本日は!
金甲山 の話。
岡山県児島半島の
東側で育った者にとって
金甲山 は、
校歌にも歌われた
深く深く、記憶に残る山である。
♪ 金甲山を仰ぎます ぼくも私も 健やかに・・・ (八浜小学校)
♪ いのち清しき 金甲山の 風のみどりを・・・ (八浜中学校)
♪ アンテナ高き 常山や 金甲山のテレビ塔・・・ (大崎小学校)
♪ 朝日は昇る 瀬戸の海 夕月匂う 金甲山・・・ (鉾立小学校)
♪ 空に聳ゆる 金甲の峰に 白雲わたり来て・・・ (後閑小学校)
♪ 金甲山の みどり風 平和と愛を 踏みしめて・・・ (胸上小学校)
♪ 金甲の山を 眺めて励みます・・・ (山田小学校)
♪ 朝靄かかる金甲の山を見上げて 通う道・・・ (甲浦小学校)
♪ 朝晴れゆく金甲山の 峰に溌剌 雲輝いて・・・ (光南台中学校)
その、
金甲山 の真北方向に
古墳のような小山がある。
その小山に、
國津神社 がある。
祭神は、
建日方別命 (たけひかたわけのみこと)
建日方別(たけひかたわけ) とは、
吉備児島(きびのこしま) の別名である。
吉備児島(きびのこしま) とは、
イザナミ と イザナギ の二神が
大八島国 を産んだ後、
続けて産んだ、
6つの島のひとつである。
要するに、
吉備児島(児島半島) は
アマツクニ によって侵略され、
建日方別命 という神様(使者)が
駐在したのだろう。
國津神社 は元々、
金甲山(神の嶺) の頂上にあったものを
現在の地に遷されたというが・・・・
何もないところに
建日方別 の御祭神を遷すわけもなく・・・・
つまり、
國津神社 の小山は・・・・
建日方別命 の墓所か?
また、
金甲山 と 國津神社 を結ぶ
軸線をさらに北に伸ばせば、
操山遺跡群 にドンピシャリ!
より大きな地図で 金甲山 を表示
建日方別命 は、
國津神社 の小山から
真南の 金甲山(神の嶺) に向かって
祭祀を行っていたのだろうか?
建 とは 杭のような目印を建てる
日 とは 太陽
方 とは 方位
別 とは アマツクニの使者
建日方別 とは、
古代太陽暦を操り、
1年を正確に測る天文所なのだろうか?
金甲山(神の嶺) の頂で
銅鏡 を使えば・・・・
中山、操山、硫黄山と、
吉備一円のクニに
光通信 が可能である。
悩ましい 國津神社!
この小山を掘れば、
金の甲(カブト) よりも
スゲーお宝(銅鏡、勾玉、剣・・・) が、
ザクザクと出てくるかもしれない。
この話は、内緒だ!