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まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【俳句の此岸】1980年代という他界・・俳句形式は新たな《絶望》を盛る器と化す!/私とは誰か~プレおたく世代の現在(42)

2018-07-26 04:25:22 | エッセー・評論

私は1979年に俳句と出会った。1960年代の終わりに聴き始めたAMラジオのニッポン放送【オールナイトニッポン】の俳句コーナーであった。当時、大学受験生のながら勉強の定番番組で、高校在学中はほとんど毎日聴いていた。明けて1970年代の前半に大学入学のため上京してからは遠ざかっていたが、ふと耳にしたのが【角川春樹の俳句教室】であった。それまでの数年間、学生運動の残り火やカウンターカルチャーの新展開の渦中に身を置いて、それらの完全消滅を見届けた。しかし、私自身の青春期は終るどころか煮え切らないまま20歳代後半に突入していた。その時、私が見た俳句とは【俳句形式】による詩の一表現形態ということであり、明治期から戦前・戦後の俳句の歴史など関心の外にあった。大学の学部は経済系であったが、関心は客観的なものとしての《政治》と個人の実存を追及する手段としての《文学》に向けられた。文学ジャンルでも、60年安保や70年安保世代の現代詩や小説に興味が集中していた。そんな中で、チャキチャキの70年安保(全共闘)世代の坪内稔典氏の『現代俳句』はとても身近でわかり易く、自己表現の言葉として親しみ易かった。しかし、70年代の終焉を迎え、今更こんなことに関わっていても何も展望は拓けないという苛立ちに変っていった。俳句形式には、その時の絶望も苛立ちも盛ることは出来ないことはあまりにも明白だった。それなのに、抜けぬけと戦後俳句だ前衛・伝統だなどという言い方は全く話にも何もならない、単なる【70年安保】という突出した時代に巡り会うことの出来た特権意識のようなものにしか感じられなかった。そのようにして、私の20歳代は【80年代】という《他界》のとば口で、早くも新しい絶望感に押し包まれようとしていた。・・・《続く》

 

「現代俳句 坪内稔典」の画像検索結果

帯文にある『過激かつ新しく!』など全くのハッタリに過ぎない。かつての《過激さ》の残滓は何の【新しさ】も生まなかった。「船団」が出発した1980年代から90年代、そして満を持して突入した21世紀に【俳句形式】の居場所などどこにも無かった。ここにあるのは、それを認めようとしない、死ぬまで【全共闘】の坪内稔典の自慰行為でしかない。

 


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【俳句の此岸】70年安保の生き残りたちが《俳句》をやっていた・・1980年代の軽さと新たな絶望/私とは誰か~プレおたく世代の現在(41)

2018-07-22 04:41:13 | エッセー・評論

1980年代は暗黒ばかりではなかった。例えて言えば《白夜》といったところか。70年代の単純だが何事も熱の籠もった重々しさが抜け落ちて、実にサバサバした時代であったように思う。あれほど毛嫌いした【軽薄短小】や【無関心】にも馴染み始めていた。そろそろ30歳という人生の最初の峠にさしかかっていたと言えなくもない。私はかの【団塊の世代】に隣接する第一次シラケ世代であり、70年安保に間に合わなかった世代である。時代の凄まじいハグラカシに遭った世代である。だからといって、先行した団塊たちのようにどうにもならない挫折に見舞われたわけでもなかった。要するに、その在り方からして元々軽かったのだろう。絶望しようにも、もはやその対象が成立しようがなかった。例えば、ある時書店で坪内稔典という人の【現代俳句】という雑誌が目に留まった。たしか1980年のことだった。この人は年齢からして70年安保を闘った【団塊の世代】であり、その誌面を飾る文言は《俳句》とか文学とかいう以前に、何もかもが闘って来た人の闘い足りなさの苦悶と何か【別のもの】への渇望に満ち溢れていた。私がそれに飛びついたのは言うまでもない。・・・《続く》

 

「現代俳句 坪内稔典」の画像検索結果

先日、紀伊国屋書店の俳句コーナーで見かけた。「船団」は1970年代後半~1980年代前半に同じ坪内稔典氏が出していた「現代俳句」(現俳協の機関誌とは別物)の後継誌。1980年代半ば~現在まで30年以上続いている。

 


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【時代は変わる】1980年代という暗黒時代にほの見えた《希望》のようなもの/私とは誰か~プレおたく世代の現在(40)

2018-07-21 00:31:49 | エッセー・評論

この記事シリーズを中断して半年以上が経つ。その間、いろいろなことがあったが大勢は何も変わらなかった。世界情勢の動きに大きな変化があったように言われているが、元々無用の存在でしかない極東の小国がどのようにあがいたところで、この世界を牛耳る勢力の前にはどうにもならなかった。私は1970年代に青春時代を送り、80年代という【暗黒時代】に翻弄されながらも、30歳代という人生のほんのとば口にあって自分のアイデンティティを守り通すことの出来たポスト団塊の世代に属していた。その80年代に成熟期を迎え、世代的な絶望を超えてもう一つの《わたし》の端緒にかろうじてたどり着くことの出来た稀有の体験を持つ。持たされたと言った方がシックリ来る。希望を全て捨て去ることで、何か希望でも絶望でもないものの存在に気付かされた。この世は流れてゆくものであり、自分さえ捨ててしまえばそれなりに生きる根拠としての《快楽》の種の残滓にありつくことも許されたのだ。たとえ、その時代が【1970年】とは似ても似つかぬ醜傀なものであったとしても。・・・《続く》

 

「天使の王国」の画像検索結果

80‘ビルボード HOT 100

https://youtu.be/V3MzJZ0Ygs8?t=12


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【氷の禁域】月の虚空に猫背のままで凍った法王 夏石番矢/新俳句入門*特別編

2018-06-17 00:44:11 | エッセー・評論

月の虚空に猫背のままで凍った法王   夏石番矢  最新句集『氷の禁域』(アマゾン通販)より

月の出ている空または闇は、人間がまだそこには存在しない《虚》の時間を指し示す。その空無の《沈黙》の渦中で『猫背のまま』で凍ってしまう『法王』とは、いかなる存在なのであろうか?それとも、そもそもこの世とあの世を隔てる時間の不可逆性は、わたしたちの存在の端緒となる【発語】を統べる【法王】の不存在から逆算される幻影に過ぎなかったのだろうか。いずれにしても、この『法王』の存在の曖昧さは、氷結後の長い《沈黙》を経たこの世界の彼方に見え隠れする《死》の予兆なのかもしれない。・・・《続く》

 

「氷の禁域 句集」の画像検索結果


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【氷の禁域】氷の首都いかなる亀裂も無修復 夏石番矢/新俳句入門*特別編

2018-06-11 21:36:45 | エッセー・評論

氷天国二足歩行はとても野暮

氷の下で天使の翼増殖す

手長足長の神舞い降りる氷の平原

氷の上で白馬が白鳥になる夕べ

冒頭に置かれた4句から、まず『手長足長の神舞い降りる氷の平原』を読み解いてみたい。人類の誕生は約四百万年前に遡り、二足歩行による脳の容積の拡大によってもたらされた。《手長足長》の神とは、全地球が氷結する前の人類の《原型》を指し、そこでは「白馬」も「白鳥」も「人間」と同時に偏在していた。あらゆる生命体が《天使の翼》を持ちながら互いに侵食し合うことなく存在していたのだ。人類学の定説では、氷河期以後には生命維持のため人類の手足は短縮していったという。そして、現代の作者を取り巻く《氷》の時間と空間の交錯は、【氷の首都】なる仮象をしか生み出さない。そこでは、人間は依然として《手長足長》のままである。言い換えれば、《氷》とは人間のこの世界の時空の《氷結》を意味する。あらゆる存在と認識が引き裂かれたまま放置されている。

鬱の鎖を引きずりながら氷の首都

氷の首都いかなる亀裂も無修正

氷の上で無窮動の炎が手足か

ここで明らかになるのは、すべてが引き裂かれている中で、おのれの与えられた存在をなぞるだけの《発語》の不確定さから逃れるためには、ひたすら沈黙の時間に耐えるしかないことである。・・・《続く》

 

「氷の禁域 句集」の画像検索結果

 


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