加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



山門から放生の池(龍渕池)を渡れば法堂、その奥に大方丈を配す。

法堂を廻ると目の前に巨石を配した月泉庭が飛び込んでくる。
法堂と方丈の狭い空間に並べられた巨石は圧倒される。中でも中央に置かれた巨石は約42トンもあるということだ。



「月泉庭」は、開山の慈雲覚心の晩年の句 「天に月あり、地に泉あり」 に因んで名づけられたそうだ。

この石庭「月泉庭」と先ほど渡った放生の池 「龍渕池」 は京都の小川寿一氏の作だ。
国泰寺 : 臨済・黄檗 禅の公式サイトより


写真:放生の池「龍渕池」


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紹介の順序がまちまちだがお許しいただいて、山門まで戻る。
山門 入母屋造の桟瓦葺きの単層の造り。説によると未完成のまま現在に至っているそうだ。

例年ならまだ雪のある季節だ、写真は2006年3月14日に撮影したもの、今年は本当に暖かな冬だ。

今回訪ねてみて気が付いたのだが、仁王像が鮮やかに塗りなおされている。
それとも新しく寄進されたのだろうか詳しいところまで見なかった。





作者にも依るのだろうが顔つきが穏やかになったような気がする。
今の時代に即しているのかもしれない。

金網越しの写真なのでこちらもご覧下さい。
 
写真:いこまいけ高岡 国泰寺より

 
写真:木偶乃坊写楽斎(photo & 206CC)Blogより

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茶室を過ぎて急な階段を登ったところに三重の塔(利生塔)は建つ。



この利生塔は昭和の建立で、昭和56年から3年の歳月をかけて建てられたものらしい。
このときの棟梁は西岡常一氏であることを驚きであった。私も興味があり西岡氏の書を読んだことがある。「木に学べ」小学館、「よみがえる薬師寺西塔」草思社など。

西塔建立のときに、海外に木を買いに行ったときの話で、
「木を買うのではなく山を買うのだ、木を一本一本視て木が育った場所を知り、どこのどの場所に使用するか決める」
また、こんな話もあった。
「山に入って立っている木を視て買うのだから、その木がもしかして中が空洞になっているかもしれない。それをある物で叩いて音を聞いて調べたそうだ。」
ある物

「はり」?
「針」
まさか?と思ったが同行した人がそう話してくれ、驚かされた。

利生塔から長い石段を登ったところに天皇殿が建つ。
ここには、後醍醐天皇の像と、光明・後奈良天皇の像が安置されているそうだが、扉が硬く閉ざされており拝むことはできなっかった。




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写真:2007.02.26 13:09撮影

朝からよく晴れ上がった
先日紹介した、阿尾城址に足をはこんでみると、展望台からはすばらしい立山連峰を見ることが出来た。

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境内を奥に進むと二軒のの茶室がある茶室(積翠軒)・茶室(春樹庵)写真

茶室の横には手入れされた梅園がありつぼみが膨らみかけている。まだ見ごろには早いようだ。
梅園に入り写真を撮っていると、どこからともなく、鳥のさえずりが聞こえてくる、空気が澄んでいるのかよく通る。


梅とニシキマンサク:2007.02.25撮影

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