畑倉山の忘備録

日々気ままに

日本語脳を育てる

2015年06月09日 | 国内政治
私が思うに教育改革は幼稚園レベルからの改革です。ここからやり直さないといけません。これくらいの年齢からしっかり素読をさせること。五十音の発音なり、『論語』なりを、言葉としてしっかり発音させ、いわゆる「日本語脳」を作ることです。

そのためには言葉に出して話させる、というのがー番いいと思います。口から出して振動させることに意味があります。

江戸時代は教育と言えば、まずは発声でした。小さくてわからないとしても、とにかく「四書五経」を言わせます。それを繰り返しているうちに、日本語脳ができ上ります。日本語脳の最大の特徵は感性豊かな右脳です。右脳を左脳が補佐しながら、しっかりと判断できる有能な人々が、江戸幕府の仕組みを作り、訪れた欧米人をして「世界唯一のパラダイス国家」と言わしめた国を築いたのです。

楽天やユニクロといった新興企業が社内公用語を英語に据えましたが、英語はネイティブと直接交渉する人間以外は、熱心にやる必要はないでしょう。

私も経験がありますが、こちらがたとえ片言の英語でも、英語圏の人間は比較的、何度でも説明してくれます。メールや書類なら翻訳ソフトや辞書を使えばいい話です。

英会話力がないと生き残っていけないという不安情報を煽っているのは、英語で儲けようと考える人々です。まずはそこを認識してください。「婚活」を煽っている人々同様、彼らはビジネスとして行っているだけです。そこに正義はありません。

英会話力などと主張する前に、まず母国語である「日本語会話力」をしっかりと教育すべきなのです。

それと同時に、自国の文化や伝統、本当の歴史を学ぶべきでしょう。英語が話せても日本のことをほとんど知らない日本人が大勢いますが、欧米の人間から見ると、彼らは外国に憧れているだけの可哀相な人に映るそうです。

池田整治『脱・洗脳支配』(徳間書店、2012年)

天皇家と天皇制

2015年06月09日 | 天皇

天皇制を悠久の昔からのものと考えることは出来ない。天皇家と天皇制はひとつにして見るべきではなかろう。天皇制は近代百年の政治的創作で、新しいわれわれと同時代のものである。戦後、ある日、総理大臣吉田茂が、突如昔のように天皇に対して臣茂と言いはじめ、人びとを驚かしたが、昭和のはじめ、わたしの子どもの頃には、昼間の銭湯には、伊藤博文がはじめて臣博文とやらかした時のことを、覚えている老人たちが集まっていた。禁裡様から天子様、天皇陛下へ移り変ったことをかれらは知っていて、天皇ファンが多かったが、大した出世をしたものよ、と感心されてもいた。一代の成り上り者明治天皇を偉いとほめ、息子の大正天皇の精神異常のエピソードをさまざまに公言する老人たちの寄合は、数年後にはもう銭湯からも姿を消した。安政 · 万延 · 文久生まれが急速にいなくなったからである。

天皇様をお作り申したのは我々だとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされたことであった。近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったものの天皇の国家はなかった。尊皇派が考えていた天皇の国家という考えは、思想として獲得されたものであり、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。だから彼らが求めている天皇と現実の天皇がいくらか融和できるうちはよいが、その矛盾が激化すると、天皇を取り替えてしまうほかなくなる。我が家に空襲で焼けるまであった孝明天皇の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた蜜月時代にもたらされた物だろう。騎兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応二)の暮れに、孝明天皇は謀殺されてしまった。もちろん仕組んだのは江戸幕府ではない。それは志士側で、天皇が倒幕の障害になり始めたからである。今日ではもうそのことは、公然の秘密となっている。

(益田勝実「天皇史のー面」『終末から』1974年8月号)


「マッカーサーの告白」は偽文書

2015年06月09日 | 国内政治

ネット上に「マッカーサーの告白」なる偽文書が流通している。マッカーサーの議会証言を原文で読めば、これが偽文書であることは明白なのだが・・・。

あのマッカーサー元帥が、「私は反省している。大東亜戦争は日本の自衛戦争であった。アジアの人々を白人から解放するために日本は戦争をした。悪いのは罠に嵌めた米国であり、日本は正しかった。反省すべきは米国であり、日本が謝る必要はない。東京裁判はまやかしだ。広島・長崎の原爆投下も必要なかった。」と米国議会で告白しているのだという。

だから日本人よ、自虐史観を捨てて立ち上がれ。自信を持て。日本は本当は負けていない。だから敗戦記念日といわず終戦記念日というのだ。従軍慰安婦問題は捏造であり南京大虐殺もなかった。すべては日本を貶めるために反日勢力がでっちあげたデマである。世界で最も優秀で規律の取れた皇軍がそんな事をするわけがない。次回戦争するときは必ず勝利してみせる。かりに戦死しても靖国の英霊となるから安心して死のう、というわけである。

無知無学のおバカなネット右翼がこのような妄想話に洗脳されていくのである。

日本人の本当の自立は、歴史の真実を知ることから始まる。


マイナンバー

2015年06月09日 | 国内政治
マイナンバーは外資にも美味しい。

マイナンバー創設のためにかかるコンピューターシステム関連の費用は約3000億円。しかし、年金記録システムと特許庁のシステムという国家プロジェクトが7年かかって頓挫し、いつ完成するか分からないという状況を考えれば、マイナンバーシステムがきちんと出来る保証はない。

甘利担当大臣は、国内事業者の技術不足を理由にマイナンバーシステムを海外事業者に発注する可能性を否定しなかった。

年金・納税・資産・医療保険・雇用保険・戸籍・住民登録など国民のあらゆる個人情報を一元化するコンピューターシステムを海外事業者に発注するということは、システム設計の段階だけではなく、メンテナンスのために海外事業者が国民のあらゆる個人情報にアクセスできるということになり、極めて問題である。

http://togetter.com/li/500107

阿南惟幾の死

2015年06月09日 | 鬼塚英昭

モーリス・パンゲの『自死の日本史』から引用する。阿南惟幾の死を美しく描いている。名文である。

「こうして阿南という一人の人間において、大日本帝国陸軍は死んだーー敗北によっておのが過ちと驕りに気付いて。ヒットラーと阿南、いずれに高貴があるかは言うまでもあるまい。高貴とは責任を逃れぬ者にある。高貴はおのが引き受けるべき重荷を重すぎるとは決して言わない者にある。オイディプスもまたおのが意思をもっておのれを撃ち、おのが平和と民の平和のために、おのが罪を承認する。移ろいやすい勝利のかなたにある平和、それが戦士たる者の夢であり、その平和のためにこそ彼は戦う。彼が平和を見出すのは死ぬことによってだ。その平和が他の人にとっても平和になるなら彼にとってこれほど嬉しいことはない。阿南の偉大なる魂は、ヤーヌスのように、過去と未来を、戦争と平和を、過ちと恕しを、分かちかつ結び合わせる地点に立っている。」

モーリス・パンゲのように阿南惟幾を賞賛する日本の史家は一人もいない。もし阿南惟幾をほめれば、天皇の威厳に傷がつくと思っているからであろう。人は死に方によってその器量が分かるのである。もし、あのとき、もう少しはやく、天皇が国民に詫びて、死を選んでいたら、日本も、否、世界も大きく変わっていたであろう。天皇一人が生き延びたのである。どれだけ多くの人々が死んでいったのか。

阿南は自刃のとき、義弟の竹下正彦に「米内を斬れ!!」と叫んでいる。(中略)

太平洋戦争が始まった後に、すでに和平交渉が宮中と重臣たちのルート(ヨハンセン・グループ)により行なわれていた可能性がある。

従って、このグループに参加した人々はすべて、なぜか戦犯に指定されていない。牧野伸顕、吉田茂、樺山愛輔、岡田啓介元首相、米内光政元首相たちである。(中略)

原爆投下と深く結びついたヨハンセン・グループのすべては、戦後、一人として戦犯とならなかった。アメリカ、そして何よりもこの世界を支配する”影の政府”、それはユダヤを中心とする国際金融同盟のために働いたがゆえに、彼らヨハンセン・グループの人々は、戦後になると地位と名誉と金を手にするのである。ほとんど例外はない。国を売って得たダーティーな報酬だった。

(鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』成甲書房、2007年)