1980年代は暗黒ばかりではなかった。例えて言えば《白夜》といったところか。70年代の単純だが何事も熱の籠もった重々しさが抜け落ちて、実にサバサバした時代であったように思う。あれほど毛嫌いした【軽薄短小】や【無関心】にも馴染み始めていた。そろそろ30歳という人生の最初の峠にさしかかっていたと言えなくもない。私はかの【団塊の世代】に隣接する第一次シラケ世代であり、70年安保に間に合わなかった世代である。時代の凄まじいハグラカシに遭った世代である。だからといって、先行した団塊たちのようにどうにもならない挫折に見舞われたわけでもなかった。要するに、その在り方からして元々軽かったのだろう。絶望しようにも、もはやその対象が成立しようがなかった。例えば、ある時書店で坪内稔典という人の【現代俳句】という雑誌が目に留まった。たしか1980年のことだった。この人は年齢からして70年安保を闘った【団塊の世代】であり、その誌面を飾る文言は《俳句》とか文学とかいう以前に、何もかもが闘って来た人の闘い足りなさの苦悶と何か【別のもの】への渇望に満ち溢れていた。私がそれに飛びついたのは言うまでもない。・・・《続く》
先日、紀伊国屋書店の俳句コーナーで見かけた。「船団」は1970年代後半~1980年代前半に同じ坪内稔典氏が出していた「現代俳句」(現俳協の機関誌とは別物)の後継誌。1980年代半ば~現在まで30年以上続いている。