七)、七尾城を攻略した上杉謙信は、本丸に立ち、「聞きしに及び候より名地、賀・越・能の金目(かなめ)の地形といい、要害山海に相応し海頬島々の休までも、絵像に写し難き景勝までに候」 (「上杉謙信書状写」歴代古案)と書き伝えている。
 天正九年一〇月、織田信長から能登一国を与えられた前田利家は、翌年一月から府中の港に隣接した小丸山に築城を始め、山城である七尾城を廃城とした。それは能登に戦国時代の終わりを告げる出来事であった。(垣内光次郎)

漢詩 九月十三夜
 霜は軍営に満ちて秋気清し・・・・・・は上杉謙信が能登七尾城に攻め入ったとき、陥落間近の天正5年9月13日、諸将と供に石動山大宮坊で名月を眺め詠じた詩とされる。


 このとき、謙信が本陣としていたとされる石動山大宮坊、最近再建され拝観できるようになっている。
石動山大宮坊

 現在七尾城に残る遺構は苔むした石垣のみで、静まり返った杉木立ちの中を歩くと寂しさを感じる。
 本丸跡地櫓台跡地には畠山末裔が建立した神社がある。ここ本丸跡からは七尾市街、七尾湾・能登島そしてはるか能登半島を望むことができる。
七尾城本丸跡に建つ神社七尾城本丸跡より七尾方面を望む
写真:2007.4.16撮影 天候小雨

 

 シーサイドラインの黒崎町の民家を抜けて約10kmの林道をを走ると城山展望台に着くことが出来る。七尾市街地側から登るのがポピュラーだがこのルートはあまり知られていない。
 全線舗装はされているが所々段差が出来ていたりして要注意だ。紅葉も終わり落ち葉が道路を覆い落ち葉の絨毯のようになっている。
 360度を見渡す展望台から少し下ると七尾城跡につくこんな季節に登ってくる人はさすがにいない。一昨年前の地震で崩壊した石垣の修繕もきれいに終わっている。
 今年は、能登畠山家創立六〇〇年ということで8月から10月にかけて様々なイベントが開催された。

七尾市の制作した七尾城跡の案内には謙信も絶賛 戦国の巨大山城とサブタイトルが附けられている。(以下引用)


謙信も絶賛 戦国の巨大山城


史跡 七尾城


 七尾城は、室町幕府の将軍を補佐する管領職を勤めた畠山氏の有力庶流として応永一五年(一四○ハ)に独立した能登護畠山氏(能登国守護)が、戦国時代(一六世紀初頃)に能登府中にかわる新たな拠点として築いた山城です。
 七尾城は、標高約三〇〇メートルの山頂部に所在する本丸を中心として、北側の山麓まで延びる尾根一帯を不規模に造成し、多数の曲輪(屋敷地)を築いていることが特徴で、その規模と構造は国内でも屈指とみられています。七尾の地名は、こうした七尾城が築かれている尾根が7つあることに由来すると言われております。
 また、七尾城の麓には京都の禅僧が天文一三年(一五四四)に記した『独楽亭記』にみる千門万戸の活況呈する城下「七尾」が連続して形成されていたことが明らかにされ、山上の山城と山下の城下が一体となる北陸を代表する戦国都市であったことも確認されています。国宝「松林歯屏風」を描き、画聖とうたわれた長谷川等伯は、天文ハ年(一五三九)に京風の畠山文化が開花する七尾に生まれ、その才能を育んでいます。
 平成一八年四月には、県内では金沢城とともに「日本100名城」に選ばれています。

  • 国指定史跡:昭和9年(1934)12月28日指定(大2398号)
  • 所在地:石川県七尾古府町、古屋敷町、竹町入会地字大塚14番1・2・4、15番の2




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