加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



 尾小屋鉱山・資料館を訪ねて初めて見る光景に驚かされる。

 縦横に連なり交わることがなく交差してゆく坑道、これを掘った人をアリ人間と言わずに何と呼ぼうぞ。

 現在ならこんな手間なことはしないだろう山全体を切り崩し影も形もなくしてしまい必要な鉱石だけを取り除き残りは、ぼた山として積み上げて行くことだろう。

 ぼた山もまた砕石として十分に利用価値があるのでは。

 それにしても石川県人の中で石川県にこのような鉱山があったことを知っているのは何パーセントだろうか。

 加賀に居た方なら尾小屋鉄道が走っていたことだからあの先には鉱山があったこと位は聞いているかも知れない。しかし、能登の人はどうだろう?

 私もつい最近まで存在すら知らなかった。たまたま、山で黄銅が含まれる石を見つけて少し調べてみて初めて尾小屋鉱山の事を知った。

 精錬施設等々もっと残っていれば産業遺産にもなれそうなきがする。坑道の一部だけでは少々弱いかも?

大型坑道模型

尾小屋鉱山の坑道の模型を示したもの、総延長160km最上部より最下部まで約700m、一番抗から12番抗まで坑坑道の間は60mその中央に中切坑道(模型には表示なし)。坑道内には10か所に立坑があり地下より地上に鉱石が運ばれるようなっていた。ような内容の記載

総延長160km想像を絶する距離だ、まさしくアリ人のなせる業。

その他にも資料館には

  • 採掘技術の用具、工具
  • 尾小屋鉱山で採掘された珍しい鉱石・貴重な鉱石
  • 昭和初期の様子が分かるパネル
  • 尾小屋鉄道に関する資料
  • 精錬に関する資料、精錬で生まれた「カラミ」の再利用技術
  • 横山家鉱山関係資料

等ゝが所狭しと展示されている

 

 明治から昭和にかけてこの場所に採掘から精錬を行う一大施設が建設され夜も眠らず稼働した、まさしく不夜城がここに・・・。

 

尾小屋鉱山の歴史概要

 尾小屋鉱山の始まりについては詳しくは知られていませんが、最も古い記録として「天和2 年(1682)、茶屋吉左衛門が無断で採掘し、お叱りを受けた」という記録があります。このほかにも江戸時代の記録がありますが、本格的な採掘は明治に入ってからでした。 明治11年(1878)、橘佐平という人が尾小屋の「松ヶ溝」というところで銅鉱の露頭を偶然発見。翌年には山岸三郎兵衛という人が採掘を試みたのですが、うまくいきませんでした。

 しかし、明治 13年(1880)、元士族の吉田八百松など 6 人が採掘を開始。加賀藩家老であった横山家の 13 代・横山隆平と、その叔父・横山隆興も仲間に加わりました。 

・・・・・ 

  横山家経営期の尾小屋鉱山(本鋪坑口)

 尾小屋鉱山事務所(昭和33年=1958)

 そして、昭和37年(1962)3月31日、製錬の火が消え、尾小屋鉱山の製錬所が廃昭和33年(1958)の尾小屋鉱山事務所 止。次いで同年9月1日には日本鉱業株式会社から新たに分離独立した北陸鉱山株式会社が経営を継承し、9月30日には尾小屋鉱山本山が閉鎖されました。

 その後は、北陸鉱山株式会社によって、尾小屋鉱山本山から離れた大谷支山(大谷坑・金平坑)を中心に、採鉱・選鉱のみの操業が行われました。しかし、経営が振るわず、昭和46年(1971)に大谷支山が閉山。尾小屋鉱山全面廃止となりました。 

尾小屋鉱山の歴史概要(A4、2ページ) (PDFファイル: 170.1KB)
https://www.city.komatsu.lg.jp/material/files/group/40/ogoyamine_history2020303.pdf

小松市サイト 尾小屋鉱山資料館概要及び歴史より

 

 資料館を出て奥に行くと、尾小屋マインロード(坑道、マインロードでは中々イメージが湧いてこない)

 実際に中に入ってゆくと湿度が高くひんやりしていて心地よい。が、なにぶんにも坑道本当に落盤とかないのか不安。

 それともう一つ不安な事と言えば資料館を出たところでクマに注意とあったが、坑道内に熊が入り込んでいたら間違いなくアウト

 当時の様子がジオラマ風に展示されている坑道入り口は二か所あったが一か所は立ち入り禁止。

 近代鉱山ゾーンと鉱山歴史ゾーンと二本の坑道の総延長600m程度だが、今回見学できたのは近代鉱山ゾーンのわずか200m程度。

 素掘りの行動

神棚

見張り場

 衛生十則
あくまでタテマエでしょうね。明治・大正・昭和初期替わりの人は沢山いたことでしょうから、

 さく孔

 積込み

 スラッシング

 発破

 坑道の中で育つ植物

 今回入ることが出来なかった坑道入り口。

マインロード内をトロッコが運行そのトロッコに乗車できるイベントが開催されているそうだ

詳細は下記リンクより

 

尾小屋鉱山イベントデー | イベント | 尾小屋鉱山資料館

尾小屋鉱山は、明治10年代から本格的な採掘がはじまり、90年余、日本有数の鉱山として繁栄した鉱山です。当館は、その尾小屋鉱山にまつわる資料館です。 尾小屋鉱山に関す...

小松市ミュージアムズ

 

 

もしかして今回のが、トンネルツアー第三段だったのかな?

 

写真:2024_06_02 
天候:曇り
場所:小松市尾小屋町カ1-1 尾小屋鉱山資料館



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「日本一モグラ駅」JR東日本上越線「土合駅」

今回はこの二か所を訪ねてみました。昨年7月に訪ねた「筒石駅」のようなひっそりした感じではなく、観光客が訪れる賑やかな所です。

 

何がこれほど人気なのだろうか、あるサイトによるとこんなデーターが紹介されている。

都内の地下鉄の深さ一覧をランキング形式で紹介します。六本木駅の他にも、大江戸線の駅が目立ちますね。

1位 大江戸線:六本木駅 (42.3m)
2位 大江戸線:東中野駅 (38.8m)
3位 千代田線:国会議事堂前駅 (37.9m)
4位 南北線:後楽園駅 (37.5m)
5位 大江戸線:新宿駅 (36.6m)

これらの駅も地上まで、いや地上2階3階の駅まで乗り換えで上がり降りすることを考えると高低差、距離は土合駅に勝るとも劣らないものがあると思う。

そこにはエスカレーター、エレベーターがあるから普段利用していても気に留めない。




連絡通路の先には長い長い階段が

目的のホームは遥か彼方に

 
左:100段程度降りたところで見上げる。右:300段程度降りたところから振り返る・


最下部から見上げる。


土木学会選奨土木遺産の表示(JR上越線清水トンネル関連施設群)


水上、高崎方向を見る。本線と副本線が設けられていたものを本線一線に改良されている。


越後湯沢方向を見る。


下:元運転事務室を利用してクラフトビールの熟成中


再び地上へと


待合室、閉鎖されていた。


外に出るとバスが待機。駅見学の観光客を乗せてきたのだろう?

随分と時間が押して来てしまった。本当は日帰りの予定だったが、近くで宿を探すことに。

 

JR東日本 上越線土合駅
 撮影:2025.05.25
 天候:晴れ



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今回は昨年7月に行った筒石駅に続くトンネル探訪の第二段

2023.07.19投稿



「清津峡トンネル」

日本三大峡谷清津峡 https://nakasato-kiyotsu.com/

様々なメディア、雑誌等で紹介されているので今から説明も何も要らない事でしょうからあえて行を咲くことをやめておきます。詳しくは上記リンクにてご確認を

富山県の隣なのにとても遠く感じた。高速道路上越インターを下りてから走ること1時間30分近く。一般道いくつかの峠を越えやっとの思いでたどり着いた。

観光客も多いバスが数台入っている。駐車場も第一駐車場は満車第二もほぼ満車状態。


1st Platform

間地かで見る柱状節理 本当の大地(自然)が造り出した芸術

 


2nd Platform

 


この中は実はお手洗い中に入ると外が見える。ミラーガラス(フイルム?)になっているんだけど、この中で用を足すのは少々緊張する。


3rd Platform

 

Panorama Station

 

トンネル通路内の様子


750mのトンネル内も展示物・パネル等で清津峡について学ぶことが出来る。

長いトンネルを飽きさせないための音と光の演出

駐車場からトンネルまでの風景 

 

清津峡
 撮影:2025.05.25
 天候:晴れ

 

「日本一モグラ駅」JR東日本上越線「土合駅」

今回はこの二か所を訪ねてみました。昨年7月に訪ねた「筒石駅」のようなひっそりした感じではなく、観光客が訪れる賑やかな所です。

次回は駅ホームまでの風景を・・・・・。

JR東日本 上越線土合駅
 撮影:2025.05.25
 天候:晴れ

 



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昭和にタイムスリップ、コンクリート剥き出しの地下道

そこは、千と千尋の神隠しの世界だった。

国道8号線からわき道に入ると急な坂道。小学校に数件の民家、工事現場のプレハブの様な駅舎。

ここでも十分昭和感、ノスタルジックが漂っている。

駅舎のその先には長いトンネルの階段、神隠しの世界に導くトンネル


階段を降りたところから上部駅舎の方向を見る


水平連絡道上り線・下り線連絡道。ホームはまだこの下数メートル先にある。


上り線ホームに降りる階段


上りホームに出る。ここまで280段212メートル

ホームに立つと先の見えないトンネル、どこから来てどこに行くのかトンネルの中はいまだに昭和40年代

映画のシーノンのなかにいるような感じ。

再び連絡道に戻り下りホームへと降りる

 
下り線待合室まで下りる階段(下から映す)と待合室、扉の向こうがホームになっている。ここまで290段176メートル。


下りホームから上り列車を見る


連絡道(湿度が高くレンズまで雲ってしまった)


駅舎までの上り階段

地下道内は湿度が高く靄がかかり見通せない。そこに持ってきてまったく音がないため背筋がぞくぞくする。夜に一人でホームに降り立ったらと考えると、ちょっと無理かもしれない。

都会で生活されている方は、地下のホームなんて珍しくもなんともないでしょう。地下鉄を利用されている人は地下2階・3階、地上2階・3階と上がったり下りたりして乗り換えされてる人にとっては200段・300段珍しくもないと思いますが、ここは少し特別な感じがします。

土合駅の階段もしかり美佐島駅

この駅の一日の利用客を調べてみると17人とあった。

JR西日本からお荷物を押し付けられたのかなとふと思ってしまう。

駅舎は地上60メートルホームは20メートル地下連絡道まで下りると帆手もひんやりしている。年間を通してもそれほど温度差がないような気がする。

ここをワイン樽等々の貯蔵庫などに利用してもいいのかな?なんて素人考えで思ったりもしてみる。

ちなみにここに入るのに入場料が必要なのは理解できるが、券売機も何もない中料金が190円ですといわれても小銭の持ち合わせがなく二人で400円を料金箱に投函して筒石駅駅を後にする。

皆さんも190円を用意して訪ねてください。



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