私が生まれた病院、
名建築 『玉野三井病院』
竣工は 昭和12年
三井造船(玉造船所)の設立年でもある。
(ちなみに 盧溝橋事件 もこの年である。)
設計は 建築家 置塩章(おきしおあきら)
(ちなみに宮崎県庁舎も 置塩章 の設計である。)
歴史的にみると、
名建築 『玉野三井病院』 は、
片肘の張ったネオゴシックから
モダニズムに移行する端境期の
貴重な建築なのであるが・・・・
現在の 『玉野三井病院』 は・・・・
どういうわけか、
タイルを白く塗られてしまったり、
デザインの重大要素でもある庇を隠すように
変なパネルが帯状に巻かれていたりする。
裏へ廻ると、
やっと竣工当時の面影が確認できる。
なぜ、
渋くてかっこいいデザインを隠して
現代風な嘘をついてしまうのだろうか?
内部に入ると、
あったあった、竣工当時のタイル!
このタイル、
年月と共に、いい風合いを出しているのだが、
白く塗りつぶしてしまった外壁はもったいない。
階段がまたカッコよく、
ヘップバーン が
軽やかに舞い降りてきそうだ。
驚いたのは、
3階の片隅にホコリをかぶった
竣工当時の模型を置いてあったこと。
じっくり見ると、
やはり、竣工当時のプロポーションは美しい。
どうして現代人は、
この美を継承できないのだろうか?
実にもったいない。
せっかくの アーチ状の梁 は、
新たに張られた天井で台無しになってる。
定礎石 は埋まっちゃって
定 だけになってる。
もう、
新しい建物は造らなくていいから、
現存している建物を、
きちんと磨き上げて愛せることができるならば・・・・
この町は、きっと魅力的になるだろう。