畑倉山の忘備録

日々気ままに

朝鮮半島をめぐる巨大な謀略(4)

2017年12月26日 | 鬼塚英昭

ここで古田博司の論説「朴槿恵、アンタは何様か 否韓三原則で対韓不干渉を貫け」(月刊「WILL」二〇ー四年二月号掲載)から引用する。

「他方で、韓国は近代史上、日本軍と戦ったことがない。韓国が主張する戦いは一九二〇年の青山里戦闘一回きりで、敵は朝鮮人匪賊(ひぞく)だった。日本の無条件降伏と米軍進駐によって棚ぼた式に独立を得た韓国には、そもそも国家の正統性というものがない。一般の韓国人もそのことはうすうす知っていて、北の政権に比べて自分たちの政権に正統性の点で瑕疵(かし)があることに気づいている。
 なんとか正統性を得るため、青山里の戦闘で勝ったというウソを定着させようと韓国は骨を折ってきたが、戦場に残ったのは日本軍であった。敗けたほうが戦場に残る道理はない。
 正統性を保つために韓国が英雄として誇るのは、爆弾魔のテロリストだけだ。爆弾テロリス卜を英雄に仕立てなければならないのは、いまの韓国の悲哀であり、私が危惧しているのは、反日教育でテロリストや爆弾魔を解放運動の雄だと刷り込まれ、頭のなかがIRA(アイルランド共和軍)のようになった韓国の若者が「自分は英雄になりたい」と思って、爆弾をもって海を渡ってくる危険性があるということである。
 韓国人が歴史を学ぶとろくなことが起きない。我々日本人は、韓国人が歴史に学んでしくじる民族であるということをいま一度、認識すべきだ。」

私は古田博司(筑波大大学院教授)のこの文章を読みつつ、驕れる日本民族の悲しみを知った。そして、悲しみを通り越して怒りさえ覚えた。私は日本人の一人として、古田博司と同じような論を展開する多くの識者を知っている。嫌韓論、反韓論、排韓論・・・・・・・今日、日本人は驕れる民族となったのではないか。

三・一運動は朝鮮人が日本に挑戦した戦争ではないのか。日露戦争の後のルーズヴェルトを説得しようとした李承晩も、日本に戦争を挑んだのではないのか。パリ講和会議で日本を非難しようとしたことも戦争ではないのか。極端な表現で申し訳ないが、昭和天皇を爆死させようとしたテロリストも、日本に戦争を挑んだのではないのか。国民政府の力を得て、数々の工作をしたのも戦争ではないのか。

国と国とが大量の死者を出すことをもってする戦争のみが戦争ではないのである。私はここまで書いてきてやっと一つのことを知り、納得した。そして、私は林秀彦の『憎国心のすすめ』の一節を思い出した。

「悔し涙がたぎり落ちる。
 このとおりなのだ。すべて。そして、誰かが操作している。この日本人の本性を、骨の髄まで他律的であることを知っている誰かが、どこかの国が、どこかの民族が、その欠点をたくみにつき、利用し、一層助長させ、推進させ、搾取し、あやつっている。
 そして、これほど歴然としている数々の証拠実例を、なぜ人びとは(私が日本人を愛する故にわざと呼ぶ、“ジャップ”たちは)、気づかないのか。」

(鬼塚英昭『「反日」の秘密』成甲書房、2014年)