加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



湊橋と内川湊橋


 内川と奈呉の浦につながる処に位置する湊橋そしてその奥には奈呉の浦大橋が見える。また、この橋を正面に見る場所には新湊を題材にしたアートが描かれていて、『内川アート』と名付けられ内川の橋、町並みの風景、祭りの山車など〃見ていても飽きない。天気の良い日にはテーブルを置いてオープンカフェにしても良さそうだ。(ここに住んでいる人におこられそうですが?)特に放生津八幡宮の祭礼には特等席で祭りと新湊の味覚を満喫してみたいですネ!


湊橋と内川アート湊橋についての説明は新港観光船ホームページより
 1821年3月28日の放生津大火は、瞬く間に1150戸を焼き払い、湊口に逃げた住民は橋がなかったため、48名も焼死しました。この地獄絵さながらの光景は加賀藩検視役人の同情を呼び、長さ30間(55メートル)、幅9.5尺(2.9メートル)の板橋が架けられ、俗に「おたすけ橋」と呼ぶようになりました。古新町と奈呉町を結ぶ唯一の橋となりました。明治28年「湊橋」と改称しました。
 10月1日の放生津八幡宮の秋の祭礼に、13本の曳山がこの橋を渡る様は、勇壮そのものです。
 今から約400年前、この湊橋付近は富山湾内漁業の中心地でした。内川を根拠とした天然の良港は、北前船・能登通いの基地としても機能していました。
 また、諸国従来の舟も停泊したり、いろんな舟の出入りも多く、物資の交易市(いち)・魚市も盛んなところでした。

湊橋と内川アート 湊橋と内川アート







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