加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



二十四節気小満 日の出
撮影:2007.05.21 4:44 「七尾市大泊町」


小満
万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る(暦便覧)
陽気がよくなり、草木などの生物が次第に生長して生い茂る。

一昨日は二十四節気の小満、天候もよく国道160号線より少し山手の方に上がった棚田より撮影してみました。

二十四節気小満 日の出


植えられたばかりの若苗も、この日を境に太陽の恵みを受けてすくすくと育ってゆくのでしょう。



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棚田百選に選定された「長坂の棚田」
長坂の棚田
前回紹介した光西寺の前を通り過ぎてしばらく登ると一面の棚田が現れる。ここは標高200m程度、富山湾その彼方に立山連峰を望むことが出来る。この日も立山連峰が薄っすらと浮び上っていた。
水田には水が張られ田植えの途中だ。

長坂の棚田 長坂の棚田

棚田の美しさは畦の造形美と管理された土手だと誰かが言っていた。
言うはたやすいが人の背丈以上の土手の草を駆るのも並大抵の作業ではない、一雨ごとに草は勢いを増して伸びる、一枚や二枚の田んぼならともかく何十枚ともなると一通り刈り終わった頃には最初に刈った処がまた伸びている状態だ。

いつも綺麗に管理された田んぼを見ると、米を作るのでは無く、田んぼを作っているようだ。と感心させられる。

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ツツジの咲く寺「東旭山」光西寺



長坂の棚田に向かう途中、真新しい山門、まだ若く植栽されたばかりのツツジ、そして石仏。
新緑、色とりどりのツツジ、青く澄み切った空、うまく調和していて心があらわれ、思わず仏様に手を合わせてしまう。



山門をくぐり本道へと階段を登る。境内は決して広くはない、借景をうまく利用している。落ち着ける、そして心が癒される庭だ。

聞こえてくるのは鳥のさえずり、手水鉢に流れる水の音そして、雲水の足音。




合掌


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朝日を受けた棚田


朝日を受けた棚田
七尾市大泊の棚田 2007.05.14 5:26撮影


 国道を走っているとなかなか気が付かないが、石動宝達山系の斜面を利用して水田が耕作されている。
 石川県側、富山県側、海岸から山麓の懐は深い。中山間地の棚田、大規模営農とは縁のない地域で農地を守り続けている。


 氷見市では棚田オーナー制を取り入れた制作も見られる。一つの例が“長坂の棚田”だ
富山県氷見市 氷見市棚田オーナー事業「すばらしい景観の棚田で美味しい米作り体験を!!」と平成11年度より実施されている。



長坂の棚田
地域活性化センターHPより



地域活性化センター事例:
http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/1_all/jirei/2001_jirei/18himishi/1801.htm


氷見市産業部農林課 棚田オーナー事業:http://www.city.himi.toyama.jp/~35100/tanada.html 


七尾市大泊の棚田と立山連峰2007.05.14 5:20撮影
七尾市大泊の棚田と立山連峰2007.05.14 5:20撮影


 どの地域でも同じ問題を抱えている、少子高齢化、これから農地を守って行く担い手が育たないと話をされていた・・・・・・・。



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見ごろを迎えた初夏の湊川リヴァーサイドウォーク


湊川沿いのツツジ


初夏のリヴァーサイドはツツジが色とりどりの花をつけている。 川面を渡る風が心地よく感じる。
月曜日ということなのかツツジを眺める人もいない。それとも、桜ほど鑑賞の対象にはならないのかもしれない。
桜の名勝で有名な朝日山公園も1000本近くのツツジが植栽されている。ここと同じように満開のことだろう。


湊川沿いのツツジ2 湊川沿いのツツジ2



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「畠山義忠公歌碑」


城山は七尾市街地より南東約5kmの位置にあり麓には七尾城資料館(公式ホームページはありませんが資料館を紹介したサイトです)があり、資料から武家生活の様子がうかがえる。

登山には旧道も整備され歩いて登ることも出来る。この季節なら新緑の中をさまざまな花(植物)を眺めながら風を感じて登るのもよい。また、小鳥のさえずりが何処からともなく聞こえてくる。
時間と体力に自信のない人は車で一気に駐車場まで登ることが出来る。駐車場には七尾城絵図、七尾城址文化事業団が建立した「畠山義忠公歌碑」(上写真)、石仏が建つ。
歌碑には「野も山もみなうつもるゝ雪の中しるしはかりの杉の村立 畠山修理大夫(賢良)」と書かれている
また、木立の間からは七尾市街を望むことが出来る。

駐車場石仏


ここから本丸跡まで歩いても15分程度で登れる。

「聞きしに及び候より名地、賀・越・能の金目(かなめ)の地形といい、要害山海に相応し海頬島々の休までも、絵像に写し難き景勝までに候」 (「上杉謙信書状写」歴代古案)

本丸にて謙信の見た風景、今年の3月には「美しい日本の歴史風土準百選」に選定された。



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桜のシーズンも終わりあちこちでツツジが色とりどりの花をつけている。

ここ、高岡市水道つつじ公園も 見ごろを迎えようとしている。
ヒラドツツジ、キリシマ、サツキそして、ドウダンツツジが15,000本園内の斜面を覆う。

水道ツツジ公園水道つつじ公園


うるおい水車芝生広場、桜の並木道、当地にちなんだ龍梅水伝説をイメージした「うるおい水車」などゆっくり、ツツジと新緑を楽しめる。


当地の龍梅水伝説はこちらを参照ください・・・・・。
高岡市水道局;http://www.city.takaoka.toyama.jp/suido/tutuji-park/ryubaisui.html

水道ツツジ公園の場所はこちらでどうぞgoomap>>>MAP

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漢詩 九月十三夜
 霜は軍営に満ちて秋気清し・・・・・・は上杉謙信が能登七尾城に攻め入ったとき、陥落間近の天正5年9月13日、諸将と供に石動山大宮坊で名月を眺め詠じた詩とされる。


 このとき、謙信が本陣としていたとされる石動山大宮坊、最近再建され拝観できるようになっている。
石動山大宮坊

 現在七尾城に残る遺構は苔むした石垣のみで、静まり返った杉木立ちの中を歩くと寂しさを感じる。
 本丸跡地櫓台跡地には畠山末裔が建立した神社がある。ここ本丸跡からは七尾市街、七尾湾・能登島そしてはるか能登半島を望むことができる。
七尾城本丸跡に建つ神社七尾城本丸跡より七尾方面を望む
写真:2007.4.16撮影 天候小雨

 



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七尾城本丸石垣から城山展望台を望む
写真:七尾城本丸石垣から城山展望台を望む 2007.04.16撮影

 


霜は軍営に満ちて秋気(しゅうき)清し
数行の過雁(かがん)月三更(さんこう)
越山(えつざん)併(あわ)せ得たり能州(のうしゅう)の景
遮莫(さもあらば)あれ家郷(かきょう)遠征(えんせい)をおも憶う



七尾市街と富山湾側を隔てるように連なる石動宝達丘陵。その北端に位置する七尾山に築城された典型的な山岳城だ。

七尾城址案内板七尾城址七尾城址本丸跡


七尾の歴史と文化より
七尾城の城砦
 七尾城は、戦国大名であった畠山氏が築いた山城で、戦国時代、能登の政治・文化の拠点として機能した。その特徴は、天然の要害地形を巧みに利用した設計(縄張)と、山上に築かれた大規模な石垣である。
 本丸は標高約三〇〇㍍の山上にあり城主や重臣の屋敷や兵糧倉や武器庫など、城の重要施設が置かれた場所である。この本丸からは、山麓の城下町をはじめ七尾湾の浦々が一望され、周囲には、野面積みの石垣で築かれた桜馬場や調度丸、深い空堀で区切られた二の丸、三の丸などの郭群が並び、樋ノ水などの水場も位置する。
 さらに城下町へと広がる尾根は「七つ尾」と総称され、七尾の地名の由来となり、家臣の侍や兵が守りに就いた砦が、幾重にも配置されている砦の構えは、大小の平坦地に防塁や堀切を設けたものである。
 天正五年(一五七七)、七尾城を攻略した上杉謙信は、本丸に立ち、「聞きしに及び候より名地、賀・越・能の金目(かなめ)の地形といい、要害山海に相応し海頬島々の休までも、絵像に写し難き景勝までに候」 (「上杉謙信書状写」歴代古案)と書き伝えている。
 天正九年一〇月、織田信長から能登一国を与えられた前田利家は、翌年一月から府中の港に隣接した小丸山に築城を始め、山城である七尾城を廃城とした。それは能登に戦国時代の終わりを告げる出来事であった。(垣内光次郎)



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